日中共同研究 歴史認識の違い浮き彫りに

朝日新聞 2010年02月02日

日中歴史研究 政治との距離感が大切だ

日中歴史共同研究の報告書が公表された。中国側の求めで戦後の部分が非公開となるなど、問題は多い。だが、いくつもの困難を乗り越え、ここまでこぎ着けたことを評価したい。

歴史認識にかかわる問題は争いが多く、トゲも含む。それは専門家の冷静な議論に委ね、政治は未来志向で戦略的な協力関係を目指そう――。

小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝で冷え込んだ日中関係の打開のため、日本側が歴史の共同研究を提案。2006年10月の安倍晋三首相(当時)訪中で、中国側と合意した。

発端が政治主導であるうえ、相手は学問や表現が自由ではない中国である。日本の専門家には、成果が得られるのかという疑問が当初からあった。中国側にも「侵略戦争の責任を日本側が否定するのではないか」との警戒感が強かった。

しかし、歴史認識の違いが政治の世界だけでなく国民の感情にも大きな影を落とす日中関係で、日中の専門家が公に語りあい、成果を公表するという計画は画期的だった。

「古代・中近世史」と日本の戦後の平和的な歩みも含めた「近現代史」について、双方が論文を書き、意見を出し合う。討議の要旨もつける。日中平和友好条約締結30周年の08年には報告書を出す。

そんな当初の狙い通りに実現すれば、報告書は日中の歴史を考えたり、話したりするときにもっと役立つガイドブックになったことだろう。

研究の継続を確認した08年5月の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の訪日までは、議論は順調だった。だがその後、一般国民への影響などを理由に中国側が、討議要旨に続いて論文すべての非公表を求める事態に陥った。

論文や討議要旨のなかに、中国の一般市民の知らないこと、知らされていないことがあり、表に出せば問題が起きかねない。中国政府がそう恐れて待ったをかけたのだろう。政治との距離を置くという当初の目標が軽視されたことは、極めて遺憾だ。

とはいえ、曲折を経て1年以上遅れて公表された報告書に驚くような内容はない。南京大虐殺の犠牲者の数も中国側は最大で30万超と主張するなど、評価の違いも当然のことながら目立つが、一方で総じて抑制的な表現が多く、淡々と書かれている。双方の研究者とも、日の丸と五星紅旗から距離を置こうとした跡がうかがわれる。

共同研究はこれからも続くことが決まっているが、戦後部分の公開を急いでほしい。日中間で相互理解を深めるのは当然だが、研究は日中で独占されるべきものではない。諸外国の幅広い有識者の知恵や研究成果をとり入れてもらいたい。研究が静かに続けられるよう見守りたい。

毎日新聞 2010年02月03日

日中歴史研究 まず一歩、さらに前へ

日中両国の有識者による初の歴史共同研究の報告書がまとまり、公表された。第二次世界大戦後の現代史部分や、論議の過程を記録した討議要旨が中国側の要請で非公開とされたのは残念だが、先の戦争の負の遺産を抱える両国が歴史に向き合い報告書をまとめ上げたことは前向きに評価したい。

共同研究は06年10月の安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の会談で合意したのを受け同年12月に日中各10人の有識者でスタートした。

日中関係は小泉内閣時代、首相の靖国神社参拝によって首脳会談が開けないほど悪化した。このため、共同研究には歴史問題を学識経験者の議論にゆだねることで政治と切り離そうという狙いが込められていた。

報告書は古代から近現代までの歴史を双方の委員が記述している。先の戦争に関しては双方に歩み寄りの努力が見られる部分がある一方、依然として認識の溝が埋まらない問題も多い。

例えば、日中全面戦争への引き金となった盧溝橋事件について日本側論文は「最初の発砲事件は『偶発的』であり……」とし、中国側論文にも「発生は偶然性をもっているかもしれない」との記述がある。また、日本の敗戦について中国側は「歴史の転換点でもあった。日本人民は平和発展の新たな道を歩み出した」と指摘している。従来より柔軟な視点と見ることができよう。

日中戦争については、中国側が日本の侵略を繰り返し指摘しているのに対し、日本側も「戦場となった中国に深い傷跡を残したが、原因の大半は日本側が作り出したものと言わなければならない」としている。

一方南京虐殺事件では、犠牲者数を中国側が極東国際軍事裁判と南京国防部軍事裁判所の判決などをもとに「延べ三十余万人」としているのに対し日本側は「20万人を上限に4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」と記述し、認識の差を示している。

歴史認識の溝を埋める作業が困難を伴うのはもちろんだ。今回、天安門事件(1989年)などを含む戦後史部分と討議要旨が非公表とされたことがその一端を示している。「天安門事件の評価など共産党指導部の正当性を揺るがす問題に触れることを中国側が恐れた」(日本側委員)との指摘が当たっているのだろう。

双方は新メンバーで第2期の共同研究を行うことにしている。戦後史について中国側座長の歩平・社会科学院近代史研究所長は「第2期の継続研究としたい」と述べている。歴史に関する共通理解を研究者だけでなく国民レベルでも深めるために、次はぜひ公表してほしい。

読売新聞 2010年02月02日

日中共同研究 歴史認識の違い浮き彫りに

民族や国家が異なれば歴史に対する考え方もおのずと異なる。

まして共産党のイデオロギーの下で歴史解釈が行われ、学問の自由が制約されている中国との間で歴史認識を共有することは、きわめて困難なことであろう。

日中両国の有識者による日中歴史共同研究委員会が発表した報告書は、そうした歴史認識の大きな差異を改めて浮き彫りにした。

報告書は、古代から近現代まで時代順に日中双方の学者の主張を両論併記の形でまとめた。

例えば1937年の南京事件の犠牲者数について、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」と指摘した。

しかし中国側は、中国共産党の公式見解である「30万人虐殺説」を譲らなかった。実証的な研究では無理のある数字である。

日中戦争についても、日本側が計画的な侵略ではなかったと指摘したのに対し、中国側は全面的な侵略戦争と位置づけた。

中国側の変化の兆しと言えば、日中戦争の発端となった盧溝橋事件が偶発的なものであった可能性に触れたことぐらいであろう。

注目された戦後史の部分は、中国側の意向で公表が見送られた。89年の天安門事件などに対する日本側の評価は、中国現政権への批判に直結しかねないためだ。

今回の共同研究の結果を報じたNHKの海外テレビ放送も、中国国内では途中で一時中断された。天安門事件などの映像が放映されるのを中国当局が遮断しようとしたものと見られる。

このような報道の自由すら制約されている状況に照らせば、柔軟な歴史の論議にはおのずと限界があったということだろう。

日中歴史共同研究は2006年に安倍首相と胡錦濤国家主席の首脳会談で決まった。歴史問題を政治と切り離し、学術的な議論に委ねることが狙いだった。

残念ながら中国側の政治的な制約によって、期待されたような実証的な議論は深まらなかった。

しかし、両国を代表する学者が重要な問題について議論し、報告したこと自体に、一定の意義があったと言える。

委員会は今後メンバーを改め、第2期の研究に継続的に取り組むことになっている。

日中間で歴史認識を共有する難しさは理解できる。両国の戦略的互恵関係を深めていくためにも、冷静で実証的な議論を積み重ねていくことが必要だ。

産経新聞 2010年02月01日

日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ

日中の有識者による歴史共同研究の報告書が発表された。両国の歴史に対する考え方の違いが一段と明確になった。

この共同研究は、平成18年10月の安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の合意に基づき、3年がかりで行われた。両国の認識の隔たりが大きく、両論併記の形がとられたのは当然である。

近現代史の部分を読むと、日本側の記述はおおむね客観的な資料に沿って書かれている。これに対し、中国側の記述は中国共産党史観の域をほとんど出ていない。

ただ、南京事件(昭和12~13年)のくだりで、中国側の主張に引きずられているのは問題だ。

日本側の記述は「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と「虐殺」を認めている。その数は、東京裁判で認定された「20万人以上」、中国が主張する「30万人以上」などの数字を挙げ、「日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」としている。

しかし、「南京虐殺」や「南京大虐殺」は当時の中国国民党が宣伝したものであることが最近の実証的な研究で分かってきた。日本軍による集団的な虐殺の有無も、はっきりしていない。こうした日本側の研究状況を過不足なく正確に記述すべきだった。

「南京虐殺」で認識が一致したといっても、共同研究に参加した学者間でのことだ。それがあたかも歴史の真実であるかのように、日本の教科書などで独り歩きするようなことは避けたい。

今回、中国側が戦後史の部分の発表を拒否し、それに日本側が同調したことも問題である。このため、日本側の研究論文まで非公開にされてしまった。中国当局は天安門事件(1989年)に関する厳しい言論統制を行っており、日本側の論文が公表されることで当局への批判が誘発されることを恐れたためとみられる。

日中両国の共同研究の成果は、等しく両国民に公開されるのが筋だ。日本政府は改めて中国側に公表を求めるべきである。

共同研究は今後も続けられる。そもそも、独裁国家の中国と学問の自由がある日本との間で、大きな成果は期待できない。日本側の学者はこのことをよくわきまえて共同研究に臨む必要がある。

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