阪神大震災15年 教訓を忘れず確かな備えを

朝日新聞 2010年01月17日

政権と震災 政治主導で危機へ備えを

6434人の犠牲者を出した阪神大震災からきょうで15年を迎える。戦後初めて大都市を直撃した震災は、日本の危機管理のありようが問われた人災でもあった。

当時は「自社さ」連立の村山政権だった。非常災害対策本部が動き出したのは地震発生から約6時間後。緊急対策を打ち出すのには、さらに一日以上もかかった。救援が後手後手に回り被害を拡大させてしまったのは、被災の実態をつかむのに手間取ったからだ。

地震列島といわれながら、歴代の政府が国民の命を守ることに真剣に取り組んでこなかったつけが、このときに回ってきた。

その教訓から震度計をきめ細かく配備し、国内外の危機情報を24時間収集できる体制も整えた。省庁の縦割りの弊害を排するために内閣危機管理監も置いた。一昨年の岩手・宮城内陸地震では、発生から7分後に首相官邸に対策室ができた。

初動体制は整ってきたが、それだけでは十分でない。危機管理監は災害の事前対策には不慣れな警察官僚OBが務めてきた。防災を担う内閣府の職員は他省庁からの出向で、2年もすれば出身の省庁に戻る。防災を専門とする人材の厚みができていないのだ。

民主党は「危機管理庁」の創設をマニフェストに掲げているが、まだ議論すらされていない。日本列島は地震の活動期に入ったといわれ、いつ、どこで地震が起きてもおかしくない。目の前にある危機に備え、まずは既存組織を最大限に有効活用することを考えてはどうか。

防災の経験が豊富な人物を危機管理監にあて、内閣府に「防災職」ともいえるプロパーを育てる。消防庁長官には現場の仕事をよく知った専門家を登用すれば、命がけで救助にあたる消防士らの士気も上がるだろう。

政治主導で適材適所を進め、防災面から霞が関を変える。そんな意気込みで態勢づくりを急いでほしい。

気がかりなのは防災関連の予算が軒並み縮小されてしまいそうなことだ。とりわけ公立小中学校の耐震化工事の予算が6割も削られるのは深刻だ。「高校授業料無償化」の予算をひねり出すためだが、中国・四川大地震で学校が倒壊して多くの子どもが犠牲になったことを思い出したい。

中米・ハイチの首都を直撃した大地震はひとごとでない。東京を襲う直下地震では、木造住宅の密集地で火災が同時多発し、65万棟が焼失すると想定されている。壊滅的な打撃を受ける恐れが強い。いつになれば、首都機能の分散を真剣に考えるのか。

鳩山由紀夫首相は所信表明演説で「地震列島で万全の備えをするのが政治の第一の役割」と述べている。実行が伴うかどうか注視したい。

毎日新聞 2010年01月18日

阪神大震災15年 「減災力」を発信したい

ハイチ大地震を伝える映像が、あの日の記憶をよみがえらせる。阪神大震災から15年がたった。近い将来、東海、東南海地震など巨大地震の発生が予測される日本で、被害を最小限に食い止める「減災力」は万全だろうか。

目安になるのが「耐震化率」だ。昨年の文部科学省調査では、公立小中学校施設のうち約7300棟が、震度6強で倒壊する恐れがあると指摘された。災害拠点病院や救命救急センターも、耐震基準を満たしているのは62%しかない。国や自治体の財政難が影響して、取り組みは遅れがちだ。

阪神大震災の発生時、救援活動の初動が遅れ、被害を拡大したことが指摘された。民主党は総選挙のマニフェストに危機管理庁創設を掲げ、その実現を急ぐ動きも出ている。

しかし、第一線で市民の生命を守るのは自治体の使命であり、その権限強化も必要とされる。国と自治体の役割分担など課題は多い。

むしろ、限られた予算の優先度を見直して、自治体の消防、救急体制の拡充や公共施設の耐震化を手厚く支える方が先決ではないか。

「震災障害者」と呼ばれる人たちの存在も浮かび上がってきた。震災の重傷者は1万人を超えたが、障害の残る人の大半は孤立したまま、十分な支援が受けられず、行政は実態すら把握していなかった。

被災して兵庫県外に避難したままの「県外被災者」からも「高齢になって元の街に戻りたいが、経済的に無理だ」と嘆く声を頻繁に聞く。

「減災」とは、モノの被害を減らすばかりではない。住民を体や心の傷から守るということも、極めて重要なのである。

関西の大学の研究者や弁護士が先に、「災害復興基本法」の試案を発表した。被災者を復興の主体とし、国や自治体はその自立を支援する責務を負うという内容だ。とりわけ、地域コミュニティーの重要性や住まいの多様性を確保することの大切さを強調した点で傾聴に値する。

新潟県中越地震の被災地では、コミュニティーの高齢者と外部の若者が力を合わせて、地域社会を復興させた例がある。都市部でもこういうやり方は十分可能だろう。

もちろん、住宅耐震化など市民個々の努力と工夫の積み重ねが、減災への第一歩なのはいうまでもない。さらに、災害を体験した市民の発想を国や自治体の施策に生かしていけば、減災社会への道が開ける。

地震など巨大災害への備えが必要な国や地域は無数にある。国際支援の一環として、日本が身をもって学んだ減災の知恵を、広く発信していきたい。

読売新聞 2010年01月17日

阪神大震災15年 教訓を忘れず確かな備えを

被災地では悲しい記憶が今も消えない。阪神・淡路大震災から、17日で15年になる。

犠牲となった6434人の冥福を改めて祈るとともに、大地震に備える決意を新たにしたい。

震災の教訓は、まだ十分に生かされていない。命を守る体制が整ってきたとは言い難い。

犠牲者の死因の8割以上は、住宅の倒壊や家具の転倒による窒息死・圧死だった。大半は建物の耐震性の低さに帰因している。

政府は、2015年までに住宅の耐震化率90%を目指すが、約75%にとどまっている。改修のペースを2~3倍に上げなければ、目標を達成できない。

公立小中学校では、09年度予算での耐震工事が終わっても、震度6強の揺れで倒壊の恐れがある施設が2万5000棟に上る。

子供たちの安全にかかわる上、地域住民の避難拠点だ。早急に改善すべきだ。だが、鳩山政権は高校授業料無償化を優先し、公立小中学校の耐震化予算を前政権に比べて6割も削減してしまった。

大震災では、病院も被災している。スタッフの不足や負傷者の殺到、交通渋滞による転送の遅れなどが重なった。応急措置が不十分のため、助かるべき負傷者が死に至る事態を防ぐことが、災害医療の最大の目的だ。

病院の耐震化を進めていくのはもちろん、大震災を想定した緊急時の医療体制を整えておかなければならない。

初動の救援活動の大切さも、大震災は教えている。

建物や家具の下敷きになって、自力で脱出できなかった被災者の多くが、近隣住民らに助け出された。消防や警察、自衛隊による救助は2割程度にとどまるとする専門家の調査もある。

被害が甚大な場合は、消防や警察も対応しきれない。住民同士の救助体制を公的な危機管理に取り込む仕組みも必要だ。

東海、東南海、南海、首都圏直下など巨大地震はいつ起きてもおかしくない。政府は、緊張感をもって対策に取り組んでほしい。

折もおり、カリブ海の最貧国ハイチで大地震が発生した。

首都が壊滅状態に陥り、多数の人々が、瓦礫(がれき)の下敷きになっている。死者は20万人に達する可能性もあるという。

日本政府は、国際緊急援助隊の医療チームを派遣したが、阪神大震災の教訓からも、迅速な対応が肝要だ。効果的な支援に努めてもらいたい。

産経新聞 2010年01月17日

阪神大震災15年 節目を機に新たな備えを

6434人もの犠牲者を出した阪神大震災が15年の節目を迎えた。倒壊した家屋、傾くビルや高速道路、燃え上がる炎…。歳月を経ても、あの光景がよみがえる。両親や兄弟、子や孫を失った人たちの慰霊の思いは尽きない。

神戸市や阪神間の各都市、淡路島北部の風景は大きく変化した。これまで16兆円を超える復興事業費が投じられ、交通や上下水道などのインフラ、災害復興住宅が完成した。下町の長田区などにも、真新しいビルがそびえている。

神戸市の人口は平成7年1月の約152万人から、今年1月までで約1万7千人増えた。阪神間でも多くは増加に転じている。

ただし産業の復興という点ではまだまだだ。神戸の市税収入は震災前から約255億円も落ち込み、神戸港の総取扱貨物量も震災前の約56%と低迷している。

また、被災者のために建設された災害復興住宅では、震災5年後の平成12年から昨年12月末までの10年間に、630人もの人がいわゆる孤独死をしている。震災がもたらす影は容易には消えない。

とはいえ、時間は確実に経過している。神戸市では15歳以下や転入者ら「震災を体験していない市民」が3分の1を超えた。学校では防災やボランティアに関する授業なども行われ、震災を語り伝える試みが定着している。

日本は「地震列島」である。いまハイチ大地震の現場リポートが生々しいが、首都圏などでいつ発生してもおかしくない。そうした点で参考になるのは昨年8月11日早朝、静岡県を中心に起きた震度6弱の地震だろう。

1人が亡くなり、約250人の負傷者が出たが、建物の被害は予想外に少なかった。半壊は3棟、全壊はゼロだった。震度6弱は「建物が傾いたり、倒れたりすることがある」という段階だが、ほとんどが一部損壊で済んだ。

静岡県は地震が多いうえ、近い将来には東海地震が発生し、大規模な被害の予想される地域だ。県民の防災意識も高く、家具を固定している家屋は全国水準に比べ際立って多い。自主的な防災組織が9割の地域でつくられ、訓練も日常的に行われている。こうした積み重ねが役に立ったのだ。

神戸や静岡に学び、被害の記憶を風化させず、来るべき時に備える。1月17日は全国でそうした日としたい。

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