香港の安定回復に必要なのは、実力の行使ではない。対話を通じて「高度な自治」を守らない限り、持続的な安定を実現することはできない。
香港警察は、政府庁舎の周辺道路で、学生や民主派団体支持者らのデモ隊を強制排除した。衝突が起き、数十人が逮捕された。
学生らがデモを始めたのは9月下旬だ。中国の習近平政権が決めた“民主派排除”の行政長官選挙制度の撤回を求めている。
デモの長期化に伴い、多くの住民が経済的損失や生活上の不便に不満を示し始めた。
香港政府の強制排除の決断にはこうした世論の分裂に乗じて、勢いに陰りが見えるデモ隊をじり貧状態に追い込む狙いがあろう。
ところが、排除に加わった警官数人が、無抵抗のデモ参加者を暴行する模様がテレビで放映され、住民に衝撃を与えた。
政府には誤算だったはずだ。梁振英・行政長官は、懸案となっていた政府と学生の対話に応じる意向を表明した。ただ、行政長官選挙制度の見直し要求はあくまで拒否する方針を強調している。
対話姿勢の一方で、デモを完全に強制排除する時機をうかがう、硬軟両様の構えと言えよう。
これでは、対話表明が、政府批判を一時的にかわすための方便と見られても仕方あるまい。習政権が決めた有名無実の「普通選挙」を住民に押しつけるのでは、香港特有の「高度な自治」を維持したことにはならない。
力による異論の抑圧は、香港の「中国化」にほかならず、「一国二制度」の自殺行為と言える。
その意味で、デモ反対派が、学生を支持する日刊紙の社屋を包囲し、新聞発行を妨害しているのは看過できない。香港政府は、デモ反対派の業務妨害を取り締まるなど、報道の自由を守るべきだ。
問題の根源は、習政権が香港の自治を軽視し、「北京支配」を一方的に強めていることにある。
共産党機関紙・人民日報はデモについて、政権転覆を狙う「革命」と見なす論評を掲載した。1989年の天安門事件時と同様、「動乱」との表現も使った。デモ隊への厳しい姿勢が際立っている。
今週の党中央委員会総会や北京で来月開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を前に、習政権が事態の収拾を急いでいるのは間違いない。
だが、人権を軽視した実力行使は、国際社会の批判を高めるだけだ。習政権が熱望する「APECの成功」はおぼつかない。
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