足利事件再審 この教訓をくみ尽くせ

朝日新聞 2010年01月23日

足利事件再審 この教訓をくみ尽くせ

「ずるいんじゃないか、君」「なんで僕の目を見て言わないの」。DNA型鑑定をもとに検事が追及する。

「ごめんなさい。勘弁してくださいよお」。泣きながら否認を撤回し、被告は再び犯罪を告白する。

栃木県足利市で起きた女児殺害事件の犯人とされ、無期懲役で服役中に釈放された菅家利和さんに対する再審公判で、取り調べの様子を記録した録音テープが再生された。

身体への拷問によってではなく、精神的に追いつめられて「自白」したことがわかる。無実の主張が否定され続け、ついに緊張の糸が切れて犯人を演じる。これこそが、事件を犯してもいないのに、うその自供をしてしまう典型だと心理学者は指摘する。

自分がもし菅家さんの立場だったらと、背筋が寒くなる、恐ろしい事実である。

うその自供と犯行現場の状況には食い違う点もあった。検事自身が当時、菅家さんの「自白」に不自然さを感じている様子も録音からうかがえる。

ところが、検事は再び菅家さんを「自白」させてしまう。後に覆された精度の低い当時の鑑定で、菅家さんのDNA型と被害者の着衣に付いていた体液が一致していたこともあった。

しかし、自白偏重の捜査手法に頼るばかりに捜査官が自縄自縛に陥り、ほかの事実に十分目を配ることができなかったのではないか。その結果、冤罪を生むだけでなく、真犯人をも逃してしまった。

録音テープに登場した当時の検事は証人として出廷し、「犯人でなかったことを非常に深刻に受け止めている」と述べたが、菅家さんが求めた謝罪はしなかった。

だがこれは、一人の担当検事だけに責任があるのではなく、捜査当局全体の欠陥が、冤罪と捜査の失敗を生んだととらえるべきだろう。

警察と検察は、自白に頼る意識を捨て、客観的な証拠を集めて犯罪の立証をめざすという捜査の基本を徹底してもらいたい。密室での取り調べを全面的に録画録音する「可視化」は、そのための第一歩だ。

全面可視化を公約としてきた民主党内には、ここにきて可視化法案の国会への早期提出、成立をいう動きがある。だが、もしこれを小沢一郎幹事長の資金問題をめぐる検察への圧力に利用しようとするなら、まったくの筋違いである。

捜査当局は取り調べの一部を可視化したが、「事件の真相解明を難しくする」と全面実施には抵抗が強い。

しかし、意識と制度の改革がなければ、捜査と裁判への国民の信頼を失い、日本の治安の根幹が揺らぎかねない。足利事件捜査の大失敗はそれぐらい深刻に受け止めるべきものだ。

毎日新聞 2010年01月26日

足利事件テープ 捜査の向上に生かせ

「実際にはどうなの」「やってません」「やってないのに、やったって話したの?」--。沈黙とすすり泣きをまじえ、菅家利和さんは検事とやりとりを続ける。録音テープからは、訴えが届かない菅家さんの絶望感が伝わってくるようだ。

栃木県足利市で90年、女児(当時4歳)が殺害された足利事件で宇都宮地裁の再審公判が開かれた。公開の法廷での異例のテープ再生は、密室の取り調べがどのようなものかを端的に示した。

菅家さんは足利事件について、いったんは否認しながら、「自白」に追い込まれていく。

もし、菅家さんが「自白」した場面だけが再生されたら、どういう印象だろうか。やはり、取り調べの録音・録画(可視化)は、全面的にすべきである。

ただし、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体をめぐる事件をけん制するかのように、同党内から今国会での可視化法案成立を図る動きが出ていることには賛成しかねる。

法務省は、法制審議会で議論したうえで法案提出を図る考えだ。捜査当局の事情も十分聴き、議論を深めるべきだ。政治側の理由で拙速に審議するテーマではない。

テープ再生からは、捜査当局に突きつけられた教訓も見えてくる。

怒鳴るわけではなく、取り調べはむしろ淡々と進む。証人尋問に立った検事は、自白の強要を否定した。だが、真犯人しか知りえない「秘密の暴露」はなく、自白もパターン化している。典型的な冤罪(えんざい)の構図が透けてみえる。しかし、「君はずるい」と時に語気強く迫る検事は、菅家さんの声を聞く耳を持たなかった。

それは、検事自身が「有力な証拠と思っていた」というDNA鑑定の証拠能力に依存し過ぎたからではないか。当時、菅家さんと殺害された女児の下着の遺留体液のDNAは一致したと結論付けられた。結果的に、その精度は低かった。

「自白」に頼らず、物証を中心に証拠を積み重ねる。捜査の原点に立ち返ってほしい。

検察の「オーソドックスな調べだ」とのコメントにも首をかしげざるを得ない。検察は容疑者を起訴する権限を持ち、警察とは別の角度でのチェックが求められる。その役割の大きさを自覚してほしい。法廷で検事の謝罪がなかったのも残念だ。

「今思うと、自分の気が小さかった」と菅家さんは会見で振り返った。とはいえ、密室での長時間の取り調べという状況下で言い分が否定され続ければ、精神的に追い詰められるのは想像に難くない。

今後、重大事件に立ち向かう裁判員にも意味あるテープ再生だった。

この記事へのコメントはありません。

この社説へのコメントをどうぞ。
お名前
URL
コメント

この記事へのトラックバックはありません。

トラックバックはこちら
http://shasetsu.ps.land.to/trackback.cgi/event/192/