サッカー王国と呼ばれるブラジルでワールドカップ(W杯)が開幕し、1カ月にわたり熱戦が繰り広げられる。
1950年以来となった地元での開催なのに、ブラジル国民全体を包む熱狂感はない。
それどころか、サンパウロやリオデジャネイロなどでW杯に反対する活動が続いている。
開幕戦があるサンパウロの会場は華やかな雰囲気だが、その外は別世界のように警察と軍が出動し、緊張している。大会期間中、当局は計1万7千人態勢で警備にあたる物々しさだ。
反対する人びとは、必ずしも貧困層だけではない。近年のブラジルの経済成長で育った新中間層が多いといわれる。
彼らは、12会場のスタジアム建設を中心に巨費が際限なく注ぎ込まれた現状に怒っている。医療や教育など、より日常生活にかかわる部分の充実こそ必要だ、と訴えている。
サッカーをこよなく愛する人びとの国で起きた反対運動をどう受けとめるべきなのか。
急速に増えた中間層や、成長の恩恵を感じない人びとは、政治や社会にかかわる意識を強めている。もはやスポーツで興奮すれば、社会への不満はおさまるという風潮は薄れている。
近年、W杯や五輪の招致に名乗りを上げる国や都市は一部に限られつつある。
冬季五輪の立候補地が減っている現状などを見ても、開催地に大きな経済的負担を強いる巨大イベントのあり方は曲がり角に来ているといえる。
国際的なスポーツ大会が必ずしも国威発揚の場でもなくなり、一過性のお祭り騒ぎでは国民が納得しなくなったのだ。
こうした問題はこの先、どこでも起こりうるだろう。
新興国には引きつづき格差の問題が残っている。先進国にも財政難や高齢化の悩みがある。
どうやって効率的で社会の長期的な財産になるイベントにできるのか。そこに知恵を絞らなければ、広く強い支持をきずくのは険しくなる。
2020年に東京五輪を迎える日本にとっては、ことさらひとごとではなかろう。
メーン会場となる国立競技場の建て替えには、見直しを求める動きも出ている。さまざまな意見に耳を傾けつつ、丁寧な議論を続ける姿勢が必要だ。
これからの国際大会の将来モデルを提案するぐらいの意欲的な取り組みがあっていい。
どの国や地域であれ、開発・投資と社会整備、国民世論のバランスのとれたイベント運営が求められている。
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