阪神大震災20年 減災に地域社会の力を

朝日新聞 2015年01月17日

阪神大震災20年 防災の日常化を進めよう

6434人の命を奪った阪神・淡路大震災から今日で20年。

この間、町は生まれ変わり、神戸市の人口は震災前を上回った。かつてのにぎわいが戻らない地域もあるが、人々の営みは息を吹き返したようにみえる。

だが、記憶が遠くなるにつれ、少しずつ「慢心」が忍び寄ってはいないだろうか。

神戸市では、震災後に誕生・転入した人が、住民の4割を超えた。兵庫県民2200人を対象にした昨年の県の調査によると、住んでいる地域が「安全」だと思う人は7割近くに達し、約65%が「地域の防災訓練に参加したことがない」と答えた。

東日本大震災を経てもなお、「阪神」の被災地でさえ、災害への構えが緩みつつある。

風化を防ぐにはどうすればいいのか。ヒントになりそうな地域が神戸市にある。

東灘区魚崎地区。昔ながらの人情が残るところだ。

先週土曜日、寒風が吹きつけるなか、200人近い住民が小学校の運動場に集まった。Tシャツや毛布で作った簡易担架でけが人に見立てた人を運んだり、消防署の職員から消火器の使い方を学んだり。

魚崎地区では震災の2年後から、ほぼ2カ月に1度、こうした訓練を重ねている。なぜ息長く続けられるのだろう。

地区のリーダー役、清原孝重さん(65)の答えは明快だ。

「次の災害への危機感です」

兵庫県の想定では、南海トラフ巨大地震があれば、魚崎地区のある東灘区には最短110分で最大3・3メートルの津波が到達するとされる。具体的な災害が迫っているという意識の共有が防災活動の原動力だというのだ。

「阪神」では、がれきの中から助けられた人の約8割が家族や近所の人によるものだった。消防は同時多発する火災や救助要請で大混乱し、道路も寸断されて身動きがとれなかった。「公助」の限界である。

清原さん自身、全壊した家の下敷きになり、近くの人に救われた。「結局、頼りになるのは『ご近所力』」。経験に裏打ちされた清原さんの言葉は重い。

とはいえ、災害に備え続けるのは容易ではない。ならば普段の生活や地域活動の中に防災を組み入れてはどうだろう。

「土手の花見の防災」という言葉がある。こんな逸話がもとになっている。

――むかしあるところに、決壊を繰り返す川があった。いくら工事の必要性を訴えても村人は集まらない。そこで、知恵者が土手にたくさんの桜を植えた。春になり、大勢の花見客が土手を踏み固めることで、堤防の強化につながった……。

魚崎地区では、訓練のたびに炊き出しをして交流を深めてきた。毎年2月には餅つきをし、体の不自由な人やお年寄りの家を回って餅を配る。その際「お変わりありませんか」と声をかけ、「要援護者リスト」を更新している。町おこしを防災につなげている好例といえよう。

日本は世界でもまれな災害大国である。

文部科学省の地震調査研究推進本部によると、今後30年以内にマグニチュード(M)8~9級の南海トラフ地震が発生する確率は約70%。首都圏に甚大な被害をもたらす恐れのあるM8級の相模トラフ沿いの地震も、今後30年以内に最大で5%、M7程度なら約70%の確率で起きると予測されている。

地震だけではない。噴火、台風、土砂崩れ。災害はいつ、どこで起きてもおかしくない。

ハードで守るには限界がある。それは「想定外」の津波が堤防を乗り越え、町をのみ込んでいった東日本大震災の例を見ても明らかだ。

やはり「防災力」を高めるしかあるまい。

重要なのは、学校の役割だ。

大津波に襲われた岩手県釜石市の小中学生は率先して高台に逃げ、約3千人のほとんどが助かった。「釜石の奇跡」と呼ばれるこの結果は、「被害想定を過信するな」という事前学習のたまものだった。

防災は、社会や理科などで触れるよう学習指導要領で定められている。だが、何をどう教えるか、中身は体系的に整理されているとは言いがたい。

「命を守る」を原点に、住んでいる地域が経験した災害の歴史やリスクに触れてみる。すべての子がこうしたことを学べば、家庭で話題になり、共に考えるきっかけにもなる。

地域の拠点として、学校を機能させることも大切だ。

少子化がすすみ、空き教室を抱える学校は多い。たとえばこうした場を活用し、普段から学校が地域の「たまり場」になれば、人と人とのつながりも生まれやすくなるだろう。

災害に強い国にするために、準備を急ぎたい。被害をゼロにはできない。しかし「減災」ならすぐにでも始められる。

毎日新聞 2015年01月17日

阪神大震災20年 減災に地域社会の力を

阪神大震災から20年を迎えた。兵庫県芦屋市の西法寺(さいほうじ)では発生の時刻、ドラム缶の釣り鐘を鳴らして犠牲者を悼む。たき火で暖を取り、湯を沸かし、被災者の冷え切った心と体を温めたドラム缶は、復興のシンボルでもある。

読売新聞 2015年01月17日

阪神大震災20年 復興の成果と教訓生かしたい

阪神大震災から、17日で20年を迎えた。6434人の犠牲者を悼むとともに、防災の重要性を再認識する日としたい。

横倒しになった高速道路の橋脚、街中のあちこちで上がる炎――。大震災の惨状が、改めて思い出される。

壊滅的被害を受けた神戸市などの被災地は、復興を遂げた。惨禍の痕を見つけるのも難しい。

神戸市が、街並みを元通りにするのではなく、災害に強い街づくりを進めてきたことは、他の自治体の参考になろう。

被害が大きかった地域には、再開発に合わせて防災公園を設けた。住民の避難場所となるだけでなく、広い空間を設けることで、火災の延焼を防ぐ狙いがある。

老朽家屋を撤去した跡地を更地のまま残す「まちなか防災空地」を増やしているのも、同じ目的からだ。市が、固定資産税を免除して、土地を借り受け、自治会などに管理を委ねている。

緊急車両の通行を想定した道路拡幅、生活用水確保のための水道管の耐震化にも力を入れた。

阪神大震災を契機に、地域住民が助け合う「共助」の大切さが注目されたことも忘れてはならない。倒壊した家屋から救助された生存者の約8割が、家族や近隣住民によって助け出された。

神戸市は震災後、自主防災組織の活性化に取り組んだ。地域住民が防災訓練を企画したり、地域を巡回して高齢者宅を把握したりと、様々な活動を続ける。住民同士の普段のつながりが、災害時の助け合いに生きるはずだ。

被災地には1年間で100万人以上のボランティアが駆けつけ、がれき処理などを行った。「ボランティア元年」と言われる。

今や、災害現場でボランティアの存在は欠かせない。東日本大震災の被災地でも、高齢者の見守りなどで被災者を支えている。参加した若者が次代のリーダーとなることを期待したい。

教訓もある。神戸市長田区の駅前商店街では、行政主導の再開発により高層ビルを建設し、新住民を呼び込んだ結果、コミュニティーが崩れたという。

商店街の理事長は、東日本大震災の被災地を訪れ、「住民自らが街づくりを考えないと、本当の復興にならない」と訴えている。

都市部が被害に見舞われた阪神大震災と、過疎地での被害が甚大だった東日本大震災では、復興の道程も異なるだろう。しかし、住民が主体となった地域再建が重要であることに、変わりはない。

産経新聞 2015年01月17日

阪神大震災20年 教訓生かし防災先進国に 自主、共助が復興早めた

「この度は違いました。真っ暗な闇の中で、大地の悪魔は、突然家を持ち上げたたきつけ、それでも気が済まず、両手で家を引き裂こうとしました。本気で殺しに来ている! 何故だ」

阪神大震災で亡くなった学生の葬儀で、恩師が読んだ弔辞の一節である。

20年前を思い出すと、決して大げさな表現ではない。

神戸の空を黒煙が覆った長田区の大火、数百メートルにわたって横倒しになった高架の阪神高速道路、いたるところでビルや民家が倒壊した。それは戦時中の空襲を体験した人々でなければ、見たことのない光景だった。

「この度は違いました」というのは、誰も予想していなかったからだ。SF作家の小松左京さんは、昭和40年代にベストセラーになった「日本沈没」を書くために歴史上の大地震や地殻変動を調べ尽くしたが、関西では文禄5(1596)年の伏見大地震が記録に残る程度で、阪神間をこのような直下型の大地震が襲うとは思ってもみなかった。

最大震度7。死者6434人、建物の全半壊24万9180棟、被害総額約10兆円。その時点で戦後最大の自然災害だった。

大きな犠牲の上の教訓を忘れてはならない。

≪「官に頼まず」の精神で≫

神戸の街を歩いた。倒壊したビルは建て替えられ、焼け跡は区画整理されて新しい建物が並ぶ。慰霊碑やモニュメントはあるが、外見上、震災の爪痕はもうない。

昨年11月、震災当時の兵庫県知事だった貝原俊民さんが不慮の交通事故で亡くなった。県庁への登庁に時間がかかり、地震発生から4時間もたっての自衛隊への派遣要請の遅れが、助かる命を救えなかったと非難された。長年、自衛隊を憲法違反としてきた社会党の委員長だった当時の村山富市首相も、同様の批判を浴びた。

災害時において、訓練された人員、装備を有する自衛隊ほど頼もしい存在はない。東日本大震災や昨年の御嶽山噴火などでのめざましい活動は記憶に新しい。阪神大震災以降、もはや自衛隊の出動をためらうことはありえない。

一方で、復興の先頭に立った貝原さんのリーダーシップには評価が高い。震災前に戻すのではなく、それを上回る新しいまちづくりをめざして「創造的復興」を掲げた。政府内には「焼け太りは認められない」との声もあったが、政府主導ではなく地元中心の復興を主張して押し切った。

被災地のニーズをくみ上げての復興計画には、各地にできた「まちづくり協議会」など住民組織が果たした役割も大きかった。「官に頼まず」は関西人の伝統的精神でもある。

まもなく4年を迎える東日本大震災は、福島第1原発の事故があり、災害の形態、広がりも大きく異なるが、復興のスピードは遅い。何より、被災地の未来像が見えにくい。阪神大震災を参考にすべきだ。

≪記憶に墨を入れよう≫

阪神大震災では、家屋に閉じ込められて助かった約16万4000人のうち、自力脱出が8割近い約12万9000人、家族や隣人、友人らに救出されたのが16・5%に当たる約2万7100人、消防、警察、自衛隊など公的機関による救出は5%未満の約7900人というデータがある。

時間との闘いという面もあるが、河田恵昭関西大教授によると、過去の大災害でもほぼ同じ傾向という。昨年11月の長野県北部の地震でも、近隣住民の助け合いによって死者が出なかった。

「自助」「共助」が防災の基本であることを心したい。

南海トラフ巨大地震は、東日本大震災を上回る被害が想定されている。常に備えを怠ってはならない。さらに、地震国であり、阪神大震災、東日本大震災を体験した日本は、防災先進国としての役割が期待される。

大阪市の木津川に架かる大正橋のたもとに、安政南海地震(1854年)の慰霊碑がある。石碑には津波によって多数の犠牲者を出した様子が細かに刻まれ、末尾にこう書かれている。

「願わくは心あらん人、年々文字よみ安きやう墨を入れたまふべし」

阪神大震災から20年は、あの体験を風化させないよう墨を入れるときだ。

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