視点・集団的自衛権 民意の問い方=人羅格

朝日新聞 2014年06月20日

集団的自衛権の協議 歴史の審判に耐えられぬ

「期限ありきではない」

こんな前提で始まったはずの集団的自衛権をめぐる与党協議が、いつの間にか大詰めを迎えつつある。

きのう、安倍首相と公明党の山口代表が会談し、22日に国会が閉会した後も、議論を続けていくことを確認した。

与党協議の焦点は、集団的自衛権の行使を認めるかどうかではなく、どの範囲まで認めるかに移っている。

首相は、遅くとも7月初めまでに閣議決定をする構えだ。

たとえどんなに限定をつけようとも、集団的自衛権を認めるのは、歴代内閣が憲法9条によって「できない」と言ってきた他国の防衛に、日本が加わるということだ。

専守防衛に徹してきた自衛隊が、これまで想定していなかった任務のため海外に出動することになる。

首相が、憲法解釈の変更に向けた検討を表明してから、わずか1カ月あまり。教科書を書き換えねばならないほどの基本政策の転換に、国民の合意が備わっているとは言い難い。

実質的に期限を切ったなか、与党間の政治的妥協で決着をつけていい問題ではない。

ここはいったん、議論を白紙に戻すべきだ。

きょうからの与党協議の焦点は、政府が示した15事例の具体的な検討から、自民党の高村正彦副総裁の私案を下敷きとした閣議決定の文案に移る。

公明党幹部によれば、15事例は議論のための「小道具」に過ぎず、その役割はもう終わったのだという。はじめからわかっていたこととはいえ、それではいままでの協議は何だったのか。空しさが残る。

一方、高村私案には重大な懸念がある。

「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」。これが、「他国に対する武力攻撃」に、日本の自衛隊が武力を使うにあたっての条件だという。

一見、厳しい枠がはめられているようにも見える。だが、結局は政府がこの条件にあてはまると認定さえすれば、自衛隊は武力を使える。

ここに「限定容認論」のまやかしがある。

あいまいな要件のもと、自衛隊が他国を守る武力行使に踏み出す。いったん認めてしまえば、「必要最小限」の枠などあっという間に広がっていくのは目に見えている。

公明党の要求を受け、閣議決定にあたってはもう少し厳しめの表現に修正されるかもしれない。だが、その本質は変わりようもない。そして、その修正がまた、公明党を容認に引き込むための新たな「小道具」となる矛盾をはらむ。

公明党が「連立離脱」というカードを早々に封印して行われた協議の限界である。

「日本人が乗っている米国の船を、自衛隊は守ることができない。これが憲法の現在の解釈だ」。与党協議は、先月の首相の記者会見での訴えを受けて始まった。

ところが、いざ始まってみれば、政府の狙いがそればかりにあるわけではないことが次々に明らかになった。

ペルシャ湾を念頭に置いた自衛隊による機雷除去への首相のこだわりは、その典型だ。

一方、首相は記者会見や国会審議で、中国の軍備拡張や東シナ海での自衛隊機への異常接近などを例に挙げて、安全保障環境の変化を強調した。

中国の軍拡は日本への脅威となりつつある。ただ、多くの国民が不安に感じている中国の尖閣諸島に対する圧力は、集団的自衛権の議論とは直接には関係がない。本来、個別的自衛権の領域の話である。

政府が事例に挙げた離島への武装集団の上陸への対応も、自衛隊が警察権にもとづいて出動する際の手続きを簡素化することでほぼ決着。議論の焦点はもはやそこにはない。

なぜ、こんなちぐはぐな議論のもとで、集団的自衛権を認める閣議決定になだれ込もうとしているのか。

答えは明らかだ。日本の安全を確保するにはどうすべきなのかという政策論から入るのではなく、集団的自衛権の行使を認めること自体が目的になっているからだ。このまま無理やり憲法解釈を変えてしまっては、将来に禍根を残す。

集団的自衛権が日本の防衛に欠かせないというのなら、首相は「命を守る」と情に訴えるのではなく、ことさら中国の脅威を持ち出すのでもなく、理を尽くして国民を説得すべきだ。

そのうえで憲法96条に定めた改憲手続きに沿って、国民の承認を得る。

この合意形成のプロセスをへなければ、歴史の審判にはとても耐えられまい。

毎日新聞 2014年06月21日

集団安全保障 首相の発言と矛盾する

集団的自衛権などを巡る与党協議で、自民党が国連の集団安全保障での武力行使にも自衛隊が参加できるようにすべきだと提案した。憲法解釈変更に基づく新たな自衛権発動の3要件案を集団安全保障にも適用するという。必要最小限度の自衛権の行使を認める憲法9条から逸脱しており、乱暴で唐突な議論だ。

自民党の提案は、安倍晋三首相が意欲を示すシーレーン(海上交通路)での戦闘中の機雷掃海を集団的自衛権だけでなく、集団安全保障としてもできるようにするのが狙いだ。

集団安全保障と集団的自衛権は異なる概念だ。集団的自衛権が同盟国などへの武力攻撃に反撃する権利なのに対し、集団安全保障は国連決議に基づき国際社会が協力して侵略などを行った国に制裁を加える。

自衛隊が集団的自衛権を行使して機雷掃海をした場合、途中で国連決議が出て集団安全保障に切り替われば、自衛隊は活動を中止しなければならなくなると自民党は説明する。

だが集団的自衛権として戦闘中の機雷掃海を認めるべきかでさえ、自民、公明両党の主張は対立したままだ。公明党は国民の権利が「根底から覆される」事態に集団的自衛権の行使を限定的に認める柔軟姿勢に傾いているが、機雷によるシーレーン封鎖で原油供給が滞ることがそれに該当するのか疑問があるからだ。

それでもまだ集団的自衛権は自衛権の問題だが、集団安全保障は軍事的制裁という別次元の問題だ。

首相は5月15日の記者会見で、集団安全保障への参加について「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と否定した。今月9日の参院決算委員会では「(機雷掃海は)受動的かつ限定的な行為で、空爆や敵地に攻め込むのとは性格が違う」と述べ、機雷掃海のような武力行使と戦闘を区別する考えを示した。

だが、敵軍にそんな区別は通用しない。戦闘行為と判断され、攻撃され、反撃することを覚悟しなければならない。機雷掃海を認めれば、湾岸戦争のような戦闘に加わることになり、首相発言と明らかに矛盾する。

政府が閣議決定を目指す文章には、具体的事例は書き込まれない見通しだ。いったん集団的自衛権や集団安全保障を認めれば、活動は政権の判断で拡大できる。

公明党の反発を受けて、自民党の高村正彦副総裁は与党協議後には慎重姿勢を示した。だが自民党の一部には、集団安全保障への参加にこだわりがある。自民党の提案は「うまくいけばもうけもの」の行き当たりばったりのやり方に見える。憲法を扱う態度として誠実さに欠ける。

読売新聞 2014年06月18日

集団的自衛権 機雷除去も可能にすべきだ

集団的自衛権に関する与党協議が大詰めを迎えている。自衛権行使の範囲を安易に狭めることは避けるべきだ。

政府が、集団的自衛権行使の新たな憲法解釈の閣議決定原案を与党に提示した。

原案は、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」場合などに限定し、集団的自衛権行使を容認している。高村正彦自民党副総裁が示した私案の新たな「自衛権発動の3要件」に基づくものだ。

政府・自民党は、原案通りなら、米艦防護や機雷除去など、政府が示した8事例は、すべて対処可能だとしている。この内容を大きく変更することなく、与党合意の調整を急ぐ必要がある。

公明党は、行使の範囲を狭めるため、「おそれがある」との表現の削除や変更を求める構えだ。

公明党内には、日本周辺で邦人輸送中の米艦防護などは容認する声があるが、日本から遠く離れた中東での機雷除去などを認めることには慎重論が強い。

湾岸戦争の時、日本は増税までして130億ドルという巨額の資金援助を行った。しかし、国際的に高く評価されたのは海上自衛隊の掃海活動の方だった。

停戦前の機雷除去は、武力行使とみなされる。この制約のため、海自の掃海艇を派遣できたのは、停戦の成立後となった。集団的自衛権の行使を容認することによって、停戦前でも機雷を除去できるようにする意義は大きい。

貿易立国・日本にとって、海上交通路(シーレーン)の安全確保は死活的な重要性がある。海自の高い掃海能力を活用する選択肢を持つことが大切である。

機雷除去が必要になる可能性は低いとか、日本上空を通過する米国向け弾道ミサイルの迎撃は技術的に困難だ、といった主張が一部にある。だが、現時点での蓋然性や技術的問題を論じることに、どれほどの意味があるのか。

様々な事態を想定し、適切に対処できる仕組みを構築しておくことが、安全保障の要諦である。

湾岸戦争時には実際に機雷が敷設され、近年も、機雷による中東の海峡封鎖を示唆する外国高官の発言があった。迎撃ミサイルの日米共同開発が数年以内に完了すれば、グアムなどに届く弾道ミサイルの迎撃は現実の問題となる。

憲法解釈の変更では、政府に、内外の情勢を総合的に勘案して対処するための裁量の余地を残し、自衛隊の効果的な活動を可能にすることを最重視すべきだ。

産経新聞 2014年06月18日

集団的自衛権 機雷除去は日本の国益だ

集団的自衛権をめぐる与党協議は、政府が行使容認の閣議決定原案を提示し、大詰めの段階を迎えているが、自衛隊の活動範囲をめぐる自公両党間の立場の違いがより際立ってきた。

象徴するのは、海上交通路(シーレーン)に敷設された機雷を除去する掃海活動に、公明党が強い難色を示している点だ。

ペルシャ湾のホルムズ海峡の近隣で有事が発生した際に、機雷掃海を集団的自衛権に基づき実行することは、日本の平和と繁栄を守るために必要だ。だが、公明党は自衛隊の活動を日本周辺にとどめるなど、行使容認の範囲を極力限定したい意向だ。

日米同盟を強化し、日本の国益と安全を守るために何が必要かが与党協議に問われている。真に意味のある合意づくりへ、ぎりぎりまで調整を続けてほしい。

ホルムズ海峡は世界の原油の3~4割が運ばれるタンカー銀座だ。日本の輸入原油の大半もここを通る。機雷で封鎖されれば世界経済への影響は重大なだけに、国際的な掃海活動が行われることになるだろう。掃海能力が高く、年3千隻超の関係船舶が航行する日本に参加要請が来ることは当然考えておくべきだ。

1991年の湾岸戦争時、イラクがペルシャ湾に機雷を敷設した際、集団的自衛権の行使ができない日本は、停戦発効後に掃海部隊を派遣した。停戦前から掃海に従事した米英などに比べ、高い評価を得られなかった経緯もある。

今の中東情勢から「機雷敷設の可能性は低い」として、集団的自衛権から外すよう求める意見もあるが、事が起きた際の影響の大きさを考え、中長期的なリスクに備えておかねばならない。

守るべきシーレーンは中東に限らない。インド洋からマラッカ海峡、南シナ海を経て日本近海まで、日本にとって死活的に重要なシーレーンが通っている。掃海能力を発揮できると示しておくことが抑止力にもなる。

公明党は、閣議決定原案で「国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」という行使容認の条件から、「おそれ」を外して一層限定的なものにしたいという。

政府や自衛隊の手足を縛れば平和的になるとの発想だろうか。事態が起きてからあわてても遅い、という発想へ転換すべきだ。

朝日新聞 2014年06月14日

公明党と憲法 自民にただ屈するのか

集団的自衛権の与党協議で、公明党が行使容認を前提とした条件闘争に向かっている。

憲法解釈を変える閣議決定に向けた安倍首相の意思は固い。一方で公明党は、連立離脱を自ら封印した。自民党の攻勢に耐えきれそうもないが、せめて厳しい条件はつけておきたい。そんな思いがうかがえる。

だが、どんな条件をつけたところで、集団的自衛権を認めることに変わりはない。妥協は将来に禍根を残す。公明党はその重みを肝に銘じるべきだ。

きのうの与党協議で、自民党の高村正彦座長が、日本が自衛権を発動するための新しい「3要件」の私案を示した。

いまの3要件のうち、「我が国に対する急迫不正の侵害があること」という第一の要件を、次のように改めるという。

「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、または他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」

自民党が主張する「限定容認」どころではない。集団的自衛権がかなり広範囲に認められることになりかねない。

後段にある、国民の生命などが「根底から覆される」というくだりは、公明党の考えを踏まえて盛り込まれた。

もともとは「集団的自衛権の行使は許されない」と結論づけた72年の政府見解の一部だ。個別の自衛権を認める前提として使われていた表現を、都合よく援用しているにすぎない。

公明党は、これが厳格に守られれば、集団的自衛権として実際に認められるのは、避難する日本人を乗せた米艦の防護にほぼ限られると見る。ただし高村私案は、「根底から覆される」に「おそれ」をつけて、拡大解釈の余地を残している。

この抜け穴に、公明党は反発する。なんとか一矢を報いたいということなのだろう。

だとしても、政権が意のままに憲法解釈を変えることに手を貸すのは間違いない。

そんな「法の支配」からの逸脱が許されれば、どうなるか。

飯島勲内閣官房参与が公明党と創価学会との関係をとらえ、憲法の「政教分離」についての政府見解は変わりうると、におわせた。

時の権力者が気に入らなければ、9条以外の解釈にも手をつけない保証はない。こう自ら明らかにしたようなものだ。

公明党は、それでもついて行くというのか。自民党の力ずくの憲法改変に。

毎日新聞 2014年06月18日

集団的自衛権 吟味もせず行使容認か

何のための協議なのか。政府は集団的自衛権の行使容認などをめぐる与党協議で、自民党が先に示した自衛権発動の新3要件を盛り込んだ閣議決定原案の概要を提示した。次回は原案の修正を協議するという。

具体的事例の検討は不十分で、集団的自衛権の行使が本当に必要なのか結論は出ていない。多くの論点を置き去りにしたまま、政府・自民党は閣議決定に突き進み、連立政権の維持を優先する公明党はこの動きにのみ込まれようとしている。

これでは与党協議は、国民に議論したことを示すアリバイづくりと、公明党の党内説得のための時間かせぎではないか、と言いたくなる。

米艦防護は、政府が集団的自衛権の行使が必要とする8事例のうち4事例を占めるこだわりの事例だ。公明党は個別的自衛権や、自衛隊法95条の武器等防護の規定で対応が可能と主張してきた。

4事例それぞれに多様な状況が想定されるため断定はしにくいが、例えば公海上で米艦に対して攻撃があった場合、我が国に対する武力攻撃の端緒や着手と判断される状況なら、個別的自衛権の行使ができる。

あるいは、自衛隊が保有する武器や船舶を防護できる自衛隊法の武器等防護の規定を活用し、自衛隊とともに我が国防衛のため活動している米艦の武器防護ができるようにする考え方もある。

私たちは具体的事例のようなケースに対応しなくていいと言っているのではない。安倍晋三首相が5月15日の記者会見でパネルで説明した「邦人輸送中の米輸送艦の防護」などは、現実味がどれだけあるかは別にして、そういう事態が生じれば当然やるべきだ。だが、そのために集団的自衛権の行使が必要だという政府・自民党の主張をうのみにするわけにはいかない。個別的自衛権か武器等防護で対応できると考える。

自民党の高村正彦副総裁は、個別的自衛権などで対応できるという考え方について「絶対にないとは言わないが、非常に限られた部分だ」と切り捨てるが、そうだろうか。十分に吟味しないまま、集団的自衛権の行使容認ありきで決めつけているように見える。

米艦防護のほかペルシャ湾での機雷掃海などの事例でも政府・自民党と公明党の意見の隔たりは大きい。機雷掃海は朝鮮半島有事でも問題になるだろう。議論を深めてほしい。

5月20日に始まった与党協議はまだ7回開かれただけだ。国会審議と違って非公開で、終了後に記者団に概要が説明される。協議は公開されるべきだし、本来は国会で堂々と議論が尽くされなければおかしい。拙速に閣議決定してはならない。

読売新聞 2014年06月14日

集団的自衛権 中途半端な解釈変更は避けよ

公明党が、集団的自衛権の行使を一部容認する方向にカジを切った。

それ自体は一歩前進だが、中途半端な憲法解釈の変更では、実効性ある自衛隊の活動ができない。

公明党は、1972年の政府見解を踏襲し、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」事態に限って、行使を認める案を検討している。

政府・自民党の「限定容認論」よりも、さらに行使できるケースを狭める考え方だ。邦人輸送中の米艦防護などに限って可能にすることを想定している。

だが、これでは不十分である。日本の安全を守るため、公明党はさらに歩み寄るべきだ。

過去の見解の表現に固執し、自衛隊の活動を制約するのは本末転倒である。集団的自衛権の行使容認は、日米同盟や国際協調を強化し、抑止力を高めることが目的であることを忘れてなるまい。

邦人が乗っている米軍艦船は守るが、乗っていない船は守らない。機雷除去や米国向け弾道ミサイルの迎撃はしない。そんな対応では真の国際協調とは言えず、米国の不信を招きかねない。

日本の生命線である海上交通路の安全確保に、掃海能力の高い海上自衛隊を活用する余地を残すことは、極めて重要だ。日本周辺有事における米艦防護やミサイル防衛も、日本の安全に直結する。

そもそも72年の見解は、集団的自衛権の行使を禁じる内容だ。新たな憲法解釈が、過去の見解と一定の整合性を保つことは大切だが、完全に一致させようとすれば、行使自体ができなくなる。

集団的自衛権に関する与党協議で、座長の高村正彦自民党副総裁は、新たな自衛権発動の3要件の私案を示した。国民の権利が「根底から覆されるおそれがある」場合などに限って、武力の行使を認める、としている。

公明党に配慮して72年の政府見解を引用しながら、「おそれがある」を追加することで、行使の対象を広げる狙いがうかがえる。

今、重視すべきは、何が可能かではなく、何を可能にすべきかだ。公明党が、邦人が乗っていない米艦防護や機雷除去について、個別的自衛権や警察権で説明しようとしたのは、その必要性を認識していたからではないのか。

米艦防護、機雷除去、ミサイル防衛など、政府が与党に示した8事例については、基本的にすべて対処可能にすることを前提に、自民、公明両党は、合意の調整を急いでもらいたい。

産経新聞 2014年06月14日

集団的自衛権 実効ある合意こそ必要だ

集団的自衛権をめぐる与党協議で、憲法解釈の変更による行使容認に慎重だった公明党が、条件を厳格にすることを前提に、容認への転換を図りだした。

山口那津男代表が「合意を目指す姿勢で臨んでいきたい」と語った。

これまで認められてこなかった集団的自衛権の行使容認が、限定的であっても実現されれば、安全保障政策の歴史的な転換という意義を持つ。

日米同盟の絆を強め、抑止力を強化するために行使容認は不可欠である。与党合意を全力でまとめ上げてもらいたい。

公明党の変化した理由には、自民党の高村正彦副総裁が13日の与党協議で提示した、自衛権発動の新しい3要件がある。

日本に対する武力攻撃に限って個別的自衛権の発動を認めてきた「わが国に対する急迫不正の侵害があること」など、従来の3要件を修正し、集団的自衛権の行使も認めるものだ。

具体的には「他国への武力攻撃発生」も加え、「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれ」をもたらす場合を条件として関連づけた。

安倍晋三首相は新要件を報告した高村氏に対し、「その線でやってほしい」と調整を急ぐよう指示する一方、「やるべきことがきちんとできるように」と注文を出した。当然である。

公明党は新要件について党内論議を開始したが、新要件を狭く解釈し、集団的自衛権の行使は朝鮮半島有事の際の邦人輸送中の米艦防護など、日本周辺に限定する意見があるという。

国民の生命や国の存立が脅かされる事態への対処について、地理的範囲などで限定し、活動に制限を加えれば、自衛隊はその機能を十分に発揮できない。

政府が事例として挙げた米国をねらった弾道ミサイルの迎撃、海上交通路(シーレーン)における戦時下の機雷掃海、船舶検査にも公明党に慎重論がある。これらを制限すれば、喜ぶのはどの国なのかも考えてほしい。

国会閉会を控え、与党協議は自公連立の維持と集団的自衛権の行使容認を両立させる方向で動き出した。しかし、条件の厳格化を追求するあまり、行使容認を「名のみで実のない」ものにしてはならない。

朝日新聞 2014年06月11日

自衛権の協議 後世に責任を持てるか

密室の芝居がかった協議は、もうやめたらどうだろう。

集団的自衛権の行使容認をめぐるきのうの与党協議で、自民党は次の協議が予定される13日に、行使容認のための閣議決定の文案を示したいと公明党に提案した。

公明党は「党内調整に時間がかかる。時間がほしい」と難色を示した。当然だろう。

集団的自衛権の行使が必要になるとしたら、どんなケースが考えられるか。政府が示した「事例」をもとに、具体的に意見交換を始めたのはようやくきのうのことだ。

結果は物別れといっていい。それなのに、自民党はもう結論の文案を出したいという。公明党が席を蹴らなかったのが不思議なぐらいだ。

自民党が急いでいるのは、22日までのいまの国会中に閣議決定ができるように、安倍首相に指示されたからだ。この締め切りは、国民にとっては何の意味もない。

政府の憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を認める――。首相の意思は最初からはっきりしているのだから、与党協議はそれを公明党に認めさせるための舞台に過ぎない。政府が示した事例はその小道具だ。

ただ、舞台は閉ざされたドアの向こう側にある。ネットやテレビで中継され、議事録が残る国会とは決定的に違う。

その日の協議が終われば、自民、公明、政府のそれぞれの担当者から、何十人もの記者団に簡単な説明はある。だが、だれが、何を、どんなニュアンスで話したかは分からない。

話し合いの主題は、憲法9条を実質的になくしてしまうかどうかということだ。

日本人を守るためにそれが必要だというなら、衆参両院で3分の2以上の賛成を得たうえで国民投票に問うしかない。

こうした憲法改正手続きと、衆院議員会館の地下の会議室で行われる与党協議。この落差はあまりに大きい。

しかも政府は、集団的自衛権を認める憲法解釈の根拠を、9条のもとでの「必要な自衛の措置」を認めた72年の政府見解に求めようとしている。

だが、この見解は「集団的自衛権の行使は許されない」と結論づけている。どこをどうひねれば百八十度違う結論が出てくるのか。

こんなやり方で日本の針路を変えてしまって、後の世代に責任が持てるのだろうか。

公明党が平和の党を任じるのなら、自民党の振り付けに合わせる必要はあるまい。

毎日新聞 2014年06月17日

視点・集団的自衛権…アベノミクス=福本容子

集団的自衛権の議論とアベノミクスは一見、別々のようで、実は密接に関わり合っている。

安倍晋三首相が記者会見で、集団的自衛権の行使容認に意欲を見せた翌日の先月16日、米ラスベガスで開かれていたヘッジファンド業界の会合では、こんな質問が飛びだした。「アジアで一番危険な人物は誰か」

答えを求められたのは著名投資家のジム・チャノス氏だ。中国の不動産バブルに長年警鐘を鳴らしてきた同氏だけに中国人指導者を挙げるかと思いきや、口にしたのは日本の指導者の名前、「アベ」。驚きをもって受け止められ、ロイター通信などが世界に発信した。

日中関係が険悪なところに、集団的自衛が可能になれば、東アジアで戦争が起きる危険が強まる。チャノス氏に限らず、安倍首相の安保政策をそう警戒視する海外投資家は少なくない。

戦争に至らなくても、近隣国との相互不信が「成長戦略」に逆風となる、との見方もある。

知日派として知られ、中国大使の経験もあるカナダのキャロン元駐日大使は、論文「アベ・ジレンマ」の中で、次のような主張を展開した。中国をはじめとするアジア諸国との経済統合を加速させてこそアベノミクスは意味を持つ。訪日外国人の倍増目標にせよ、農産物の輸出強化にせよ、カギを握るのは近隣国。だが、その安倍首相の外交・安保政策は彼らを刺激し、脅威となっている−−。

アベノミクスを片方の腕で掲げながら、もう一方の腕で、その成功に不可欠な近隣のパートナーを排除しているところに、大いなる自己矛盾を見るのだ。

外交・安保問題が経済連携の足を引っ張り、それがさらに外交・安保に跳ね返る。この歯車を逆回転させねばならない。

「中国、日本、韓国は(3カ国間の)経済連携協定を目指すべきだ。経済統合を深めることは、軍事対立の歯止めに役立つ」−−。日米中や東南アジアのジャーナリスト、学者が参加し今春、上海で開かれた会議(日本の国際交流基金が主催)で、中国人参加者が訴えた。経済面での連携強化だけで、紛争を回避することは困難だろうが、現状では経済統合に向けた政治の努力があまりにもなさ過ぎる。

安倍首相は、集団的自衛権を行使できるようにしておくことが抑止力となり、地域の安定につながると言う。だが、それでは軍備増強競争となり、相互不信と偶発衝突の危険性を強め、経済を疲弊させるだけだ。人口が急速に減少し、近隣国市場との一体化を急ぐべき日本が最も選んではならない道である。

読売新聞 2014年06月10日

集団的自衛権 「容認」閣議決定へ調整を急げ

日本の安全保障を左右する問題だけに、徹底した議論は必要だ。一方で政府・与党は、時期が来れば、きちんと結論を出す責任がある。

安倍首相が、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に向け、与党協議を加速するよう指示した。自民党の高村正彦副総裁は、今国会中の決定を視野に入れ、その素案の作成を政府に求めた。

安倍政権は、有識者会議の提言、与党協議、国会での集中審議などの手続きを丁寧に踏んでいる。新たな見解を閣議決定した後、国会で必要な法整備を行う方針だ。

必要最小限の集団的自衛権に限って行使を認める「限定容認論」は、過度に抑制的だった従来の見解とも一定の整合性が取れる、現実的な解釈変更と言える。

米艦防護や機雷除去などは個別的自衛権や警察権で説明できるとする公明党の主張には、一部の例外を除き、無理がある。限定容認論で説明する方が合理的だ。

与党は、協議を着実に進め、合意をまとめてもらいたい。

政府・自民党は与党協議で、自衛隊の後方支援やグレーゾーン事態の対処について、公明党に譲歩を重ねた。焦点の集団的自衛権の議論を急ぐあまり、内容面で安易に妥協するのは疑問である。

政府は後方支援で、憲法の禁じる「武力行使との一体化」の判断基準として、「戦闘現場」「戦闘に直接用いられる物品や役務の支援」などの4要件を提示したが、わずか3日後に撤回した。

代わりに「戦闘現場では支援しない」「戦闘が始まれば活動を中止」「人道的な捜索・救難は例外とする」の3条件を示した。

これまでの政府見解は厳格すぎた。他国軍への情報提供や水・食料補給まで、一体化の「恐れがある」との理屈で制限していた。

内閣法制局も同意した4要件は一体化の線引きを明確化する重要な新見解として評価できる。4要件は本来、憲法判断であり、政治的な判断で変更すべきではあるまい。憲法上の4要件と政治的な3条件は両立するはずだ。

グレーゾーン事態の武装集団による離島占拠などは、新たな法整備を見送ることになった。自衛隊の役割の拡大に公明党や警察・海上保安庁が慎重なためだ。

その代わり、自衛隊の海上警備行動などの発令を迅速化するため閣議決定の手続きの運用を改善するという。それ自体は前進だが、自衛隊の効果的な活動には武器使用権限の拡大が欠かせない。この点もさらに検討すべきだろう。

産経新聞 2014年06月11日

公明と集団自衛権 行使容認は与党の責任だ

「足して二で割る」方法で妥協してよい問題ではない。ヤマ場を迎えた集団的自衛権をめぐる与党協議のことだ。

安倍晋三首相は、今国会中に行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定を行うため、自民党の高村正彦副総裁に与党合意を急ぐよう指示した。

政府は、集団的自衛権の行使を限定的に容認する必要性を閣議決定の内容として打ち出したい考えだ。だが公明党は行使容認を認めない構えで、13日の与党協議で閣議決定内容の検討に入ることにも難色を示している。

安全保障は、国家運営の根幹を成す基本政策である。その内容を曖昧にしたり、先送りしたりすることは許されない。明確な結論を導き出すことが、政権与党としての責務である。

与党協議に入る前、公明党の山口那津男代表は、集団的自衛権について「連立政権合意に書いていないテーマだ」と指摘した。その通りだ。だとすれば、今回の与党協議は連立合意のやり直しにあたる極めて重要なものだ。

安倍首相や自民党は、集団的自衛権の行使を認めなければ、国を守り抜くのは困難だと考える。公明党は行使容認を拒む姿勢を変えない。国の守りの根っこの考え方が不一致のままでは「この連立政権に安全保障を委ねられるか」という疑念が生じる。

東シナ海や南シナ海では中国が力による現状変更を試みている。朝鮮半島情勢も不安定だ。厳しい安全保障情勢を見すえれば、集団的自衛権の行使により日米同盟の抑止力を強めることが欠かせないとの認識は、どの政権であっても必要不可欠なものだ。行使容認を否定してきた内閣法制局も、行使を限定容認するための憲法解釈変更を認めることを受け入れた。

公明党は、日本周辺での自衛隊による米艦防護について、個別的自衛権や警察権での対応を主張している。集団的自衛権の行使容認論を避けることは、あまりに非現実的である。個別的自衛権でさまざまな状況に対応するのは困難で、実効性に欠ける。

公明党は国際平和協力の分野で、自衛隊の海外での活動を後押ししてきた実績がある。自衛隊のイラク派遣も自公連立政権下で実現した。自国の防衛と世界の平和構築を図る観点から、行使容認の決断により、与党としての責任を果たしてもらいたい。

朝日新聞 2014年06月08日

集団的自衛権 乱暴極まる首相の指示

これはあまりにも乱暴ではないか。

集団的自衛権の行使を認める閣議決定を今国会中にする。そのための公明党との協議を急ぐように――。安倍首相が自民党幹部にこう指示した。会期末は22日。首相は、延長は考えていないと言っている。

政府の憲法解釈の変更によって集団的自衛権を認めることはそもそも、法治国家が当然踏むべき憲法上の手続きをないがしろにするものだ。

それを、たった2週間のうちに行うのだという。認めるわけにはいかない。

首相の指示を受けて自民党は、行使容認に難色を示す公明党との協議を強引に押し切ろうとしている。

おとといの協議では、自民党側が終了間際になって、それまで議論されていなかった集団的自衛権にからむ「事例」をいきなり持ち出した。さらに、閣議決定の文案を用意するよう政府側に求めた。

政府が示した15事例に、どれほどの必然性があるのか、判然としない。公明党を容認論議に誘い込むための「呼び水」という意味合いが強いのに、その検討ですら駆け足ですませようとしている。

自民党と公明党は、党としての成り立ちも、支持基盤も、重視する政策も異なる。そこから生じる意見の違いを埋めてきたものは何か。

選挙協力や政策決定への関与といった打算も互いにあるだろう。ただ、少なくとも表向きはていねいな政策協議があってこそだったのではないか。

自民党は、10年以上にわたって培われてきた公党間の信義をかなぐり捨ててでも、強行するというのだろうか。

公明党は、それでも与党であり続けることを優先し、渋面を浮かべながらも受け入れるのだろうか。

安倍首相は、集団的自衛権容認に向けての検討を表明した先月の記者会見で語った。

「私たちの命を守り、私たちの平和な暮らしを守るため、私たちは何をなすべきか」

「今後のスケジュールは、期限ありきではない」

その後、与党協議や首相の国会答弁で、ペルシャ湾での機雷掃海や、国連決議に基づく多国籍軍への後方支援の大幅拡大などが次々と示された。

あげくの果てが、いまの国会中に閣議決定するという自民党への指示である。

与党間の信義という内輪の問題にとどまらない。国民に対してもまた不誠実な態度だ。

毎日新聞 2014年06月14日

自衛権の新要件 木に竹を接いだようだ

政府・自民党は、憲法9条のもとで自衛権を発動するために必要としてきた従来の3要件を見直し、集団的自衛権の行使を限定的に認める新たな3要件の案を与党協議で示した。集団的自衛権の行使を一部容認する方針を固めた公明党の理解を得たうえで、この案を根幹にすえた閣議決定を目指すという。

新3要件案は、1972年の参院決算委員会に示された政府見解の一部論理をつまみ食いして、集団的自衛権の行使は「許されない」から「許される」へと全く逆の結論を導き出す憲法解釈変更に基づいており、理屈が通らない。

三つの要件のうち、大きく変わったのは第1要件だ。従来は「我が国に対する急迫不正の侵害」、つまり日本が武力攻撃を受けた場合だった。新たな案では「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」場合を付け加えた。これにより集団的自衛権の一部行使が可能になる。

「権利が根底から覆される」という部分は、72年の政府見解から引用したものだ。公明党はこうした場合に限定した集団的自衛権の行使容認を検討している。政府・自民党が「必要最小限度の範囲にとどまるべき」だという部分に着目したのに比べると、行使容認の範囲はより限定されるが、見解の一部を引用して結論を逆転させることに変わりはない。

しかも「根底から覆される」という基準はあいまいだ。新要件案では「覆される」に「おそれ」という文言まで加わり、あいまいさが増している。公明党は朝鮮半島有事に限定したい考えだが、限定を嫌う自民党内からはホルムズ海峡での機雷掃海なども含まれるとの見方が出ている。何を「根底から覆される」事態と認めるかは、政府の判断次第だ。

また限定容認はあくまで行使するケースが限定されるだけだ。いったん行使すれば、その先の活動に限定はない。反撃、応戦を覚悟しなければならない。自衛隊が米艦防護だけして帰ってくるわけにいかなくなる。つまり戦争に参加するということだ。

与党協議会メンバーの石破茂自民党幹事長は、72年政府見解を使って集団的自衛権の行使を認めることについて、13日のラジオ番組で「原理・原則を維持しながら結論が変わるとはどういうことか。無理やり、木に竹を接いだようにならないよう、論理を精査しなければいけない。後世の批判に耐えられないことはしてはいけない」と語った。

同感だ。私たちは、この憲法解釈変更は後世の批判に耐えられないと危惧する。

毎日新聞 2014年06月11日

集団的自衛権 理屈通らぬ閣議決定案

政府・自民党は、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈変更の閣議決定の原案を、今月13日にも与党協議で示し、今国会中の閣議決定を目指す方針を明確にした。

これまでに明らかになった原案の内容をみると、歴代政権が過去40年以上、積み重ねてきた憲法解釈の一部をつまみ食いして都合良く解釈し直しており、理屈が通っていない。

原案は、1972年に田中内閣が参院決算委員会に示した政府見解を根拠にしている。

政府見解は「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めたうえで、「その措置は必要最小限度の範囲にとどまるべき」だとして、「集団的自衛権の行使は憲法上、許されない」と結論づけた。

原案は、この見解が認める「自衛のための必要最小限度」の武力行使の範囲に、限定的な集団的自衛権の行使が含まれると憲法解釈を変更するのが柱だ。政府見解を根拠にしながら、結論だけを全く逆のものにひっくり返している。

これほどの安全保障政策の大転換をするなら、憲法改正を国民に問うしかないと私たちは主張してきた。だが政府・自民党は、憲法の解釈変更で突破する道を選択し、その根拠を探してきた。

最初は、米軍駐留の合憲性などが争われた59年の砂川事件最高裁判決を根拠に「最高裁は個別的、集団的の区別をせずに必要最小限度の自衛権を認めている」と主張した。だが、公明党などから「判決は個別的自衛権を認めたものだ」と批判を受けて、代わりに持ってきたのが72年の政府見解だ。

政府高官はこう解説する。

政府見解が展開した基本論理は正しい。ただ「集団的自衛権の行使は許されない」という結論が間違っていた。だから「行使は許される」という結論を「当てはめる」−−。

こんな説明に納得できる人が果たしてどれほどいるのだろうか。

公明党は、閣議決定の原案の協議に入ることに難色を示している。政府・自民党は、公明党の理解を得るため、原案の表現を「集団的自衛権を行使するための法整備について今後検討する」などぼかすことも検討しているようだが、実質的には憲法解釈変更を閣議決定するのと変わらない。

10日の与党協議では、政府が集団的自衛権の行使容認が必要とする8事例について、初めて本格的議論が行われた。個別的自衛権や警察権で対応できるという公明党と、集団的自衛権でなければ対応できないという自民党の主張は平行線だった。議論は始まったばかりだ。こんな生煮え状態で閣議決定すべきでない。

毎日新聞 2014年06月10日

集団的自衛権 理解できぬ首相の焦り

安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈変更を今国会中に閣議決定しようと、動きを加速させている。首相の正式な検討表明を受けて始まった自民、公明の与党協議の議論は深まっておらず、国会の議論も極めて不十分だ。あと2週間以内に閣議決定するのは、あまりに拙速過ぎる。

首相はなぜこんなに急ぐのか。戦後の安全保障政策の大転換を閣議決定という一内閣の判断で決めようと突き進む首相のやり方からは、焦りを感じる。

首相は5月初めの記者会見で、閣議決定について「期限ありきではない」と語っていた。それが今月初めの記者会見で、軌道修正した。年末の日米防衛協力指針(ガイドライン)改定に触れ「それに間に合うように方針が固まっていることが理想的」と述べ、みんな、維新の両党の名をあげて公明党をけん制した。

1カ月のうちに、首相が目指す決定時期が「秋の臨時国会前」から「今国会中」へ前倒しされたようだ。

ガイドライン改定に間に合わせるためという理由は、集団的自衛権の検討を急がせる方便に見える。ガイドラインは自衛隊と米軍の役割分担を定めたもので、中国の海洋進出を念頭に置く日本に対し、米国は幅広く議論したい考えで、ずれがある。米側は期限にもこだわっていない。

首相が閣議決定を急ぐことにしたのは、与党協議で説明に立った政府内の足並みが乱れ、公明党が慎重姿勢を崩さないことから、このままではほころびが露呈し、反対論が勢いづくと判断したからではないか。そんな疑念を抱かせるほど協議の進め方は問題が多い。

与党協議で、武力攻撃に至らない侵害への対応をめぐっては、離島や公海上での武装集団の不法行為に対し、自衛隊の海上警備行動の発令手続き迅速化などの現行法の運用改善で対応することで合意した。

自衛隊を前面に出す法改正を選択しなかったことは評価できる。だが、運用改善に文民統制上の問題はないのか、警察、海上保安庁、海上自衛隊の連携をどう強化するのかなど、議論は深まっていない。

多国籍軍などへの後方支援の見直しでは、政府が与党協議に4基準を示しながら、公明党の反発を受けるとわずか3日後に撤回し、新たに3基準を提示し直す泥縄ぶりだ。

集団的自衛権にいたっては、まだほとんど議論されていない。

これらは本来、与党だけでなく与野党が国会で徹底的に議論すべき問題だ。首相は国民の理解を得る努力を強調してきたが、これでどうやって胸をはって閣議決定できるというのだろうか。

毎日新聞 2014年06月10日

集団的自衛権 この国のかたち

司馬遼太郎さんが晩年、情熱を傾けたテーマは統帥権(とうすいけん)だった。エッセー集「この国のかたち」で多角的に論じている。日本史を見渡して、最も大切な問題だと考えたのだろう。

統帥権とは軍隊の指揮権のことだ。司馬さんは大日本帝国憲法(明治憲法)は今の日本国憲法と同じく、三権(立法、行政、司法)分立の憲法だったと解説する。しかし、昭和に入って変質した。統帥権が次第に独立し、三権の上に立ち、一種の万能性を帯びた。統帥権の番人は参謀本部で、無限の権能を持つに至ったという。

そこで、「統帥参考」という機密書を紹介している。1932年に参謀本部が本にしたが公刊されず、特定の将校のみ閲覧が許された。その本で参謀本部の将校たちは「おれたちは憲法外なのだ」と明快に自己規定している。天皇でさえ憲法下にあったのに、自分たちは憲法を超越した存在だというのだ。軍部が独走する根拠になった。

ノンフィクション作家の保阪正康さんはこれを引いて、軍部が政治的実権を固めていく時に「統帥権干犯(かんぱん)を許さない」という語が暴力的に肥大化していったと指摘する(5月10日本紙「昭和史のかたち」)。

そして、安倍晋三首相が、集団的自衛権を認めるため、憲法9条の解釈変更を閣議決定しようとしているのを批判する。内閣の一存で憲法の従来解釈を変えるのは、閣議決定が政治を縛るべき憲法より上位に位置することになってしまうからだ。

昭和前期の統帥権と、現代の解釈変更による集団的自衛権の容認。文民統制のある現代を当時とは同一視できないだろう。しかし、両者は憲法を空洞化していく過程という点で似ていると吉田裕・一橋大教授(日本近代史)は話す。

吉田さんによると、統帥権代表の大本営と政府の間に大本営政府連絡会議が設置され、重要国策をすり合わせて決めるようになる。その決定は御前会議で裁可され、太平洋戦争の開戦も決められた。閣議はその追認機関になった。憲法が無力化したことが、開戦を止められなかった一因になった。

明治憲法は欽定(きんてい)憲法(君主によって制定された憲法)で、改正するのが難しかった。そのため、いくつかの政策で議会と内閣を形骸化させ、改憲せずに実質改憲を実現した。統帥権はその原動力の一つだった。

集団的自衛権が必要というのならば、真正面から憲法改正を議論すべきだ。過去と論理的整合性のない解釈変更で、この国のかたちを変えてはならない。

毎日新聞 2014年06月05日

視点・集団的自衛権 民意の問い方=人羅格

憲法解釈見直しは昨今、改憲派の方が熱心だ。だが、もともと自民党内では護憲派も解釈に厳格ではなかった。その代表格だった故・宮沢喜一元首相は2004年、衆院憲法調査会で公述人として「憲法は十分柔軟に書かれ、運用で変化に対応できる」との持論を展開している。

一方で「限度がある」とも語っていた。「どんなことがあってもわが国は国外で武力行使すべきでない」というのが引いた明確な一線だった。

10年を経ての集団的自衛権の行使容認論議である。武力行使にあたる海外の戦時の機雷除去も行うような解釈変更は「宮沢ライン」を超すものであろう。

無視できない論点に「衆院選で解釈改憲の正当性は裏打ちされるのか」という問題がある。安倍晋三首相はかつて「答弁に私が責任を持ち、選挙で審判を受ける」と語った。民主党の松原仁国対委員長は「首相が衆院解散で民意を問うぐらいのテーマだ」とすら主張している。

衆院解散、総選挙で解釈改憲の是非を問うことは一見、筋論だ。だが、衆院選は政策全般で政権の枠組みを問う。憲法解釈の最終判定者は最高裁判所だ。解釈改憲が選挙で信任されるとすれば、後の政権が衆院解散で民意を問い直すこともまた正当化されてしまう。

だからこそ、12年の衆院選で自民党が公約に「集団的自衛権の行使を可能とする」と記して大勝したからといって、民意が裏打ちされたわけではない。9条の根幹を変えるのであれば、やはり条文改正だ。衆参両院選挙で国会による発議が可能な3分の2以上を確保したうえで、国民投票を行うのが民意を問う道だろう。

ちなみに、首相の私的懇談会の報告書は憲法制定時に吉田茂首相が自衛権による戦争を否定したが1954年には政府が「自衛のための抗争」を認めた経緯を解釈変更の前例だと強調している。実態は50年に連合国軍最高司令官のマッカーサーが年頭の辞で「憲法は自己防衛の権利を否定しない」と断言し、レールは敷かれていた。あくまで占領という特殊事情が影響しての事例である。

吉田門下の系譜の宮沢氏は陳述を「(それでも改憲が必要な場合は)国民の判断をまたねばならない」と結んでいる。折しも憲法改正のための国民投票を実施する法的な環境を整える改正国民投票法が今国会で成立する。首相は法整備を急ぎながら、なぜかその手続きで審判を仰ごうとしない。その矛盾は、たとえ総選挙で審判を受けたとしても解消できないはずだ。

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