政教分離判決 「違憲」は最高裁の注意喚起だ

朝日新聞 2010年01月21日

政教分離判決 現実的で妥当な違憲判断

公有地に昔からの神社やお寺が立っている例は少なくないようだ。

北海道砂川市にある空知太神社は、明治の開拓時代に住民がつくったほこらが起源だ。いまは町内会が所有し、氏子が管理している。神官はいない。祭りには別の神社から神官が来て神式の儀式が行われてきた。

問題は、砂川市が土地を無償で貸していることだった。最高裁は、国や自治体に宗教団体への公金の支出を禁じる憲法の政教分離原則に違反している、との判決を下した。明快な違憲判決を支持したい。

政教分離原則は、国や自治体と宗教とが一切かかわりを持つことを禁じているわけではないが、限度を超えてはいけない。砂川市の場合は、特定の宗教を助けていると見られてもしかたない。これが最高裁の判断だ。

「この神社の宗教性は薄く、市に宗教的な目的もない」という市側の合憲の主張を退けた。

伝統的な習俗と憲法の大原則をどう調和させるか。

この点について判決は、違憲状態を解消するために、原告が求めるような施設の撤去だけでなく、土地の譲渡や有償での提供などの手段もありうると述べた。現実的な取り組みを例示したということだろう。

最高裁は1977年に津市の地鎮祭を合憲として以来、政教分離原則に照らしても許される行為を幅広く解釈してきた。13年前に愛媛県が県費で靖国神社に納めた玉串料について違憲と判断し、初めて歯止めをかけた。今回の判決も、その流れを維持しているといえる。

裁判の対象になったのは、過去に政教分離原則が鋭く問われた靖国神社や護国神社ではない。しかし、この判決の意味は重い。

高齢の原告は、国家と宗教が一体となった時代の悲惨な体験を持ち、それが提訴の動機にもつながった。政教分離の原則は、戦前、国家神道が軍国主義の精神的支柱となった歴史の反省から憲法に盛り込まれた。そのことを忘れてはなるまい。

結婚式はキリスト教で葬式は仏教、正月には神社に参拝する。それが多くの日本人の宗教観だろう。

宗教施設には歴史的、文化的に価値があるものもある。観光資源であったり、鎮守の森が環境保全に役立っていたりもする。

最高裁が判断にあたって、「宗教施設の性格や一般人の評価を考慮して、社会通念に照らして総合的に判断すべきだ」という考え方を示したのには、そんな背景がある。

暮らしの中で日ごろ不思議とは思わないことにも、憲法が定める大事な原則が宿らなければいけない。そのことを考えさせる判決だった。

毎日新聞 2010年01月21日

市有地に神社 最高裁の「違憲」は妥当だ

神社の敷地として市有地を無償で使わせることなどは、憲法が定める政教分離の原則に反するか。

最高裁大法廷は「特定の宗教に対して特別の便宜を提供し、援助していると評価されてもやむを得ない」と違憲判断を示した。14人中9人の考え方だ。

憲法は、国やその機関の宗教的活動を禁じ、宗教上の組織への公金支出も禁止している。いわゆる政教分離の原則である。

靖国神社公式参拝などをめぐり、原則が緩やかに解釈される司法判断が一時、定着しつつあった。だが、大法廷は97年の「愛媛玉ぐし料訴訟」判決で違憲判断を示し、流れに歯止めをかけた。今回、大法廷が政教分離の原則に従い、公的機関と宗教とのかかわりに改めて明確な線を引いたのは妥当な判断といえる。

問題となったのは、北海道砂川市内にある「空知太(そらちぶと)神社」だ。

市からの補助金で、町内会館と一体となった施設が市有地に作られ、市は土地の無償使用を認めてきた。鳥居やほこらもあり、例大祭の際、神式の行事も行われていた。

「愛媛玉ぐし料訴訟」では、戦前の国家神道の中枢的存在である靖国神社への公費の玉ぐし料支出の是非が問われた。それに比べ地域住民に密着する神社への便宜だ。問題視することに違和感を覚える人もいるかもしれない。

事例は異なるが、最高裁小法廷はかつて、無償提供された公有地に地蔵や忠魂碑が建てられたケースについて合憲判断を示している。

「(地蔵の維持は)伝統的習俗的行事にとどまる」「(忠魂碑の再建、土地提供などは)世俗的」などの理由だ。だが、判断に当たって明確な基準を示すことはなかった。

大法廷は今回、国公有地を無償で宗教的施設の用地として提供する場合について「施設の性格、提供の経緯、態様、それに対する一般人の評価や諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきだ」と、初めて具体的に示した。この点は評価したい。

ただし、この判断はあくまで用地提供の際の基準であり、政治と宗教とのかかわり合いについて普遍的に規定したものではない。

政教分離の原則をめぐっては、今後もさまざまなケースで司法判断が求められるだろう。最高裁には、過去の判例にとらわれない時代の変化に即した憲法判断を求めたい。

判決は、審理自体は差し戻した。市長には、施設の撤去や土地の明け渡し以外に、有償での譲渡・貸し付けなどの解決方法をとる裁量があるとの理由だ。地域で話し合ってよりよい解決を図ってほしい。

読売新聞 2010年01月21日

政教分離判決 「違憲」は最高裁の注意喚起だ

市有地を神社の敷地として、無償で町内会に提供するのは、憲法が定めた政教分離の原則に違反するかどうか――。

これが争点だった訴訟で、最高裁大法廷が「違反する」との判断を示した。大法廷が政教分離に関する訴訟で違憲判決を出したのは、2例目である。

判決は、「一般人の目から見て、市が特定の宗教に対して特別の便宜を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ない」と指摘した。宗教とのかかわりについて、行政側に厳格な対応を求めたものといえる。

公有地に立つ宗教施設は、全国で数千か所に上るともいわれる。判決は、関係する行政機関に影響を及ぼすことになろう。

ただ、対象の施設をすべて撤去するのは現実的とはいえまい。今回の判決が、違憲状態を解消するための手段を検討するよう高裁に審理を差し戻したのも、こうした事情を考慮してのことだろう。

問題となっていたのは、北海道砂川市にある二つの神社だ。このうち、現在も市有地に立つ神社を巡る訴訟で、最高裁は「違憲」と判断した。

この神社は町内会館と併設されており、地元の町内会が建物を所有している。地域住民の集会などにも使われている。

最高裁は、この神社について、鳥居があることや、神式の祭事が行われている実態を重視した。

さらに、「宗教団体である氏子集団が宗教的活動を行うことを容易にしている」として、宗教団体の利用のために、公の財産を提供することを禁じた憲法に違反すると結論付けた。

一方、既に市から町内会に無償譲渡された土地に立つ神社についての訴訟では、合憲と判断した。無償譲渡について、「憲法の趣旨に適合しない恐れのある状態を是正解消するために行ったもの」と判断した結果である。

政教分離訴訟で、最高裁は1977年の津地鎮祭訴訟判決で示した考え方を基本としてきた。「国家と宗教の完全な分離は不可能に近い。政教分離を貫こうとすれば、かえって不合理な事態が生じることもある」というものだ。

日本では宗教と習俗の境界にあいまいな部分がある。この現状を考慮すると、30年以上を経た現在にも通じる考え方といえよう。

そうであっても、行政機関は政教分離の原則について、常に注意を払わねばならない。今回の判決は、最高裁のこうしたメッセージといえるのではないだろうか。

産経新聞 2010年01月21日

政教分離判決 「違憲」の独り歩き危ぶむ

北海道砂川市が市有地を神社に無償で使用させていることの憲法判断が争われた訴訟で、最高裁大法廷は憲法の政教分離原則に反するとの判断を示した。違憲判断の独り歩きが懸念される。

最高裁判決の多数意見は「市有地の利用提供行為は、宗教団体である氏子集団が神社を利用した宗教的活動を行うことを容易にしている」「砂川市が特定の宗教に特別の便益を提供し、援助していると評価されてもやむを得ない」とし、憲法の政教分離規定について「89条の禁止する公の財産の利用提供」「20条の禁止する特権の付与」に当たると断じた。

憲法を厳格に解釈すれば、そうかもしれない。しかし、津地鎮祭訴訟の最高裁判決(昭和52年)は「目的が宗教的意義を持ち、効果が特定宗教を援助、助長あるいは他の宗教を圧迫するものでない限り、憲法違反とはいえない」(目的効果基準)との緩やかな解釈を示し、これが踏襲されてきた。今回の最高裁判決は、これをやや逸脱しているのではないか。

政教分離に関する緩やかな憲法解釈が求められるのは、地域社会に伝わる行事や文化がその地域の伝統的な宗教と密接な関係にあるからだ。砂川市の場合、神社の行事が市有地で行われているからといって、憲法を厳密に適用すべき事例とは思われない。

関東大震災(大正12年)と東京大空襲(昭和20年)の身元不明の犠牲者の遺骨を納めた東京都慰霊堂(墨田区)は都の施設だが、毎年、大空襲の日の3月10日と大震災のあった9月1日、僧侶による仏式の法要が営まれている。

このような例は全国で限りなくある。憲法を杓子(しゃくし)定規に解釈することにより、これらの行事が次々と問題視され、中止に追い込まれる事態も起こりかねない。

ただ、最高裁は違憲状態を解消する方法として、市有地の「無償譲与」「有償譲渡」「貸し付け」などを示し、札幌高裁に差し戻した。違憲判断をした以上、当然の救済措置である。

14裁判官のうち、合憲と判断した裁判官は「神社は地域住民の生活の一部になっており、他の宗教と同列に論じられない。多数意見は日本人一般の感覚に反している」と反対意見を述べた。常識にかなった考え方である。今回の違憲判断を盾に、伝統行事にまで目くじらを立てる政教分離運動が過熱化する愚は避けたい。

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