集団的自衛権 限定容認論で合意形成を図れ

朝日新聞 2014年04月06日

集団的自衛権 砂川判決のご都合解釈

牽強付会(けんきょうふかい)とはこういうことをいうのだろう。

集団的自衛権の行使容認に向け、政府や自民党内で1959年の砂川事件の最高裁判決を論拠にしようという動きが出てきた。「判決は集団的自衛権の行使を否定していない」というのがその理屈だ。

だが、この判決は、専門家の間ではそうした理解はされていない。都合のいい曲解だ。

事件が起きたのは57年。米軍旧立川基地の拡張に反対する学生らが基地に立ち入り、日米安保条約に基づく刑事特別法違反で逮捕・起訴された。

東京地裁は米軍駐留は憲法9条に反するとして無罪にしたが、最高裁はこれを破棄。外国軍は9条が禁じる戦力には当たらないとする一方、安保条約の違憲性については「統治行為論」によって判断を避けた。

判決は、9条が固有の自衛権を否定したものではないとしたうえで、こう述べる。

「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」

これをとらえ、自民党の高村正彦副総裁は「最高裁は個別的、集団的を区別せず自衛権を認めている。内閣法制局が『集団的自衛権は使えない』というのはだいぶ飛躍がある」と語る。集団的自衛権も必要最小限なら認められるというわけだ。

判決が出たのは、自衛隊発足から5年後。9条が保有を禁じている戦力とは何か、自衛隊は合憲なのかどうかが国会で盛んに議論されていたころだ。

裁判の争点は、在日米軍が戦力にあたるのか、裁判所が条約の違憲性を審査できるか否かというところにあった。日本の集団的自衛権の有無が争われたわけではない。

公明党の山口代表が「個別的自衛権を認めた判決と理解してきた」と語る通りだ。公明党は、自民党の身勝手な理屈を受け入れるべきではない。

砂川判決が集団的自衛権を認めているならば、その後に確立されていった内閣の憲法解釈にも反映されて当然なのに、そうはなっていない。

学説としてまともに取り上げられていない解釈を、あたかも最高裁の権威に裏付けられたかのように振りかざすのは、誤った判断材料を国民に与えることになりかねない。

「立憲主義に反する」と批判される自民党にしてみれば、最高裁判決を錦の御旗にしたいのだろう。だが、こんなこじつけに説得力があるはずもない。

読売新聞 2014年04月04日

集団的自衛権 限定容認論で合意形成を図れ

現行の憲法解釈と一定の論理的整合性を保ちつつ、安全保障環境の悪化に的確に対応する。そのための、説得力を持つ理論と評価できる。

自民党内で、高村副総裁の唱える集団的自衛権の限定容認論が支持を広げている。3月31日の安全保障法制整備推進本部の初会合では、高村氏の講演に対し、容認慎重派からも賛成が相次いだ。

限定容認論は、あらゆる集団的自衛権ではなく、「国の存立を全うするための必要最小限の集団的自衛権」に限って、行使を可能にするという考え方である。

「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置はとりうる」との砂川事件に関する1959年の最高裁判決を根拠としている。

具体的には、日本の近くで米軍艦船が攻撃された際の自衛隊の反撃や、海上交通路(シーレーン)での掃海活動などを認める。米本土が攻撃された際、米国に行って戦うといった、外国領内の戦争への参加は除外するという。

自衛権は必要最小限の範囲内にとどめるとの現行解釈を継承しながら、一部の集団的自衛権の行使はこの範囲内に含まれる、とする抑制的な解釈変更となる。

一方で、集団的自衛権は憲法上行使できないとの現行解釈は誤りであり、全面的に行使を容認すべきだという主張も根強い。理論的にも、十分成り立とう。

様々な緊急事態に備える観点から、全面的な容認により、政府の裁量範囲と選択肢を広げておく方が良い面もある。

しかし、解釈変更が日本の戦争参加に道を開くかのような偏向した“解釈”による懸念を払拭するには、限定容認論によって、集団的自衛権行使の歯止めや条件を明確化することが有効である。

幅広い与野党の合意を形成し、国民の理解を広げて、新解釈の安定性を確保するには、バランスの取れた現実的な手法と言える。

今後、議論すべきは、行使を限定的に容認する範囲や条件だ。抽象論でなく、具体的な事例に即した論議が求められる。

日本近海での米艦防護については、個別的自衛権で反撃が可能との意見もある。だが、艦船は最低でも数キロ離れて活動するのが通常で、これを個別的自衛権で正当化するのは困難だろう。

朝鮮半島有事の際も、限定容認論に基づき、従来より踏み込んだ米軍への後方支援活動を可能にしておくことは、日米同盟を強化する。前向きに検討すべきだ。

産経新聞 2014年04月06日

集団的自衛権 危うさはらむ限定容認論

政府・自民党は集団的自衛権の行使について、条件を付けて限定的に容認する方針を固めた。政府の有識者懇談会の報告後に予定されていた公明党との協議も前倒しで始まり、「限定容認論」が与党内協議の焦点になっている。

大きな懸念は、こうした議論が自衛隊の活動を強く制約する結論につながることである。

憲法解釈の変更に国民の支持を得るため、条件を整える議論は重要だ。だが、日米同盟や抑止力の強化を十分実現できない結果を招いてはならない。

限定容認論は、自民党の高村正彦副総裁が提唱した。行使は日本の安全保障に直接関係ある場合に限り、他国の領土・領海・領空での行使は原則として認めず、自衛隊の行動は日本の領域や公海に限る方向性を示している。

これは、行使容認には慎重姿勢をとる公明党の理解を得るための「次善の策」の面が大きい。

急務である行使容認を実現するため政治的妥協が必要なことは否定しない。だが、日本の平和と安全を確かなものとするには本来、包括的に行使を認め、政府に判断の余地を与えておくのが望ましい。予想が困難な危機に対処するため、政府が必要な範囲で軍を活用するのは「世界標準」だ。

日本の安全保障に重大な影響があるケースでも、他国の領域での行使を認めないとどうなるか。

アデン湾で海賊対処活動に当たる自衛隊はジブチに根拠地を持っている。近くには米軍、フランス軍などの拠点がある。自衛隊は今後、これらの国々とともにシーレーン防衛の任務に当たることも想定されるが、仲間の国の拠点が攻撃されても傍観するしかない。

朝鮮半島有事の際、韓国の在留邦人を含む各国国民、傷ついた各国将兵の救出が必要な場合でも、自衛隊は動けないのか。そうしたことが現実になれば、国際社会からの信頼は失墜するだろう。

ハワイ近海で共同行動をとっている米艦船が攻撃されても、日本は加勢できないのか。日米の共同防衛を広く認めてこそ、より対等な同盟関係に近づくのに、その道を閉ざすのだろうか。

安倍晋三首相は防衛大学校卒業式の訓示で「現実を踏まえた安全保障政策の立て直しを進める」と語った。真に日本を守れる解釈変更を決断してもらいたい。

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