報道の自由は、民主主義社会を支える主柱のひとつである。その原則を顧みない国に、真の安定と発展はない。
中東の大国エジプトに暗雲が広がっている。言論弾圧にしか見えない報道関係者の拘束や投獄が続いているからだ。
衛星テレビ局アルジャジーラの記者3人に今月、懲役7~10年の判決が言い渡された。
昨年夏のクーデターのあと、カイロで激化した街頭デモなどを取材し、「内戦状態」と報じたことが問題視された。
勾留はすでに半年間に及ぶ。公判では、虚偽の報道やテロ組織支援などの罪に問われたが、確かな証拠は何も示されないまま有罪が宣告された。
オーストラリア人のピーター・グレスト記者についての「証拠」は、記者が以前にアフリカで撮った番組映像など、まるで無関係なものだった。
エジプト人のバヘル・ムハンマド記者には、「武器所持」の罪も加えられた。治安部隊が発砲したデモ現場から持ち帰った銃弾の空薬莢(やっきょう)ひとつが理由とされた。
およそまともな司法判断とは言えない。それを許しているのは、クーデターで実権をにぎった元軍総司令官、シーシ大統領が率いる強権政治である。
前政権を支えた「ムスリム同胞団」を抑えこもうとするあまり、その支援者のデモや当局の取り締まりを取材するメディアも許さない姿勢に傾いている。
国際組織「ジャーナリスト保護委員会」によると、クーデター以降、拘束された記者は65人以上。昨年1年間で職務中に殺害された記者は6人を数え、シリア、イラクに次いで多い。
どの国であれ、どんな政治状況や対立構図であれ、そこで働くジャーナリストの使命は当事者の現場を取材し、事実を世界に伝えることにある。
当局が治安維持の名目を掲げたとしても、記者の当然の仕事を犯罪扱いすることは国際社会から容認されるはずがない。
国連事務総長は判決について「深く懸念する」との声明を出し、多くの国々や人権団体が批判の声をあげている。
エジプト当局は、虚偽の報道によって誤った国のイメージが世界に広められたと記者たちを糾弾したが、全く的外れだ。
国の評判をおとしめているのは、報道を萎縮させようとする今の当局自身の偏狭さである。エジプトは本来、もっと寛容で懐の深い国であるはずだ。
シーシ政権と司法は一刻も早く記者たちを解放し、報道の自由を認めなくてはならない。
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