旅券返納命令 前例にしてはならない

毎日新聞 2015年02月10日

旅券返納命令 前例にしてはならない

外国を旅行する際、旅券(パスポート)は最も公的な身分証明書になる。外務省はホームページで「命の次に大切なもの」と紹介している。だからこそ、今回のようなケースが前例になって繰り返されることがあってはならない。

読売新聞 2015年02月11日

旅券返納命令 シリアの危険考えれば妥当だ

残虐な犯罪行為を繰り返す過激派組織「イスラム国」が跋扈ばっこするシリアの危険性を冷静に直視することが重要である。

外務省が、シリアに渡航しようとした新潟市のフリーカメラマンに対し、旅券の返納を命令し、受け取った。

本人の生命、身体、財産を保護するため、返納を命じることができると定めた旅券法の規定を根拠とする初めての措置である。

菅官房長官は、旅券を返納させた理由について「シリアに入れば、生命に直ちに危険が及ぶ可能性が高い」と指摘した。いったん出国すれば、シリアへの渡航を防ぐことが困難になるとも説明した。

外務省は、今回の返納をあくまで「例外的な措置」と位置づける。菅氏も、今後の対応について「個別の判断」としている。

カメラマンは「渡航、報道、取材の自由が断ち切られた」と不満を示し、法的措置も検討しているという。これはおかしい。

言うまでもなく、憲法が保障している渡航や報道の自由は、最大限尊重されるべきだ。しかし、イスラム国は、邦人の人質2人を冷酷に殺害したうえ、今後も日本人をテロの標的にする、と公言したばかりである。

この状況の下で、外務省が、渡航を中止するよう説得を重ねたうえ、本人が応じないため、旅券を返納させたのは妥当だ。

海外での邦人保護は、政府の重要な責務であり、他に有効な手段がないからである。

カメラマンは今月下旬にトルコ経由でシリアに入国し、イスラム国の支配地域以外で難民などを取材する予定だった。しかも、事前に計画を明らかにしていた。

だが、シリアは今、現地ガイドや仲介者が外国人の誘拐に頻繁に加担するような治安情勢にある。一民間人が自らの安全を確保できると考えていたら、認識が甘く、無謀だと言わざるを得ない。

シリアでの取材経験が豊富な後藤健二さんが、イスラム国によって拘束、殺害された事実を、きちんと踏まえる必要がある。

仮に日本人が再び拘束された場合、様々な要求が日本政府に突きつけられよう。事件対応に膨大な人員やコストを要するうえ、日本の外交政策が制約され、ヨルダンなど関係国にも悪影響が及ぶ。それは先の事件で明らかだ。

イスラム国にとって、日本人人質の利用価値が高まっている。本人一人の「自己責任」では済まされない展開が想定されることを、きちんと自覚せねばなるまい。

産経新聞 2015年02月11日

旅券返納命令 国民を守る判断は妥当だ

過激組織「イスラム国」が支配地域を広げるシリアへの渡航を計画していたフリーカメラマンに対し、外務省は旅券の返納を命じた。

シリア国内は混沌(こんとん)としており、安全地帯を見極めることは難しい。イスラム国はすでに湯川遥菜さん、後藤健二さんを殺害したとされ、なお日本人殺害の継続を表明している。

邦人保護は国の責務だ。渡航先の危険が明らかである以上、法律に基づき国が旅券返納命令を出したことは妥当だろう。感情的な自己責任論に依拠することなく、国が国民を守る意思を示したものと受け止めたい。

旅券法19条は「名義人の生命、身体または財産の保護のために渡航を中止させる必要がある」と認められる場合、旅券の返納を命ずることができると定めている。

昭和26年の制定後、この条文をもとに返納命令が出されたのは初めてだという。極めて抑制的に運用されてきた証しといえる。

憲法22条は海外渡航の自由を認めているが、旅券法による返納命令は、この例外を定めたものと解釈されるべきだろう。憲法21条による「言論の自由」についても同様のことがいえる。

残虐な殺害映像が流された後藤さんはベテランのジャーナリストだった。紛争地域での取材に伴う危険を誰よりも知っていたはずだが、外務省による再三の渡航中止要請を振り切ってシリア入りし、イスラム国に拘束された。

返納命令のフリーカメラマンにも、外務省は渡航の自粛要請を繰り返していた。

相手はテロ集団である。計り知れない危険を前に、今回の措置はやむを得なかった。菅義偉官房長官が「ぎりぎりの慎重な検討を行って判断した」と述べたことも理解できる。

ただし、これを前例に同種の命令が乱用されるようなことがあれば、強く批判する。メディア規制のため、恣意(しい)的に運用することは許されない。

公に資するため、そこがどうしても必要な現場であると判断すれば、政府などの意向に反して取材に赴くケースはあり得る。

いたずらに「報道の自由」を振りかざして社会を混乱に陥らせることは厳に慎まなくてはならないが、一方で本当にこれを守るべきときは、闘う。それは報道に携わる者の矜持(きょうじ)でもある。

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