「不起訴」希望発言 首相の資質を欠いている

朝日新聞 2010年01月23日

鳩山首相発言 あまりに軽率、思慮不足

また、鳩山由紀夫首相の口から、びっくりする発言が飛び出した。

政治資金規正法違反容疑で東京地検に逮捕された民主党の石川知裕衆院議員について、語った言葉だ。

民主党として石川議員を処分するのか、それは起訴前か、起訴後か。一昨日、そうただした記者団に対し、首相は「仮定の話に答える必要はないかもしれませんが、起訴されないことを望みたいとは思いますが、どういう状況になるかをもって判断をしたいと思います」と語った。

検察庁も行政の一機関である。その行政のトップに立つ首相が「起訴されないことを望む」と発言すれば、字義通りにとれば大変なことである。検察の捜査への干渉、圧力、事実上の指揮権発動……。大げさに言えば、そんな言葉が浮かんでくる。

ただ、首相自身にはまったくそうした意図はなかったようだ。その後「捜査によって無実が証明されればいいという思いで述べた。捜査に介入する意図は毛頭持っていない」と釈明し、一夜で発言を撤回した。

無実であってくれれば、そもそも処分などを考える必要もないのだが。首相はこう言いたかったのだろう。若手議員への、党代表としての親心でもあったかもしれない。

しかし、これは通用しない。行政権力全体に責任を負う首相の立場をわきまえない、きわめて軽率、無責任な発言だった。

このところ首相の口は滑りがちだ。石川議員ら側近3人を逮捕した検察と「断固戦う」と宣言した小沢一郎幹事長に対し、「信じています。どうぞ戦ってください」と語った。

同志として励ましただけ、と首相は抗弁している。ただの友人ならそれでも通ろうが、今や民主党は政権党となり、鳩山氏はその指導者なのだ。公正中立な捜査を促しこそすれ、予断を与えるような発言は控える責任がある。自らの立場を忘れ、まるで私人であるかのような発言を懲りずに繰り返す姿には首をかしげる。

首相はきのうの衆院予算委員会でも小沢氏を「同志」と呼び、「信じたい」と繰り返した。一方で、信じる根拠は何か、首相に説明責任があるのでは、と問われたのには「個人的な政治資金の問題をすべて存じているわけではない。説明責任が生じるとは思っていない」とかわした。いかにも軽い。

首相として語るべきことは何か。地検の捜査については中立の立場を明言する。幹事長続投を了承した小沢氏に、記者会見や国会で説明責任を果たすよう促す。企業・団体献金の全面禁止の法整備を指示する。

もうひとつある。政権への信頼は、首相自らの政治資金問題でも揺らいでいることを忘れてもらっては困る。

読売新聞 2010年01月23日

捜査「口先」介入 耐えられない首相発言の軽さ

鳩山首相がこれ以上、軽率な発言を続けるなら首相としての資質に疑問符がつくだろう。

首相は、小沢民主党幹事長の資金管理団体の土地購入事件で逮捕された石川知裕衆院議員について、「起訴されないことを望みたい」と述べた。看過できない発言だ。

ところが、一夜明けると一転、「捜査に介入するつもりはない」と釈明した。衆院予算委員会では発言そのものを撤回した。

首相は国会答弁で、今回の事件に関して「国策捜査」だとは認識しておらず、検察は公正でなければならないと明言している。

その舌の根の乾かぬうちに、これと矛盾するような発言をしたのは、仲間への「友愛」ゆえか。まったく、首相という立場を失念していると言わざるをえない。

それにしても、首相は何度、同じ過ちを繰り返すのか。

首相は先週、小沢幹事長に「闘って下さい」と言って激励した。しかし、これも後になって「検察批判とか、捜査に予断を与えるとかではない」と、釈明に追い込まれている。

検察の職務は、行政機構の一部とはいえ、司法権に類似する独立性が認められなければならない。捜査に介入するような発言は、指揮権発動と受け止められかねない。今後は、厳に慎むべきだ。

首相の迷走発言は、これにとどまらない。

米軍普天間飛行場の移転問題でも、移転先や決定時期についての発言が揺れ続けている。来日したオバマ米大統領には、「トラスト・ミー(私を信じてほしい)」と呼びかけながら、年内決着を図ろうとしなかった。

クリントン米国務長官との会談後は、決着先送りについて「十分に理解をいただいた」と述べて、物議をかもしている。

普天間移設問題の混迷も、こうした首相の言葉の軽さが一因、とみられても仕方あるまい。

麻生前首相の場合も、失言と釈明が多かった。定額給付金や郵政民営化問題などをめぐる軽はずみな発言が、混乱を引き起こし、内閣は自壊していった。

鳩山首相が国民に直接、自分の「思い」を伝えたいというのは理解できる。だが、まるで「思いつき」のようにしゃべっていては、前内閣の二の舞いになろう。

最高指導者が不用意な発言をして、その都度撤回する。これでは、国民の信頼を損なうだけでなく、政治不信を増幅させてしまうことを首相は肝に銘じてほしい。

産経新聞 2010年01月23日

「不起訴」希望発言 首相の資質を欠いている

鳩山由紀夫首相が検察捜査への介入発言をやめない。

民主党の小沢一郎幹事長に対して「(検察と)どうぞ戦ってください」と述べたことが批判されたばかりだが、今度は小沢氏の資金管理団体の土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件で、すでに逮捕された石川知裕衆院議員について「起訴されないことを望みたい」と語った。

行政のトップが特定の刑事事件の捜査の行方について一方的な期待感を表明することなどあってはならないことだ。司法当局の独立性を侵害し、法の統治を逸脱する行為である。首相としての資質が問われている。

首相は22日の衆院予算委員会で「誤解を与えてしまうなら撤回したい」「検察の捜査に介入する意図は毛頭ない」と述べた。21日夜に記者団に語った不起訴を願う発言を一晩で撤回した格好だ。

釈明や撤回に言及しているが、度重なる発言は、首相自身が先頭に立って捜査を妨害しているように国民の目には映る。真相解明のための捜査に公正・中立を保つことこそ首相の責務だろう。

平野博文官房長官は22日の会見で「慎重に発言した方が誤解を招かない」と苦言を呈した。

首相は21日夜の発言の際に「この逮捕の事由にもよく見えないところがある」と捜査に対する疑問も呈している。検察捜査に対する発言を確信的に重ねているとしか思えない。首相と政権与党の最高実力者である小沢氏が連携し、政権内部で検察当局と対決する構図は異様だ。

首相の検察批判に加え、土地購入事件をめぐる報道に対し、看過できない閣僚発言も出てきた。放送行政を管轄する原口一博総務相が「『関係者によると』という報道は、公共の電波を使ってやるにしては不適だ」と、テレビ報道のあり方を批判した。平野官房長官も「『関係者によると』との表現で、一方的に出てくる点が少し偏っている」と述べた。

マスコミ側も、情報の出どころをできるだけ特定して報じる方が望ましいが、取材源の秘匿が必要な場合は「関係者」を用いることがある。

これらは知る権利や報道の自由の観点から、メディアが判断すべきことだ。閣僚が言及するのはきわめて問題が多い。都合の悪いマスコミ報道を牽制(けんせい)するねらいがあると受け止められかねない。

朝日新聞 2010年01月22日

総務相発言 政権党の短慮にあきれる

たとえ本音であれ、発言者の自覚や品性が疑われるようなことは公言しない。それが良識というものだ。権力を持つ人ならば、なおのこと。発言の影響を想像し、言っていいこと、悪いことを慎重に考えねばならない。

こんな当たり前の思慮分別がないのだろうか。そう疑わざるを得ない政府・民主党の議員の発言が相次いでいる。同党の小沢一郎幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反容疑事件にからんでのことだ。

原口一博総務相が記者会見で「関係者という報道は、検察の関係者なのか、被疑者の関係者なのか。少なくともそこは明確にしなければ、電波という公共のものを使ってやるにしては不適だ」と批判した。テレビ、ラジオ報道を想定しての発言だろう。

情報源は可能な限り明示するべきだ。しかし取材源を隠さないと得られない情報もある。その場合、情報源を守るのは最も重要な報道倫理の一つである。必要な情報を社会に提供し、民主主義を守るというジャーナリズムの役割を果たすために不可欠なことだ。

報道に携わる者は安易にあいまいな表現をしないよう、自らを厳しく律しなければならない。しかし、最終的にどう報じるかは、あくまで各報道機関が独自に決めることだ。

それを規制するかのような発言を、放送局に免許を与える権限を持つ総務相がした。原口氏はその後、「放送内容に介入する気はない」と釈明したが、自らの言葉が報道への圧力になりかねないということについて、あまりにも自覚がなさすぎる。

民主党は「捜査情報の漏洩(ろうえい)問題対策チーム」の設置を決めた。「政治が検察によって抹殺されてよいのか」という激しい声を上げる議員グループもある。総務省政策会議の場で、記者クラブについて「各省庁のクラブは全部省庁に乗っ取られて、まともな記事が書けない」と述べた議員もいる。

政権党の議員として短慮としかいえない。権力を持つことの意味を理解しているのだろうか。

民主党議員はまず、疑惑を持たれている小沢氏に対し、記者会見をせよ、国会で説明を尽くせと求めるのが筋ではないか。だが、そうした声はあまり聞こえない。同党は小沢氏の国会への参考人招致にも応じない構えだ。

小沢氏は選挙対策や党の資金、人事を差配する立場にいる。昨年暮れの予算編成も「要望」にほぼ沿う形で決着した。だからといって、小沢氏の機嫌を損ねることは言えないのであれば、政権党の議員の資格を疑われる。

捜査や報道への乱暴な批判の代わりに、疑惑を晴らすことに力を注ぐべきだ。野党ではない。国家権力を担い、国の針路を定める政権党である。その自覚をしっかり持ってもらいたい。

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