最高裁死刑破棄 議論深めるきっかけに

朝日新聞 2015年02月06日

裁判員と死刑 市民参加の責任と意義

たとえ最終結果に反映しなくても、裁判員が判断にかかわる意味は失われない。

ふつうの市民が加わった裁判員裁判の死刑判決が、高裁で無期懲役になり、最高裁がそれを支持して確定する。

裁判員裁判の死刑判決は昨年末までに22件あり、うち今回の2件を含む3件が高裁で無期懲役に変わった。

市民が悩み抜いた末の死刑判決がプロの裁判官に覆されることは、関係者ならずとも複雑な思いを抱くかもしれない。何のための市民参加なのか、と。

だが、問われているのは、公権力が人の命を奪うという究極の刑罰である。別の法廷で、違う目で精査し、ほかの刑の選択肢があると判断するなら、避けるのは当然のことだ。

担当する裁判員や裁判官によって結果が異なることもある。裁判員裁判の結果だからと重きを置きすぎれば、裁判の公平さへの信頼が揺らぐ。

09年に制度が始まってから、裁判員裁判の控訴審はもっぱら事後的審査へと役割を変えた。市民に参加を義務づけながら、その判断を高裁が次々と否定することになっては、制度の理念が損なわれるからだ。

実際のところ、性犯罪に対する刑が厳しくなった、刑の執行を猶予する場合に保護観察付きが増えたといった、制度による変化が指摘されている。

とはいえ、市民感覚を法廷に持ち込みさえすればいいという制度ではない。主眼は裁判員と裁判官が対等に話し合い、犯した罪に過不足ない刑を選びとっていくところにある。

今回の2件はいずれも殺された被害者が1人で、従来の死刑判決の基準からは外れていた。裁判員は、被告の前科や、殺人事件の前後に起こした別の事件なども重視したが、最高裁はそれらは死刑を選ぶ理由としては不十分と判断した。

被告の前科や人格などを、裁判でどこまで考慮するかをめぐっては、ふつうの市民と法律家の間に意識差が生じがちだ。だからこそ、市民の参加に意味があるというべきだ。

最高裁は今回の補足意見で、死刑に対する国民の意見、感覚は多様なことに触れ、「国民の司法参加の意味・価値が発揮される場面」であるとした。まっとうな見方である。

これまでの司法判断の積み上げを踏まえたうえで、今後どう向き合うか、裁判官と裁判員が議論を続けていくしかない。

司法は誰かにゆだねるものではなく、国民全員が当事者だ。その認識をさらに深めたい。

毎日新聞 2015年02月06日

最高裁死刑破棄 議論深めるきっかけに

裁判員裁判の死刑判決を無期懲役に減刑した2件の高裁判決について、最高裁が高裁の判断を支持する決定を出した。

読売新聞 2015年02月07日

最高裁死刑破棄 裁判員に公平と慎重さ求めた

死刑は、命で罪を償わせる究極の刑罰である。その適用に慎重さと公平性を求めた最高裁の判断は、うなずける。

1審の裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役とした2件の高裁判決を、最高裁が支持する決定を出した。

いずれも殺害された被害者が1人の事件だ。計画性がなく、従来の裁判官だけの裁判では、死刑を選択することは少なかった。

最高裁は「裁判員裁判であっても、過去の量刑判断を出発点として、評議を行うべきだ」と指摘した。長い期間をかけて蓄積されてきた裁判例を重視する姿勢が、鮮明になったと言えよう。

千葉地裁の死刑判決は、被告が千葉大生の女性を殺害する前後に、別の強盗強姦ごうかん事件などを繰り返した点を重くみた。東京地裁は、妻子を殺害した前科のある被告が、強盗目的で男性を殺害したことを死刑判決の理由とした。

これに対し、最高裁は千葉の事件について、「被告の反社会的な性格を強調しすぎている」、東京の事件では「前科と犯行との関連が薄い」などと判断した。

最高裁は「死刑を科すには、具体的で説得力のある根拠を示す必要がある」とも言及した。2件の裁判員裁判の死刑判決には、それらが欠けていたということだ。

国民の視点や社会常識を判決に反映させることが、裁判員制度の趣旨だ。最高裁も過去の判決で、裁判員の判断を尊重すべきだとの見解を示している。

今回の決定で、裁判員が悩み抜いた末に出した結論を覆したことには疑問の声もある。

だが、裁判員制度を導入した結果として、死刑判断の在り方が従来と大きく変われば、司法の根幹である公平性が揺らぐ。

評議の際には、過去の量刑判断を踏まえ、裁判官と裁判員が慎重な検討を重ねることが大切だ。

無論、極刑を選択せざるを得ない事件はある。東京・秋葉原で2008年に7人が殺害され、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件は、その典型と言える。

裁判員制度の施行前に被告が起訴されたため、裁判官による裁判となった1審は死刑を言い渡した。高裁と最高裁も支持した。

今月2日の最高裁判決は、「周到な準備の下、強固な殺意に基づいた無差別殺人だ」と指弾し、死刑の適用について「是認せざるを得ない」と結論付けた。

凶悪犯罪を抑止するためにも、酌量の余地がないケースでは、毅然きぜんとした対処が必要である。

産経新聞 2015年02月07日

死刑判決破棄 永山基準見直しも議論を

裁判員裁判の死刑判決を破棄した2件の高裁判決を最高裁が支持した。国民視点の反映と、過去判例との、刑の公平性をどう共存させるかが問われていた。

死刑は究極の刑罰であり、慎重な判断が求められるのは当然である。一方でこの判断は先例を重視しすぎていないか。先例が現状に即しているかについても、議論を尽くしてほしい。

裁判員制度は、国民の司法参加により、その日常感覚や常識を判決に反映させることを目的に導入された。過去の公式に当てはめて量刑を決めるなら、制度の趣旨は生かされない。

無期懲役が確定する2件のうち、千葉県松戸市で女子大生を殺害して放火した被告は、他にも強姦(ごうかん)強盗事件を繰り返していた。都内の男性を殺害した被告は妻子を殺害した前科があり、出所半年で強盗殺人事件を起こした。

1審判決は他事件、前科なども重視して死刑を選択したが、東京高裁はいずれも「殺害の被害者は1人」で、強姦などの他事件には死刑はなく、前科事件は関連性が薄いとして死刑を破棄した。

殺害被害者が1人の場合は原則として死刑を回避するなどの判断は、「永山基準」に基づくものとされる。

これは連続射殺事件の永山則夫元死刑囚に対する昭和58年の最高裁判決が示した死刑適用基準で、動機、残虐性、殺害被害者数、被告の年齢など9項目を総合的に考慮し、やむを得ない場合に死刑選択が許されるとした。

また、最高裁の司法研修所は平成24年の報告書で過去30年間の死刑が確定した事件などを調査し、被害者1人で死刑が確定したのは仮釈放中の無期懲役囚によるものや、身代金誘拐の計画的事件などに限られるとしていた。

今回の最高裁決定でも千葉勝美裁判長は補足意見で「判例の集積からうかがわれる検討結果を量刑を決める共通認識とし、それを出発点として評議を進めるべきだ」とする一方、「従前の判例を墨守するべきであるとはしていない」とも述べている。

裁判員が苦慮に苦慮を重ねて出した死刑の結論が、過去の集積結果から逸脱した。「国民感覚や常識」と「先例の傾向」の間に距離があるなら、その理由、背景についての分析、議論を深めることも必要ではないか。

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