被災地の教育 心のケアはこれから正念場だ

朝日新聞 2014年03月10日

震災と教育 学ぶ志に希望を見る

東日本大震災から3年経つ今もなお、被災地の子どもたちを取り巻く環境は厳しい。

岩手・宮城・福島3県では、小中学生の6~7人に1人が、生活の苦しい家庭向けの就学援助を受ける。厚生労働省の調べでは、被災した子の3割が強い不安や不眠などに苦しむ。いまだ仮設校舎の学校も多い。

だが、希望の芽も探せる。

家族や家を失った子、親が仕事を失った子。被災しなかった子も周囲の現実は見ている。経験を糧に、子どもたちは何のために自分は学ぶのかを深く考え始めているようだ。

3県の大学進学率には落ち込みがみられない一方、高校卒業後に就職も進学もしない生徒は減った。「自分も社会と復興に貢献したいという意識の表れ」と福島県教委の担当者はみる。

大手予備校、河合塾の佐々木一幸東北本部長も、明確な志望動機をもつ大学受験生が増えたと感じる。「たとえば再生可能エネルギーを学びたいと話す生徒が何人もいる。震災前には聞いたことがなかった」

東北の危機を「わがこと」ととらえ、自分にできることを考える。そんな姿勢は、地元の教育者らが机の上では身につかない「生きる力」を養う実践を重ねた成果でもあるだろう。

福島県立福島高校の生徒有志は、課外の活動で福島復興プランを考えている。

例えば、地元の土湯温泉街は原発事故で宿泊客が激減した。「温泉の熱を使って南国の果実を育て、食の魅力で再建しては」。生徒らの提案を受け、温泉街で試験栽培が始まった。「世の中に出て役立つ力を育てたい。文句を言うより自ら行動する大人になってほしい」。指導する遠藤直哉教諭の願いだ。

社会の課題を自ら見つけ、解決策を考え、行動する。福島大学が経済協力開発機構(OECD)と進めるプロジェクト「OECD東北スクール」もそんな力を育む試みの一つだ。

「東北の魅力と復興を世界に発信するイベントを作る」との課題に、3県の中高生ら100人が2年前から取り組む。支援に慣れて受け身にならぬよう、費用も参加者が企業の協賛などを頼んで回り、調達する。

この夏パリで集大成の祭典を催す。「私は津波にのまれ、九死に一生を得た。命の文字通りの『有り難さ』を伝えたい」。一人一人がこうした伝えたい体験や言葉を抱えて臨む。

自分が今いる場所から、このさきの社会を考える。東北で出た芽が全国に広がるなら、未来は捨てたものではない。

毎日新聞 2014年03月11日

東日本大震災3年 まだ程遠い復興への道

死者・行方不明者1万8520人を出した東日本大震災から3年。津波に襲われた地域では再建のつち音が響くが、被災地全体の復興には程遠いのが現状だ。津波と原発事故による被害で、自宅に住めずに避難生活を続ける人が、岩手、宮城、福島の3県を中心に今も約26万7000人いる。3年の節目に、私たちは改めてその現実を直視したい。

中でも、福島が直面する現状は厳しい。避難者の約半数は福島県民だ。もう一つ、心配な数字がある。津波や地震による直接的な死亡とは別に、避難生活の長期化による「震災関連死」の死者が、福島で1600人を超え、直接死を上回ったことだ。800人台の宮城、400人台の岩手を大きく上回る。

見通しのつかぬ放射能との闘い、帰還の悩みと不安、故郷喪失への絶望。福島の人たちの苦悩は深い。政府は昨年12月、福島復興の加速化を宣言した。その徹底を求めたい。

福島県いわき市の山あい。南台仮設住宅に400人近い双葉町民が暮らす。福島第1原発の地元である双葉町は、96%が帰還困難区域だ。

プレハブの仮設は歩けばきしみ、隣の人が朝起きた気配さえ分かる。自治会長の斉藤宗一さん(64)は「皆、ストレスをため込んでいる。言い争いがあれば、聞きたくない言葉も聞こえてくる」と話す。

福島県内でいまだ2万8000人以上が仮設暮らしだ。狭くて粗末な仮設の早期解消は、震災関連死や、阪神大震災でも問題になった孤独死を防ぐために喫緊の課題だ。

だが、県などが進める賃貸の復興住宅整備は、用地確保が進まないこともあり、遅れている。民間からの借り上げ住宅を含め、最低限の生活が営める住環境の整備に、国や県はまず取り組むべきだ。住民の健康管理や心のケアも大きな課題だ。

昨年末の指針で、政府は福島県民の全員帰還の方針転換を明確にした。長期に帰還が難しい自治体の住民には、賠償を積み増し移住も促す。

ただし、帰還が困難な地域の自治体や住民が、帰還をあきらめたわけではない。双葉町は、いわき市内に福祉や商業施設を設置し、いわゆる「仮の町」の整備でコミュニティーの維持を図る方針だ。また、今春には、震災で休園・休校になっていた町立幼稚園と小中学校を同市で再開する。9人でのスタートだが、町にとっては久々の明るい話題だ。

読売新聞 2014年03月10日

被災地の教育 心のケアはこれから正念場だ

東日本大震災の被災地では、肉親との死別や生活環境の変化などから、心に不安を抱える子供が少なくない。

1995年の阪神大震災の3年後に、精神面の配慮が必要な小中学生の数がピークとなったことを考えると、これからが心のケアの正念場と言える。

今月発表された厚生労働省研究班の調査結果によると、岩手、宮城、福島の東北3県で3~5歳の時に震災を経験した子供の3割に、怖い体験がよみがえるといった心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状がみられた。

津波で家屋が流されるのを目撃したり、友達を亡くしたりするなどのつらい体験を多く経た子供ほど、PTSDの症状が出やすいと分析している。

周囲に気兼ねして、悲しみなどの感情を抑え込み、ストレスをためる子供も多いとされる。

担任の教師や養護教諭が、日頃から子供たちの様子に目を配り、子供が悩みを打ち明けやすい雰囲気を作ることが大切だ。心の変調が疑われる場合には、医療機関に診断を求める必要もあろう。

被災地で、不登校が顕在化していることも問題だ。

読売新聞が東北3県の沿岸部や東京電力福島第一原子力発電所周辺の42市町村を調べたところ、2012年度に不登校となった公立小中学校の子供は2414人で、震災前より76人増えた。

原因として、震災や原発事故の影響を挙げている市町村が約半数にのぼった。原発事故で避難を繰り返すうちに、学校に通う気力をなくした子もいるという。

全国的に見ると、不登校の小中学生は減少傾向にあるだけに、気がかりな結果である。

生活が安定しない被災地の保護者は、精神的な余裕をなくしがちだ。子供の家庭を訪問し、環境改善を図るスクールソーシャルワーカーの増員など相談体制の強化が、国や自治体に求められる。

手狭な仮設住宅の暮らしが長期化する中、家庭学習の時間が確保しづらいという傾向もある。

宮城県女川町では、NPO法人「カタリバ」が教育委員会と協力して、放課後の学習塾「女川向学館」を運営している。町の小中学生の約3割が通ってくる。

塾の中で子供たちがどのように学習しているかを、指導役の元塾講師らが学校の教師や保護者にも伝えている。地域ぐるみで学力向上を図る仕組みだ。

官民の連携で、こうした試みを継続し、学習環境を整えたい。

産経新聞 2014年03月12日

震災の風評被害 国民みずから払拭しよう

被災地の復興、特に農林業、水産業に「風評被害」が重くのしかかっている。

東日本大震災から3年の節目に、「被災者を支えるために今、何ができるか」と改めて考えた人は多いと思う。

風評被害は、被災地の生産者にとって「どうにもならない」問題だ。消費者である私たち一人一人が、強い意志を持って風評被害の払拭に取り組まなければならない。

風評被害は、原発事故が起きた福島県だけでなく、東北全県や茨城県などにも及ぶ。厳格な安全基準と検査を経て出荷しても、流通段階で敬遠されたり、震災前よりはるかに安い値段で取引されたりという状況が続いている。放射性物質がまったく検出されない野菜や魚介でも、売れない。

例えば、品質が同等の福島県産と長野県産のリンゴが店頭に並んでいたら、検査結果がどうであれ長野県産を買う。そういう心理が集まって風評が膨らみ、被災者を苦しめている。

福島県産を買って被災者を支えよう、というのではない。風評に流されず、品質や安全性をきちんと評価し合理的な理由で選択するよう心がけてほしいのだ。

とても難しいことだ。自分の中の小さな風評と向き合うこともあるだろう。その積み重ねが、被災者に寄り添い、復興を支える力になるはずだ。私たち自身にとっても、「賢い消費者」へのステップになるだろう。

「福島=原発=放射能」というイメージにとらわれて買い物を続けるのは、差別や偏見と同根であるとあえて指摘しておきたい。

広島、長崎の原爆では、放射線による健康被害や後遺症だけでなく、周囲の差別、偏見が長く被爆者を苦しめた。

福島県では「震災関連死」が1600人を超え、地震・津波による直接死を上回った。岩手県の400人台、宮城県の800人台に比べて突出して多い。被災者の心に、風評が重くのしかかっているのではないか。

震災から3年を前に福島県いわき市を訪れた安倍晋三首相は、試験操業で水揚げされた海産物を試食し、「風評被害を払拭するために頑張りたい」と語った。

政府には消費者が安全性を評価できるよう、正確で丁寧な情報発信を求めたい。これを受け国民一人一人が正しい判断をしたい。

産経新聞 2014年03月11日

大震災3年 前を向き復興への夢語れ 政府は効果的な長期支援を

3年がたった。

何年たとうと、3・11が「鎮魂の日」であることは変わらない。3年前、東日本を襲った大地震と大津波による死者・行方不明者は1万8千人を超える。改めてこの日に、犠牲者の霊を慰め、遺族の悲しみを思いやりたい。

≪鎮魂と「備え」に思いを≫

同時に3・11は、記憶を引き継ぎ、次なる大地震、大津波への備えを再確認する日でもある。

地震列島である日本では、いつどこを大地震が襲っても不思議ではない。都市や住宅の耐震化を急ぎ、避難路の確認や常備品の確保など、家庭、職場、学校などの日常における「備え」が被害の大小を分けることは、3・11がもたらした重く貴重な教訓だ。

いまなお、約27万人が避難生活を余儀なくされている。「風化」などという言葉がどれほど実態とかけ離れているか、被災地を訪れれば思い知るだろう。

例えば震災直後、被災現場のあまりの広大さに足がすくんだ岩手県陸前高田市では、いまも同じ広さのまま、重機やトラックが行き交う工事現場と化している。復興は緒についたばかりであると、いやでも実感する。

原発事故の影響を受けた福島県の被災地の多くは、その緒にすらつけていない。

それでも3年がたった。無理強いをしてはいけない。だが前を向ける人は、前を向いてほしい。

一人の青年を紹介する。

及川武宏さん(34)は岩手県大船渡市生まれで、県立大船渡高校のサッカー部では、全国大会でも活躍した。同級生には、日本代表として2度のワールドカップに出場したJリーグ鹿島の小笠原満男選手がいる。

都会に憧れ、東京で就職したが、震災後、公益財団法人の東日本大震災復興支援財団に応募し、職員となった。被災地に五輪選手を呼び、子供のスポーツ支援などの事業を担当してきたが、今年1月、ワイナリー造りを志して家族で大船渡に帰った。

畑を借り、白ワインの原料となるシャルドネの木を、春に100本、秋には1千本植える。5、6年後にはワイン2万本の生産を目指す。20代のころにホームステイで働いたニュージーランドのワイナリーが原点にある。

「海外からの観光客でにぎわうあの姿を、三陸で再現したい。実現するのは僕らの子供の世代になるかもしれないけど」と及川さんは話している。

それには、自身のワイナリーの成功だけでは足りない。すでに陸前高田市や宮城県気仙沼市にも、市や県境を超えて同じ志を持つ仲間がいる。

Jリーグから「東北人魂(たましい)」を訴える小笠原選手とは、大船渡の子供たちのためにサッカー場を造る過程で何度も話し合った。

財団の仕事を通じて知り合った気仙沼市出身のパラリンピック選手、佐藤真海さん(31)は復興支援を通じて体感した「スポーツの力」を世界に訴えて東京五輪招致に結びつけた。

被災地で同志や同世代の輪が広がりつつある。こうした若い芽をつぶさず育てることこそ、本当の復興につながるのではないか。

≪成果を実感の4年目に≫

安倍晋三首相は10日の国会で、「復興は4年目に入る。今年は被災地の皆さまに復興をより実感していただけるようにしていきたい」と語った。言葉通りの1年になることを強く望む。

動き出してはいる。津波被害にあった地域の高台移転では、移転話が持ち上がったほとんどの地域で計画が策定され、事業の着工は64%にのぼる。災害公営住宅も福島県を除く約2万1千戸のうち、着工は6割に達している。

雇用の場を確保する産業復興をめぐっても、本格的な再建にステージが移りつつある。

被災した水産加工施設の8割近くが業務を再開し、津波被害を受けた農地のうち、営農再開が可能になった農地は昨年12月で6割を超えた。

宮城県のイチゴ農家では震災前の7割にまで収穫が回復し、販路拡大に向けて新たに輸出にも乗り出そうとしている。

政府は総額19兆円としていた復興資金を25兆円に拡大し、さらに追加計上も検討するという。復興へ、前を向くための支援は欠かせない。息の長い、効果的な取り組みを求めたい。

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