裁判員制度5年 冤罪防ぐ法整備を急げ

朝日新聞 2014年05月23日

裁判員制度5年 社会で経験蓄え育てよう

すでに約5万人が担い、6千人以上に判決を言い渡した。

くじで選ばれた市民6人が、裁判官3人と刑事事件を裁く裁判員制度が始まって5年たつ。

裁判への市民参加は、先進国では一般的だ。しかし、日本では1943年まで15年間あった陪審制以来のこと。司法における戦後最大の改革だった。

「ふつうの市民にできるのか」「辞退続きで裁判にならないのでは」。そんな懸念があったなか、おおむね順調に進んできたといえるだろう。

市民を迎え入れた法廷は、以前よりも直接証拠を見聞きすることを重んじるようになった。わかりやすい裁判へと変化しつつあるのは評価できる。

だが、判断に市民の感覚を採り入れ、ひいては司法への信頼を高めるという本来の目的は、どこまで進展しただろうか。

さらに実のあるものにするための課題は少なくない。

まず見直すべきは、裁判員裁判の対象の狭さだろう。

殺人、強盗致死など重大事件に限られ、公判になる事件の2%にとどまる。大方は被告が罪を認めた事件で、裁判員が悩むのはもっぱら刑の重さだった。

刑事裁判は有罪率が100%近く、検察が主張する有罪を確認する場だと指摘されてきた。それをふまえれば、有罪か無罪かの判断にこそ市民の目を生かすべきではないか。

厚生労働省の村木厚子さんが巻き込まれた郵便不正事件、警察が捏造(ねつぞう)した鹿児島県議選事件、痴漢の誤認などをみても、冤罪(えんざい)のリスクは重大事件だけでなく身近な事件にもある。

被告が起訴内容を争っている事件には裁判員が関与できるよう、対象を広げるときだ。

死刑の選択に市民が直接向き合うようになったのも、裁判員制度がもたらした変化である。

ことし3月末までに裁判員裁判で28件の死刑の求刑があり、21件で死刑、6件で無期懲役刑、1件で無罪の判決が出た。

死刑判決のうち3件は、控訴審で無期に減刑された。

誤判のおそれは常にある。死刑は執行したら取り返しがつかない。その決定の手続きには一点の疑いもあるべきではない。

しかし、いまの評決ルールは多数決だ。多数意見に1人以上の裁判官が入る必要があるものの、5対4でも死刑は決められる。慎重な上にも慎重なルールとは言いがたい。

死刑を続ける先進国は、日本以外には米国の一部の州があるだけだが、米国でも近年、死刑の選択はほかの手続きより厳格なものに改めてきた。

日本弁護士連合会は、死刑評決は全員一致にすべきだと唱える。議論が尽くされたといえない点であり、再検討を要する。

裁判員制度はいまだ、完全なしくみとはいえない。絶えず見直し、改善策を検討する常設の場をつくるべきだ。

法務省の検討会は、最初の3年間の検証をした。だが、長期にわたる事件を対象から外すなど小幅の提言をした報告書を昨年まとめて終わった。

裁判所は独自に裁判員経験者へのアンケートなどを通し、改善点を探っている。だが、制度全体の検証は、裁判所から独立してなされるべきだろう。

例えば、制度の成否を握るのは、裁判官と裁判員が対等に議論できるかだと言われてきた。市民参加が「お飾り」にもなりかねないからだが、十分な検証はされていない。

裁判員を務めて急性ストレス障害になったとして国を訴えたケースもあった。終了後の心理面の支援にも考慮がほしい。医療の専門家らも加え、制度の改善を考えていく必要がある。

最高裁が毎年行う世論調査で「裁判に参加したい・してもよい」と答えた人は09年度の19%から昨年度は14%まで落ちた。

候補になったが辞退する率は、09年の53%から昨年の63%へと増えている。

制度が定着とは逆行しているように見えるのはなぜか。

「裁判員の経験を社会で共有できていないことが妨げとなっている」。この制度と社会のかかわりをみてきた飯(いい)考行・専修大学准教授はそう語る。

打開策の一つは、生涯課される守秘義務の見直しだ。裁判員法は評議の大まかな流れや判決に対する意見を述べることを禁じており、経験を話題にすることさえ、ためらわせがちだ。

だが、罪と罰に悩む現場での市民体験は、司法への理解を深める公共財ともいえる。閉じ込めるのではなく、社会全体で蓄え、高めてゆくべきものだ。

経験者がつながり、公開の場で語る試みも始まっている。そうした工夫がもっと欲しい。

社会の正義は、「お上」にまかせるものではない。市民一人ひとりが考え、かかわることが健全な民主社会を形づくる。

そのはずみになるよう、裁判員制度を成長させたい。

毎日新聞 2014年05月19日

裁判員制度5年 冤罪防ぐ法整備を急げ

裁判員制度が始まって21日で5年になる。3月末までに全国で約6500件の裁判員裁判が開かれ、約4万9000人の国民が、裁判員や補充裁判員として裁判に参加した。

「市民感覚」を生かしながら、まじめに裁判や被告と向き合う姿は、法曹界から高く評価されている。

インターネット利用が広まる中で、裁判や評議に関する情報の漏えいが心配されたが、そういった事案も起きていない。国民の司法参加は、おおむね定着しつつあるといっていいだろう。

ただし、裁判員裁判は、死刑や無期の懲役・禁錮が言い渡せる殺人など重大事件が対象だ。裁判員に与える心理的負担は大きく、万が一、判決後に被告の冤罪(えんざい)が明らかになれば、筆舌に尽くしがたいほどの衝撃を裁判員に与えるだろう。裁判員制度を一層安定させるには、冤罪や誤判を防ぐさらなる法整備が必要だ。

この5年の間に、東京電力女性社員殺害事件で被告の再審無罪が確定し、袴田事件の再審開始決定も出た。両事件では、被告に有利な証拠をなかなか出さなかった検察の姿勢が批判された。裁判員裁判開始前の両事件ではあるが、改めて現行の刑事司法手続きへの不安が募る。

裁判員裁判では、公判の前に法廷外で検察と被告・弁護側が争点や証拠の整理をする手続きが実施される。このため、確かに以前より検察の証拠開示範囲は広がった。だが、検察の裁量は今も残り、被告に有利な証拠が必ずしも法廷に出てくるとは限らない。そうした場合、裁判員の判断を誤らせる可能性は残る。

取り調べの録音・録画(可視化)も警察、検察が裁判員裁判対象事件で試行的に実施しているが、取り調べ側の裁量で行う面は今も残っており、完全可視化とは言えない。

証拠の全面開示も可視化も法制化をめぐり、法制審議会の部会で議論が進んでいる。だが、こうしている間も裁判員裁判は日々、行われている。政府は法制化を急ぐべきだ。

もう一つ、袴田事件で浮き彫りになったのは、究極の刑である死刑のあり方に目を向けるべきではないかということだ。

死刑廃止国が大多数を占める欧州の国々などが、死刑執行を続ける日本に向ける目は厳しい。存廃はもちろん重大問題だが、現行制度を前提としても、どういったケースで死刑を言い渡すべきか確たる基準はない。裁判員の悩みは深いだろう。裁判員制度見直しの議論では、死刑言い渡しの評決は全会一致とすべきだとの意見もあったが、採用されなかった。

死刑囚の処遇や執行の様子など情報公開をさらに進めるべきだ。死刑についての議論も深めたい。

読売新聞 2014年05月21日

裁判員制度5年 精神的負担をどう軽減するか

裁判員制度がスタートしてから、21日で5年を迎えた。

4万9000人以上が裁判員や補充裁判員を務め、6400人の被告に判決が言い渡された。

市民感覚を刑事裁判に反映させようという制度は、大きな混乱もなく、おおむね順調に運用されている。裁判官、検察官、弁護士は、証人尋問を活用するなど、わかりやすい審理を徹底し、制度の一層の定着を図ってもらいたい。

裁判員裁判になって、変化が見られるのが量刑だ。

裁判官裁判の時代には、量刑は「求刑の8がけ」などと呼ばれたが、裁判員裁判では、検察の求刑を上回る判決が40件を超える。

性犯罪や児童虐待で刑を重くする傾向があるのは、卑劣な犯罪には厳しい刑を科すべきだという裁判員の意識の表れだろう。

裁判員の量刑判断をどこまで尊重すべきかという問題も浮き彫りになってきている。

東京高裁は、裁判員裁判の死刑判決3件を破棄し、被告を無期懲役とした。うち2件は裁判官裁判では死刑が選択されることの少ない、被害者1人の事件だった。

裁判員裁判は、犯行の悪質性や残虐性から被告の更生可能性は乏しいと判断し、死刑とした。一方、裁判官だけの控訴審は、同種事件で過去に死刑の適用がないことから極刑を回避した。

先例踏襲の高裁の姿勢には、国民の意見を生かす制度の趣旨が損なわれるとの批判がある。

ただ、過去の裁判と著しく量刑が異なれば、司法の公平性の面で問題が生じよう。上級審がチェック機能を果たすことが大切だ。

今後の大きな課題は、裁判員の精神的な負担の軽減である。

凄惨せいさんな遺体のカラー写真を見て、精神的ショックを受けた裁判員もいる。検察官には、白黒写真やイラストを使うなど、裁判員に配慮した立証が求められる。

裁判終了後、自らの判断が正しかったのかどうか、思い悩む裁判員経験者は少なくない。

裁判所は無料の相談窓口を設けている。裁判員経験者の精神状態に問題がないか、連絡をとって確かめる裁判官もいる。きめ細かなケアをさらに充実させたい。

裁判員の辞退率が高まっていることも気がかりだ。今年1~3月は66%に上った。平均審理日数は現在、9日間だ。仕事の都合で辞退した人は多いだろう。

会社が柔軟に休暇を認めるなど、裁判員が参加しやすい環境整備が制度の定着には不可欠だ。

産経新聞 2014年05月21日

裁判員制度5年 国民の判断を軽視するな

裁判員制度が始まって21日で5年となった。これまでに約5万人が裁判員や補充裁判員として裁判に参加した。制度はおおむね順調に運営され、定着しつつある。これは真面目で勤勉な国民性に支えられたものと評価すべきだろう。

ただ5年の間に、さまざまな課題も浮かんだ。最たるは、死刑判決をめぐるものだ。裁判員らが真摯(しんし)な評議を経て苦渋の判断として死刑判決を選択しながら、控訴審で破棄されるケースが相次いだ。これは国民の判断を軽視し、制度の趣旨を揺るがすものとならないか。

裁判員裁判は重大事件が対象となっており、死刑判決があり得ることは最初から分かっていた。制度のスタート時には、一般から選ばれた裁判員がその重責に耐えられるか、懸念された。

だが裁判員らは真剣に犯罪と向き合い、これまでに21件の死刑判決を出した。このうち3件の判決が控訴審で破棄された。「先例の傾向」と合致しないことなどが、その主な理由だった。

裁判員制度は、国民の司法参加により、その日常感覚や常識を判決に反映させることなどを目的に導入された。そこには「先例の傾向」が、国民の常識からかけ離れつつあるとの反省もこめられていたはずだ。

究極の刑である死刑の選択は、慎重なうえにも慎重になされるべきである。それでもなお、死刑以外の選択はないと、苦しみ悩み抜いての評議の結果だった。先例が量刑を決めるなら、裁判員の苦悩は必要としない。

下級審に誤りがあれば、上級審がこれを改めるのは当然だ。だが裁判員裁判の判決を覆す以上、説得力のある説明が必要だ。先例重視が独り歩きしては、裁判員制度の否定につながる。

裁判の長期化や残酷な証拠と向き合う肉体的、精神的負担の問題も深刻だ。裁判員を辞退する候補者も増加傾向にある。遺体写真をイラストにしたり、カラーをモノクロにしたりの工夫が各裁判所で行われている。

一方で、犯行の残忍さや真実を知るため、裁判員にも一定の忍耐が求められる。負担軽減とのバランスをどう取ればいいのか。今後に向けた検証のためには、経験者の証言が欠かせない。裁判員に厳しく課せられた守秘義務の緩和も検討すべきだ。

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