与党の安保協議 急ぎ過ぎ、詰め込み過ぎ

朝日新聞 2015年03月09日

安保法制の与党協議 立ち止まって考えること

なじみのない言葉が入り乱れて、なにを議論しているのか分からない。そう感じている人が多いのではないか。

存立事態と重要影響事態、武力攻撃事態と武力攻撃予測事態と緊急対処事態……。存立事態という名称はわかりにくいからと白紙に戻して「新事態」に。重要影響事態は周辺事態から「周辺」を抜いたもの。

議論が拡散するなかで、政府が考える安全保障法制の大枠が示され、自民、公明両党の与党協議が急ピッチで進んでいる。今月末までに一定の合意をめざすのだという。

日本のありようを根底から変えるような動きである。国民の理解を得る努力を抜きに、拙速に進めるべきではない。

「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」。武力行使の新3要件などを定めた昨年の閣議決定のタイトルだ。ここにある「切れ目のない」という言葉が、今回の安保法制の議論のキーワードと言える。

「切れ目のない」は「歯止めのない」につながりかねない。あいまいな安保法制を成立させれば、将来に禍根を残す。

「切れ目のない」という言葉はもともと、離島での小規模の武装集団の襲撃などを想定したグレーゾーン事態に関連して使われてきた。平時から有事まで、海上保安庁と自衛隊が緊密に協力し、切れ目のない態勢を敷くという文脈だ。

自衛隊の迅速な対応を重視する考え方だが、逆に言えば、小競り合いを止める間もなく事態がエスカレートし、軍事衝突に発展する危険性をはらむ。

ならば、むしろいったん切れ目を置いて、起きてしまった紛争を最小限にとどめる方策を考えるべきではないか。

自衛隊の出動は、平時と有事の明確な境目である。相手から見れば戦争突入を意味する。十分な情報に基づいた慎重な判断が必須だ。

この点に、いまの安保論議の危うさがある。

これまでは、日本が直接攻撃されることが自衛権発動の基準だった。だがこれからは違う。集団的自衛権の行使が法律で認められれば、日本が攻撃されていなくても、政府が自衛権発動の是非を判断することになる。それは海外で起きた、他国への攻撃であり、多くの国民は日常生活を続けているかもしれない。自衛隊が出動すべきケースかどうか、明確な一線を引けるのか。立法時の基準があやふやなら、時の政府にすべての決断をゆだねることになる。

自公両党で意見が隔たる中東ホルムズ海峡の機雷除去も、一致したのは「武力行使の新3要件に合致すればできる。合致しなければできない」ということだけ。どんな事態なら要件に合致するのか、肝心な点はうやむやである。それなのに公明党は「歯止めをかけた」と言い、政府・自民党は「将来に行使可能な余地を残した」と考える。

自衛隊の制約を外そうとする発想は、多くの政府提案に通底している。典型的なのが、他国軍の後方支援をめぐる恒久法の議論だろう。国会で特措法をつくる手間を省き、自衛隊をすばやく海外派遣する狙いだ。

その後方支援は「現に戦闘の行われていない地域」で活動を可能にするという。これもまたあいまいで、制約がないに等しい。戦闘が始まれば活動を休止・中断するというが、自衛隊員の危険は格段に高まる。

政府・自民党の狙いは自衛隊の活動範囲を広げ、できる限り他国軍並みにすることだ。視線の先には将来の憲法改正や国防軍への衣替えがあるのだろう。

そもそも、現政権は何を目標としているのか。日本をどんな国にしたいというのか。

地域の平和と安定をめざすのなら、近隣外交と両輪で進める必要がある。長い目でみれば、米国はもとより、中国、韓国を巻き込むような地域の安全保障体制をめざすべきだ。

国際貢献を進めるというのなら、2013年の1年間に難民を6人しか認定していない現状を改めなければならない。西アフリカで猛威を振るうエボラ出血熱の対策では自衛隊の派遣構想が浮かんだが、見送られた。

世界のためにいま出来ることは何か。それを考え、率先することが大事なのであって、自衛隊の軍事面のしばりを解くことが最優先ではあるまい。

安保法制の与党合意に突き進む前に、立ち止まって考えることがあるはずだ。

    ◇

毎日新聞 2015年03月06日

与党の安保協議 急ぎ過ぎ、詰め込み過ぎ

安倍政権は、国連平和維持活動(PKO)協力法の制定以来、20年以上かけて積み上げてきた自衛隊の海外派遣の枠組みを、たった1カ月の生煮えの議論で大幅に拡大しようとしている。

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