集団的自衛権 無責任極まる与党協議

朝日新聞 2014年07月02日

集団的自衛権の容認 この暴挙を超えて

戦後日本が70年近くかけて築いてきた民主主義が、こうもあっさり踏みにじられるものか。

安倍首相が検討を表明してからわずかひと月半。集団的自衛権の行使を認める閣議決定までの経緯を振り返ると、そう思わざるを得ない。

法治国家としてとるべき憲法改正の手続きを省き、結論ありきの内輪の議論で押し切った過程は、目を疑うばかりだ。

「東アジアで抑止力を高めるには集団的自衛権を認めた方がいい」「PKOで他国軍を助けられないとは信じがたい」

一連の議論のさなかで、欧米の識者や外交官から、こうした声を聞かされた。

だが、日本国憲法には9条がある。戦争への反省から自らの軍備にはめてきたタガである。占領政策に由来するとはいえ、欧米の軍事常識からすれば、不合理な制約と映るのだろう。

自衛隊がPKOなどで海外に出ていくようになり、国際社会からの要請との間で折り合いをつけるのが難しくなってきていることは否定しない。

それでも日本は9条を維持してきた。「不戦の国」への自らの誓いであり、アジアの国々をはじめ国際社会への宣言でもあるからだ。「改めるべきだ」という声はあっても、それは多数にはなっていない。

その大きな壁を、安倍政権は虚を突くように脇からすり抜けようとしている。

9条と安全保障の現実との溝が、もはや放置できないほど深まったというなら、国民合意をつくった上で埋めていく。それが政治の役割だ。その手続きは憲法96条に明記されている。

閣議決定は、「できない」と政府が繰り返してきたことを「できる」ことにする、クロをシロと言いくるめるような転換だ。まごうことなき「解釈改憲」である。

憲法の基本原理の一つである平和主義の根幹を、一握りの政治家だけで曲げてしまっていいはずがない。日本政治にとって極めて危険な前例になる。

自民党の憲法改正草案とその解説には「公益及び公の秩序」が人権を制約することもありうると書いてある。多くの学者や法律家らが、個人の権利より国益が優先されることになると懸念する点だ。

極端な解釈変更が許されるなら、基本的人権すら有名無実にされかねない。個人の多様な価値観を認め、権力を縛る憲法が、その本質を失う。

安倍政権による安全保障政策の見直しや外交が、現実に即しているともいえない。

日本がまず警戒しなければならないのは、核やミサイル開発を続ける北朝鮮の脅威だ。

朝鮮半島有事を想定した米軍との連携は必要だとしても、有事を防ぐには韓国や中国との協調が欠かせない。しかし両国との関係が冷え切ったまま、この閣議決定がより厳しい対立を招くという矛盾。

尖閣諸島周辺の緊張にしても、集団的自衛権は直接には関係しない。むしろ海上保安庁の権限を強めることが先との声が自衛隊の中にもあるのに、満足な議論はなされなかった。

集団的自衛権の行使とは、他国への武力攻撃に対し自衛隊が武力で反撃することだ。

それは、自衛隊が「自衛」隊ではなくなることを意味する。くしくもきのう創設60年を迎えたその歴史を通じても、最も大きな変化だ。

自衛隊は日本を守るために戦う。海外で武力は使わない。そんな「日本の常識」を覆すに足る議論がなされたという納得感は、国民にはない。

つまり、自衛隊員を海外の、殺し、殺されるという状況に送り込む覚悟が政治家にも国民にもできているとはいいがたい。

それは、密室での与党協議ではなく、国会のオープンな議論と専門家らによる十分な論争、そして国民投票での了承をへることなしにはあり得ない。

安倍政権はそこから逃げた。

首相はきのうの記者会見でも、「国民の命を守るべき責任がある」と強調した。

だが、責任があるからといって、憲法を実質的に変えてしまってもいいという理由にはならない。国民も、そこは見過ごすべきではない。

解釈は変更されても、9条は憲法の中に生きている。閣議決定がされても、自衛隊法はじめ関連法の改正や新たな法制定がない限り、自衛隊に新たな任務を課すことはできない。

議論の主舞台は、いまさらではあるが、国会に移る。ここでは与党協議で見られたような玉虫色の決着は許されない。

この政権の暴挙を、はね返すことができるかどうか。

国会論戦に臨む野党ばかりではない。草の根の異議申し立てやメディアも含めた、日本の民主主義そのものが、いま、ここから問われる。

毎日新聞 2014年07月01日

集団的自衛権 閣議決定に反対する

安倍政権は1日、集団的自衛権の行使容認を柱とする憲法解釈変更を閣議決定する。

憲法は、アジアや日本でおびただしい数の犠牲者を出した戦争の反省から、9条で海外での武力行使を禁じてきた。閣議決定は、その憲法9条を根幹から変え、「自衛の措置」の名のもと自衛隊の海外での武力行使を認めることを意味する。国のかたちまで変えてしまいかねない、戦後の安全保障政策の大転換だ。

これは解釈変更による憲法9条の改正だ。このような解釈改憲は認められない。私たちは閣議決定に反対する。

安倍政権がこれほどの転換をするのなら、一内閣の判断でできる閣議決定ではなく、憲法9条改正を国民に問うべきだ。

そもそも、なぜいま集団的自衛権の行使容認が必要なのか。自衛隊員はじめ国民の命に関わる問題であり、安倍政権にはまずしっかりした理由の説明が求められたはずだ。

だが、安倍晋三首相は、安全保障環境の変化で国民の命と暮らしを守るため、集団的自衛権の行使容認が必要としか言ってこなかった。

なぜその方法が集団的自衛権でなければならないのか。現在の憲法解釈のもと、個別的自衛権の範囲内で安保法制を整備するだけでは足りないのか。そういう疑問への納得できる説明はいまだにない。

政府が与党協議で、集団的自衛権の行使が必要として示した、米艦防護や機雷掃海など8事例の検討は、その答えになるはずだった。

ところが、個別的自衛権や警察権で対応可能という公明党と政府・自民党との溝が埋まらなかったため、与党協議は、事例の検討を途中放棄し、閣議決定になだれ込んだ。性急な議論の背景には、自公両党とも大型選挙のない今のうちに決めたいという党利党略があったとみられる。

沖縄県の尖閣諸島に武装集団が上陸した場合を想定した「グレーゾーン事態」への対応の議論はあっという間に終わった。国連決議にもとづく多国籍軍などへの後方支援の拡大、国連平和維持活動(PKO)参加中の駆けつけ警護の議論も生煮えのまま、閣議決定に盛り込まれる。

安倍政権がやりたかったのは結局、安全保障論議を尽くして地道に政策を積み上げることよりも、首相の持論である「戦後レジーム(体制)からの脱却」を実現するため、集団的自衛権の行使容認という実績を作ることだったのではないか。

昨年末の特定秘密保護法の制定、今春の武器輸出三原則の緩和と合わせて、日米の軍事的一体化を進める狙いもあったとみられる。

これほど重要な問題なのに結論ありきで議論が深まらず、残念だ。

読売新聞 2014年07月02日

集団的自衛権 抑止力向上へ意義深い「容認」

日米防衛指針に適切に反映せよ

米国など国際社会との連携を強化し、日本の平和と安全をより確かなものにするうえで、歴史的な意義があろう。

政府が、集団的自衛権の行使を限定的に容認する新たな政府見解を閣議決定した。

安倍首相は記者会見で、「平和国家としての歩みを、さらに力強いものにする。国民の命と暮らしを守るため、切れ目のない安全保障法制を整備する」と語った。

行使容認に前向きな自民党と、慎重な公明党の立場は当初、隔たっていたが、両党が歩み寄り、合意に達したことを歓迎したい。

◆「解釈改憲」は的外れだ◆

安倍首相が憲法解釈の変更に強い意欲を示し、最後まで揺るぎない姿勢を貫いたことが、困難な合意形成を実現させたと言える。

公明党は、地方組織を含む党内調整に時間を要したが、責任ある結論を出せたのは連立政権の一翼を担った経験の賜物たまものだろう。

政府見解は、密接な関係にある国が攻撃され、日本国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、必要最小限度の実力行使が許容されると記した。

集団的自衛権は「保有するが、行使できない」とされてきた。その行使容認に転じたことは、長年の安全保障上の課題を克服したという意味で画期的である。

今回の政府見解には明記されていないが、米艦防護、機雷除去、ミサイル防衛など、政府が集団的自衛権を適用すべきとした8事例すべてに対応できるとされる。

国連決議による集団安全保障に基づく掃海などを可能にする余地を残したことも評価できる。行使の範囲を狭めすぎれば、自衛隊の活動が制約され、憲法解釈変更の意義が損なわれてしまう。

新解釈は、1972年の政府見解の根幹を踏襲し、過去の解釈との論理的整合性を維持しており、合理的な範囲内の変更である。

本来は憲法改正すべき内容なのに、解釈変更で対応する「解釈改憲」とは本質的に異なる。むしろ、国会対策上などの理由で過度に抑制的だった従来の憲法解釈を、より適正化したと言えよう。

今回の解釈変更は、内閣が持つ公権的解釈権に基づく。国会は今後、関連法案審議や、自衛権発動時の承認という形で関与する。司法も違憲立法審査権を有する。

いずれも憲法の三権分立に沿った対応であり、「立憲主義に反する」との批判は理解し難い。

「戦争への道を開く」といった左翼・リベラル勢力による情緒的な扇動も見当違いだ。自国の防衛と無関係に、他の国を守るわけではない。イラク戦争のような例は完全に排除されている。

◆自衛隊恒久法の検討を◆

政府見解では、自衛隊の国際平和協力活動も拡充した。

憲法の禁じる「武力行使との一体化」の対象を「戦闘現場における活動」などに限定した。「駆けつけ警護」や任務遂行目的の武器使用も可能にしている。

自衛隊による他国部隊への補給・輸送・医療支援や、国連平和維持活動(PKO)で、より実効性ある活動が期待できよう。

武装集団による離島占拠などグレーゾーン事態の対処では、自衛隊の海上警備行動などの手続きを迅速化することになった。

さらに、平時から有事へ「切れ目のない活動」を行うため、自衛隊に領域警備任務などを付与することも検討してはどうか。

政府・与党は秋の臨時国会から自衛隊法、武力攻撃事態法の改正など、関連法の整備を開始する。様々な事態に柔軟に対応できる仕組みにすることが大切だ。

PKOに限定せず、自衛隊の海外派遣全体に関する恒久法を制定することも検討に値しよう。

日米両政府は年末に、日米防衛協力の指針(ガイドライン)を改定する予定だ。集団的自衛権の行使容認や「武力行使との一体化」の見直しを、指針にきちんと反映させなければならない。

◆国民の理解を広げたい◆

自衛隊の対米支援を拡大する一方、離島など日本防衛への米軍の関与を強め、双方向で防衛協力を深化させたい。新たな指針に基づく有事の計画策定や共同訓練を重ねることが、日米同盟を強化し、抑止力を高めていく。

集団的自衛権の行使容認は、与党のほか、日本維新の会、みんなの党や、さらに民主党の一部も賛成している。民主党執行部は、解釈変更を批判しながら、行使容認の是非は決め切れていない。

安倍首相は今後、国会の閉会中審査などの機会を利用し、行使容認の意義を説明して、国民の理解を広げる努力を尽くすべきだ。

産経新聞 2014年07月02日

集団的自衛権容認 「助け合えぬ国」に決別を

■日米指針と法整備へ対応急げ

戦後日本の国の守りが、ようやくあるべき国家の姿に近づいたといえよう。

政府が集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を閣議決定した。日米同盟の絆を強め、抑止力が十分働くようにする。そのことにより、日本の平和と安全を確保する決意を示したものでもある。

自公両党が高い壁を乗り越えたというだけではない。長年政権を担いながら、自民党がやり残してきた懸案を解決した。その意義は極めて大きい。

≪抑止力が平和の手段だ≫

安倍晋三首相は会見で、「いかなる事態でも国民の命と平和な暮らしを守る」と重ねて表明した。行使容認を政権の重要課題と位置付け、大きく前進させた手腕を高く評価したい。

閣議決定は、自国が攻撃を受けていなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権の行使を容認するための条件を定めた。さらに、有事に至らない「グレーゾーン事態」への対応、他国軍への後方支援の拡大を含む安全保障法制を見直す方針もうたった。

一連の安全保障改革で、日本はどう変わるのか。

安倍首相が説明するように、今回の改革でも、日本がイラク戦争や湾岸戦争での戦闘に参加することはない。だが、自衛隊が国外での武器使用や戦闘に直面する可能性はある。

自衛隊がより厳しい活動領域に踏み込むことも意味すると考えておかねばならない。どの国でも負うリスクといえる。積極的平和主義の下で、日本が平和構築に一層取り組もうとする観点からも、避けられない。

反対意見には、行使容認を「戦争への道」と結び付けたものも多かったが、これはおかしい。厳しい安全保障環境に目をつむり、抑止力が働かない現状を放置することはできない。

仲間の国と助け合う態勢をとって抑止力を高めることこそ、平和の確保に重要である。行使容認への国民の理解は不十分であり、政府与党には引き続き、その意義と必要性を丁寧に説明することが求められる。

重要なのは、今回の閣議決定に基づき、自衛隊の活動範囲や武器使用権限などを定めるなど、新たな安全保障法制の具体化を実現することだ。

関連法の整備は、解釈変更を肉付けし、具体化するために欠かせないものだ。政府は法案の提出時期を明確にしていないが、集団的自衛権への国民の理解を深めるためにも、できるだけ早く提出し、成立を目指してほしい。

自衛隊員は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」ると宣誓しているが、今後、さらに厳しい任務が増すだろう。合意に際してつけられた多くの条件、制限が過剰になって自衛隊の手足を縛り、その機能を損なうものとしてはならない。

≪9条改正の必要は不変≫

憲法解釈の変更という行使容認の方法について「憲法改正を避けた」という批判もある。だが、国家が当然に保有している自衛権について、従来の解釈を曖昧にしてきたことが問題なのであり、それを正すのは当然である。

同時に、今回解釈を変更したからといって、憲法改正の核心である9条改正の必要性が減じることはいささかもない。自衛権とともに、国を守る軍について憲法上、明確に位置付けておくべきだ。安全保障政策上の最重要課題として、引き続き実行に移さなければならない。

すでに時期の迫ったものとして、今回の改革を日米両政府が年末に改定する日米防衛協力の指針(ガイドライン)に反映させる課題がある。朝鮮半島有事への備えに加え、南西諸島防衛など中国にも対処できる内容にどれだけ変えられるかが焦点となる。

新ガイドラインを通じて日米協力の実をあげ、米国との絆を強めることは、同盟の抑止力を高める上で現実的な方策だ。

考えるべきことは、ガイドラインや法案の内容にとどまらない。日本が生き残っていくうえで必要な安全保障政策とは何か。アジア太平洋地域の安定を含め、日本は国際平和をどう実現していくべきなのか。

政治家も国民も共に考え、日本がより主体性をもって判断すべき時代を迎えた。

朝日新聞 2014年06月28日

集団的自衛権 ごまかしが過ぎる

「憲法上許されない」と言ってきたことを、これからは「できる」ようにする。

いま、自民党と公明党が続けている集団的自衛権の議論の本質は、こういうことだ。

憲法の条文を改めて「できる」ようにするならば、だれにも理解できる。だが、安倍政権はそうしようとはしない。

憲法の解釈を変えて「集団的自衛権の行使」をできるようにする。いままでとは正反対の結論となるのに、自民党と公明党はきのうの協議で、これは「形式的な変更」であり「憲法の規範性は変わっていない」とわざわざ確認した。

理解不能。身勝手な正当化だと、言わざるを得ない。

与党の政治家はこぞってこの理屈を認め、閣議決定を後押しするのか。考え直す時間は、まだ残されている。

きのう政府が与党に示した閣議決定案の改訂版は、72年の政府見解を根拠としている。

その論理の組み立ては、憲法前文や「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」への尊重を求めた13条の趣旨を踏まえれば、9条は「必要な自衛の措置」をとることは禁じていないというものだ。

しかし72年見解は、武力行使が許されるのは日本に対する急迫、不正の侵害に対してであって、他国への武力攻撃を阻止する集団的自衛権は「許されない」と結論づけている。

その組み立てはそのままに、結論だけ書き直す。そんな都合のいいことは通らない。

さらに見過ごせないのが、国連決議に基づく集団安全保障の扱いだ。

安倍首相は、集団安全保障の枠組みでの武力行使は否定していた。ただ、それでは自衛隊によるペルシャ湾などでの機雷除去ができなくなるとみた自民党が、これを認めるよう提案すると、公明党は猛反発。この問題は棚上げされた。

だから閣議決定案にこのことは明示されていない。ところがきのう明らかになった想定問答には、機雷除去などは「憲法上許容される」と書いてある。その場しのぎのごまかしだ。

理屈にならない理屈をかざし、多くの国民を理解できない状況に置き去りにして閣議決定になだれ込もうとしている。閣議決定に書き込めないことでも、実はできると説明する。

日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた。

あとに残るのは、平和主義を根こそぎにされた日本国憲法と分断された世論、そして、政治家への不信である。

毎日新聞 2014年06月29日

視点・集団的自衛権 司法の審査=小泉敬太

集団的自衛権に基づき自衛隊が派遣されるような事態を迎え訴訟が起こされれば、司法判断が出ることになる。安倍晋三首相は「政府が憲法を適正に解釈するのは当然」と強調するが、行使を可能にする解釈変更が憲法上「適正」かどうかを最終判断する権限(違憲審査権)は最高裁にある。その時、違憲判決が出ないとは言い切れない。

政府・与党には、三権の一角を占める司法の場で、いずれ事後チェックを受けることを見据えた慎重で冷静な論議が欠けているのではないか。

他国を守るための武力行使を認める集団的自衛権は、国際紛争解決のための武力行使の放棄や戦力の不保持、交戦権否定をうたった憲法9条に反するとの学説は憲法学者の間に根強い。

木村草太・首都大学東京准教授(憲法学)によると、国民の生命・自由を国が最大限尊重すると定めた憲法13条などを根拠に政府が従来認めてきた個別的自衛権と異なり、集団的自衛権は憲法に行使を認める根拠規定も手続きの規定もなく、想定されていないという。「政府解釈を変えても違憲は違憲。認めるには憲法改正が不可欠」と話す。

ドイツの憲法裁判所などと違い、日本では具体的な紛争が起きて初めて訴訟として裁判所に認められる。集団的自衛権の場合、自衛隊派遣命令などが出た時に差し止め請求が起こされたり、武力行使に伴い生命・財産などの被害を受けた当事者や家族から国家賠償訴訟が提起されたりすることが想定される。

今の裁判所に違憲判決を出せるはずがないと、政府・与党は高をくくってはいないか。

「憲法9条はわが国固有の自衛権を否定していない」と初判断した砂川事件最高裁判決(1959年)は、日米安保条約について「高度の政治性を有しており、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、司法審査権の範囲外」との見解を示した。いわゆる「統治行為論」だ。

集団的自衛権をめぐる訴訟になれば初の憲法判断となる。最終的には15人の裁判官による最高裁大法廷で審理され、結論が示されるはずだ。もし「統治行為論」が再び持ち出され、審査の対象とされないようでは司法の消極姿勢が問われるだろう。

そして、違憲判決が出た場合の影響は計り知れない。自衛隊活動の正当性に疑念が深まり、賠償責任を負うなど政府が抱え込む訴訟リスクはあまりに大きいと、木村氏は警告する。

司法の憲法判断をあなどってはならない。政府・与党には、憲法学者らの意見に耳を傾ける謙虚さが足りない。(論説委員)

読売新聞 2014年06月28日

集団的自衛権 解釈「適正化」が導く自公合意

自民、公明両党が粘り強く協議を重ね、日本の安全保障にとって画期的な意義を持つ合意をまとめ上げつつあることを、高く評価したい。

政府が、集団的自衛権行使を限定的に容認する新たな憲法解釈の概要案を与党に示した。行使容認に慎重だった公明党から異論は出ず、与党は大筋で了承した。新たな解釈は、7月1日に閣議決定される見通しだ。

概要案は、「我が国と密接な関係にある他国」が攻撃され、日本国民の権利が「根底から覆される明白な危険がある」場合、必要最小限度の実力を行使することが憲法上許容される、としている。

政府・自民党が、公明党の主張する「歯止め」の表現も盛り込みながら、長年、憲法上はできないとしてきた集団的自衛権の行使を条件付きで容認したものだ。

重要なのは、この憲法解釈の変更が日米同盟や国際協調を強化して、抑止力を高めることを目指していることだ。「戦争参加への道を開く」といった一部の極論は全くの的外れである。

概要案が指摘するように、日本の安全保障環境は根本的に変容している。大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散、国際テロの脅威などを踏まえれば、どの国も一国のみで平和を守ることはできない。

日本が世界とアジアの安定に貢献し、同盟国の米国や友好国と緊密に連携することが、日本自身の平和と安全の確保につながる。集団的自衛権の行使は、そのための重要なカードである。

多くの関係国が、日本の憲法解釈の変更を支持していることを軽視すべきではない。

与党協議会の高村正彦座長は、新たな解釈について「解釈の適正化であって、解釈改憲ではない」と強調している。

確かに、新解釈は1972年の政府見解の根幹部分を踏襲し、必要最小限度に限定した集団的自衛権の行使しか認めていない。

従来の見解とも一定の整合性を維持した合理的な範囲内の解釈変更であり、「本来は憲法改正すべきなのに、解釈変更ですませた」「立憲主義に反する」といった批判は当たるまい。

概要案は、集団的自衛権を行使する場合は、民主的統制の観点から、原則として「国会の事前承認」が必要と明記している。

妥当な内容だ。政府は閣議決定後には、国会の閉会中審査などを通じて、新憲法解釈の意義や内容を丁寧に説明し、国民の理解を広げることが求められる。

産経新聞 2014年07月01日

与党安保協議 合意の結実を歓迎したい

厳しさを増す日本周辺情勢に応じて、国の存立と国民の生命財産を守る実効ある手立てを与党が講じることになった。

集団的自衛権行使の限定容認について、公明党の合同会議は対応を執行部に一任した。与党合意を事実上、承認したもので、歓迎したい。これを受けて政府は1日にも憲法解釈の変更を閣議決定する。

容認論の自民党と慎重論の公明党の間には大きな隔たりがあり、5月に始まった与党協議の直前でも公明党の山口那津男代表は「憲法の精神にもとる」と否定的だった。その溝を埋め、合意にこぎ着けた両党の努力は多としたい。

山口氏は与党協議の終盤を迎え、「国民の権利を守り、国の存立を全うすることは許される」との見解を表明した。その理由として、新たに定める「武力行使の3要件」が歯止めになることを挙げたのに加え、安全保障環境の激変について指摘したのは、現実的な判断といえよう。

一方、与党合意を得るために残された課題、新たに生じた問題が多いことも指摘しておきたい。

最大の懸念は、行使容認が過度に限定されると、抑止力の強化につながらないことである。

公明党が自衛隊の活動範囲や集団的自衛権の対象国も極めて限定的にすべきだとした点は、関係国との連携を考えれば実効性を欠くと言わざるを得ない。

国際平和協力の分野では、自民党が主張した戦闘地域での後方支援について合意できなかった。

武力攻撃に至らない「グレーゾーン」と呼ばれる事態への対応で、自衛隊の出動を円滑にするために必要な法整備を見送っているのも問題だ。

与党協議で取り上げたテーマは、かつての自公連立政権でも明確にしなかった、安全保障政策の根幹にかかわるものだ。両党間にはなお考え方の開きもあるが、現実に政策を遂行していく上で基本認識を共有した意義は大きい。

問題は、こうした与党合意への国民の理解をどう取り付けていくかである。

中国の膨張と現状変更の動きに、日本一国だけで対峙(たいじ)するのは困難であり、共に守り合う関係を強める必要があることなどを訴えてほしい。現実的な安全保障観に立ち、さらに必要な政策を決定し、進めていくことが連立与党の責任だ。

朝日新聞 2014年06月25日

集団的自衛権 命かかわる議論の軽さ

新たな提案を出したかと思えばすぐ引っ込める。

集団的自衛権など安全保障政策の与党協議の混迷は、もはや見るにたえない。

国連決議にもとづく集団安全保障の一環としての武力行使に、自衛隊も参加できるようにしたい。中東・ペルシャ湾での機雷除去を念頭に、自民党が公明党にこう提案したのは、20日のことだった。

だが、これに公明党が猛反発すると、自民党はきのうの協議では棚上げ。一方で集団的自衛権を認める座長私案を公明党の求めに応じて修正し、両党は合意に向け一気に歩み寄った。

政府や自民党としては、議論を足踏みさせるよりは、合意を優先させたということだ。狙い通り、来週には閣議決定されそうな運びになった。しかも自民党は、機雷除去をあきらめたわけではなさそうだ。

一連の協議のありようは、驚くほどに軽い。

戦争のさなかのペルシャ湾で、自衛隊に機雷除去をさせるべきかどうか。まさに隊員の命がかかった問題だ。

かつて占領下の日本で、こんなことがあった。

朝鮮戦争が始まった1950年、政府は占領軍の強い要請を受け、海上保安庁による「日本特別掃海隊」をひそかに朝鮮半島沖に派遣した。憲法9条に反するとの声を、吉田茂首相が押し切った。

ところが一隻の掃海艇が機雷に触れて沈没、隊員1名が亡くなった。「戦後ただひとりの戦死者」と言われる。

集団安全保障は、平和や秩序を壊す国に対し、国連加盟国が経済や軍事的手段で制裁する仕組みだ。日本が憲法の枠内でどこまで協力するかは、本来は時間をかけて正面から議論すべき重いテーマである。

先の与党協議では、多国籍軍の後方支援にあたっての新たな条件が突然示され、やはり公明党の反発ですぐさま別の条件に置き換えられた。

自民党はとっかえひっかえ取引カードを繰り出しているだけではないか。誠実さを疑う。

「安倍政権での議論を十分だと思いますか」。朝日新聞の世論調査で、「十分ではない」と答えた人は76%だった。

集団的自衛権に集団安全保障。ただでさえわかりにくい言葉が飛び交い、議論の焦点もくるくる変わる。こんな協議を見せられれば、多くの人が不十分だと思うのは当然だ。賛否以前の問題である。

この状況のまま、本当に閣議決定に踏み切るのか。

毎日新聞 2014年06月28日

閣議決定案 9条改憲にほかならぬ

政府は与党協議で、集団的自衛権の行使容認を含む閣議決定の最終案を示した。公明党は受け入れる方向で、与党の正式合意を経て、7月1日に閣議決定される見通しだ。

政府は憲法解釈変更について「解釈の再整理、一部変更」としている。だが内容は、解釈を抜本的に変更することによって憲法9条を改正するに等しい。政府に許される解釈の範囲を逸脱した解釈改憲だ。

閣議決定案は、「我が国と密接な関係にある他国」への武力攻撃が発生し、国民の権利が根底から覆される「明白な危険」がある場合に、集団的自衛権の行使を認めている。

他に適当な手段がないことや、必要最小限度の実力行使にとどまることと合わせて、新たに定めた「自衛の措置としての武力行使の3要件」が閣議決定案の中核だ。

「密接な関係」や「明白な危険」という基準はあいまいだ。時の政権の判断次第で拡大解釈され、歯止めがきかなくなる恐れがある。

政府が閣議決定について国会などで説明するため作成した想定問答集は、そうした懸念を裏付ける。

例えば、どういう場合に集団的自衛権を行使できるのかについて、想定問答は、時の内閣が新3要件に該当するか否かなどを客観的、合理的、総合的に判断するとしている。

与党協議で議論された機雷掃海などの8事例は、新3要件を満たせば集団的自衛権を行使できるとしている。国連の集団安全保障で武力行使を認めるか否かも、新3要件を満たせば許容されるとしている。

いずれも協議では、公明党が反対し、答えが出なかった問題だ。結論ありきだったと言わざるを得ない。

また閣議決定案は、集団的自衛権の行使容認について、国際法上の根拠と憲法解釈を区別している。国際法上は集団的自衛権でも、憲法解釈上は個別・集団を明確にせず「自衛の措置」とした。公明党への配慮だが、極めてわかりにくい。

憲法解釈変更の根拠は、1972年の政府見解だ。見解の一部をつまみ食いして、集団的自衛権の行使についての結論だけを「許されない」から「許される」に逆転させた。政府の想定問答は「見解の基本的論理の枠内で導いた論理的帰結。解釈改憲ではない」としている。

強引な理屈でも、いったん閣議決定してしまえば、あとはあいまいな基準のもと時の政権の判断次第で何でもできる。政府のそんな狙いが透けて見えるようだ。憲法と国民をあまりに軽んじている。

読売新聞 2014年06月25日

与党安保協議 自衛隊活動を制約し過ぎるな

政府・与党は、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を来週中に行う方向で調整している。

安倍首相は記者会見で「責任与党として決める時はしっかり決める」と語り、早期の閣議決定に意欲を示した。

当初、行使容認に前向きな自民党と、慎重な公明党の主張の隔たりは大きかった。双方が歩み寄り、詰めの協議に入ったことを前向きに評価したい。

与党協議では、閣議決定案の文言を調整した。集団的自衛権の行使要件である「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」場合について、「おそれ」を「明白な危険」に変更することが提案された。

行使できるケースを極力限定するため、「歯止め」をかけたい公明党に配慮したものだ。

与党合意に向けて一定の妥協は必要としても、重要なのは、緊急事態の発生時に、自衛隊が過剰な制約を受けることなく、効果的に活動できるようにすることだ。

米艦防護、機雷除去、ミサイル防衛など、政府が示した集団的自衛権の8事例は基本的に実施できるようにしておくべきだ。

集団的自衛権の行使容認は、近年の安全保障環境の悪化を踏まえて、日米同盟や米国以外の関係国との連携を強化し、日本の平和と安全を確保するのが目的だ。行使できる範囲を限定しすぎれば、その目的が果たせなくなろう。

機雷除去に関しては、自民党が集団的自衛権の行使に加えて、集団安全保障に基づく活動も可能にするよう求めていたが、結論を先送りする方向となった。

公明党内の慎重論が強い中、早期の閣議決定を優先するには、それもやむを得ない。だが、集団安保に基づく武力行使を認める余地は残しておくことが大切だ。

海上自衛隊が機雷を除去中に、国連安全保障理事会で掃海の決議が採択されたら、活動の根拠が集団安保に移るため、掃海の中断を迫られるのは、おかしな話だ。国際社会からも理解されない。

国連決議の採択は本来、武力行使の正当性を高めるはずなのに、本末転倒である。

安倍首相は集団安保による武力行使を否定しているが、それは他国を攻撃するケースを念頭に置いたものだ。同じ武力行使でも、人員の殺傷などを伴わない機雷除去を同列に扱う必要はない。

集団的自衛権の行使が集団安保に移行する例は、掃海以外にも起こり得る。政府・与党は近い将来、きちんと結論を出すべきだ。

産経新聞 2014年06月26日

与党安保協議 制約強めて大丈夫なのか

自民、公明両党が集団的自衛権の行使を限定的に容認することで実質合意した。

大きな立場の隔たりを狭めてきた両党の努力は高く評価するが、自衛隊の実効性ある活動が制約されかねない問題点をはらんでいることを指摘しておきたい。

過度に抑制的な文言を加え、重要な論点を先送りしようとする動きがみられる。日米同盟の抑止力を強化し、日本の平和と安全を確保することが妨げられないか。懸念を極力排する合意を目指してもらいたい。

第1の問題は、両党が調整した武力行使の新3要件の文言が、当初案と比べ、さらに限定的になっていることだ。

政府・自民党は、邦人輸送中の米艦船防護など集団的自衛権の行使容認を必要とした8事例すべてを、行えるようにする立場だ。

武力行使の条件について、当初案では、国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される「おそれ」がある場合としていたが、「明白な危険」がある場合に改めた。集団的自衛権の対象となる国は「他国」から「わが国と密接な関係にある国」と修正した。

両党とも「縛りが強まった」としている。緊急時の政府や自衛隊の手足を縛ることに満足していてどうするのか。集団的自衛権とは日本の「自衛」そのものだ。過度の厳格化は、国際的にも奇異に映るだろう。

「密接な関係にある国」も、同盟国の米国だけと解すべきではない。オーストラリア軍などは米軍と共同行動をとることが多い。アジア太平洋の平和を保つ上で協力は欠かせない。

問題点の第2は、侵略国などに対処するための国連の集団安全保障措置に基づく制裁活動に、自衛隊を参加させるかどうか、結論を出していないことだ。

停戦前に、海上交通路(シーレーン)で機雷除去の掃海活動を行うことを念頭においたものだ。

集団的自衛権の行使として自衛隊が活動に当たっていた場合、後から国連決議が採択され、掃海活動が集団安全保障措置の性格を帯びれば、自衛隊は撤収する。それが公明党の考えだ。だが、国連決議が出れば、国連を重視する日本がなおさら協力すべきなのは、言うまでもない。

自公連立政権としての明確な方針決定を求めたい。

毎日新聞 2014年06月25日

集団的自衛権 無責任極まる与党協議

集団的自衛権の行使容認などを巡る与党協議は、多くの問題をうやむやにしたまま合意しようとしている。政府・自民党は9回目となる24日の与党協議で閣議決定案の修正案を示した。自衛権発動の新たな3要件案について、公明党に配慮してより限定的内容に修正したものだ。

他国への攻撃が国民の権利を覆す「おそれ」がある場合に集団的自衛権の行使を容認するとしていたのを、「明白な危険」がある場合に修正した。「他国」も「我が国と密接な関係にある他国」に変えた。

だが公明党の要求で多少、限定的表現になっても、集団的自衛権の行使は政府の判断次第で、歯止めがかからないことに変わりはない。

与党協議にはごまかしが多い。

協議対象となった15の具体的事例のうち自公が明確に合意したのは、グレーゾーン事態と呼ばれる武力攻撃に至らない侵害への対応だけだ。

国連平和維持活動(PKO)に参加している他国部隊や文民要員を救援する駆けつけ警護は、公明党内になお慎重論がある。与党協議では議論が煮詰まらないまま、公明党が目立って異論を唱えなかったことから、事実上、認める方向になった。

集団的自衛権の事例は、行使が必要という自民党と、個別的自衛権や警察権で対応できるという公明党の溝が今も埋まっていない。

例えば、海上交通路での機雷掃海を集団的自衛権で認めるかどうかの議論は決着していない。

それなのに自民党が、国連の集団安全保障としても機雷掃海などの武力行使をできるようにしたいと唐突に提案した。公明党の反発で閣議決定には明記しないことになったが、閣議決定案の修正案は読み方次第で参加の余地を残している。

公明党は当初、事例ごとに個別的自衛権や警察権で対応できないか検討し、できない場合に集団的自衛権の行使容認について検討すると言っていた。だが、首相の意志の固さを見て、行使を一部認めたうえで限定する方針に転換した。事例は結論の出ないまま脇に追いやられた。

与党協議は密室の協議だ。政府はどんな活動が可能になるのかあいまいなまま閣議決定してしまえば、あとは政府の判断で何でもできると考えているようにみえる。政府と与党は15事例について、できるできないをはっきりさせるべきだ。

首相は閣議決定について「期限ありきではない」と語っていたが、その後、態度を変え、豪州訪問に出発する前の7月4日までの閣議決定を目指している。戦後の安全保障政策の大転換を議論するのに、この種の期限を設けるのはおかしい。政府も与党もあまりに無責任だ。

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