最高裁国民審査 開かれた選任こそ課題だ

朝日新聞 2009年08月26日

最高裁国民審査 開かれた選任こそ課題だ

最高裁裁判官を信認するかどうかを問う国民審査が、総選挙と同時に行われる。司法への信頼を国民が直接表明できる唯一の機会だ。政権選択を機に国や政府の形が議論されている今、最高裁の人事についても考えたい。

憲法に基づく制度だが、これまでに国民審査で辞めさせられた人は一人もいない。審査の対象になるのは任命後に初めて行われる総選挙の時で、次の機会は10年を経過したあとの総選挙までない。ところが、就任年齢は通例60歳を過ぎていて、70歳の定年までに再度、審査の対象になることは事実上ない。結局、対象の裁判官は就任から間がない人が多くなる。

今回、対象の9人のうち竹崎長官を含む5人は、まだ一度も違憲判断や判例変更ができる大法廷判決に関与していない。判断の材料が乏しすぎる。

いや、国民審査の形骸(けいがい)化より基本的な問題は、彼らが国民からまったく見えない密室の中で選ばれてきていることではあるまいか。

最高裁長官は内閣の指名に基づいて天皇が任命し、14人の最高裁判事は内閣が任命する。しかし実際は、長官については現職が後任を首相に推薦し、内閣が尊重する。判事については、法律家出身者の後任は最高裁が推薦し、官僚出身者の後任は内閣が候補者を絞る。それが慣例となってきた。

選考過程は一切国民の前に明らかにされず、ある日突然、内閣が「決まりました」と発表するのだ。

その結果、最高裁長官は現長官まで9代続いて裁判官出身。判事も裁判官、検察官、弁護士、官僚、法学者の人数枠が固定され、出身母体からの順送り人事となってきた。

どんな仕事をしてきた人がどんな理由で選ばれたのか、国民は知らされない。国民審査が形骸化している根本的な原因はこうしたことにある。

密室人事を透明にすることは、憲法の番人として国会や政府をチェックする最高裁を、国民的な合意に立って作り上げていくうえで極めて重要だ。

司法制度改革審議会も01年の意見書で、最高裁人事について「選任過程に透明性・客観性を持たせることを検討すべきだ」と提言した。

法曹界や衆参両院、学識経験者らで構成する諮問委員会を設け、複数の候補者を内閣に答申する。そんな改革案が国会に提出されたこともあった。

改革の具体化は、政治が真剣に取り組むべきテーマだ。政党側にこの問題を真剣に取り組もうという気配がないのは、残念としかいいようがない。

司法を国民に開かれたものにするため、裁判員裁判が始まった。司法を支える国民的基盤を築くために、最高裁長官と判事の選任過程を公開する。それを通じて、国民審査にも十分な情報を開示することだ。

読売新聞 2009年08月28日

最高裁国民審査 これも1票の重要な機会だ

どのような人物が「憲法の番人」の重責を担っているのか。国民審査は最高裁判所の裁判官の適否を問う、重要な機会といえる。

最高裁裁判官の国民審査が、30日の衆院選に合わせて実施される。今回は、15人の裁判官のうち、竹崎博允長官ら9人が審査対象となっている。

最高裁の裁判官は、内閣によって任命(長官は内閣の指名に基づき天皇が任命)される。慣例として、裁判官、検察官、弁護士、行政官、学者の中から選ばれるが、選考過程は公表されない。

司法権の頂点に位置する裁判官たちの仕事ぶりをチェックするのが、国民審査だ。有権者は、罷免が相当と思う裁判官に「×」を書いて投票する。

だが、裁判官の氏名すら知らず、判断のしようがない、という人も多いだろう。「形骸(けいがい)化した制度」と指摘されるゆえんである。

罷免を求める票が有効票の半数を超えた裁判官は罷免されるが、これまでに罷免の例はない。

各裁判官は、担当した裁判で、どのような見解を示したのか。それが、国民審査での判断材料になる。しかし、各家庭に配布される「国民審査公報」では、判決の詳しい内容までは分からない。

最高裁が出す判決の特徴は、裁判官の個別の判断内容が分かることだ。多数を占めた意見が、最終的な結論になるが、それに反対した裁判官の意見も明記される。

裁判官の考え方を比較しやすいのは、15人全員で審理する大法廷の判決ではないだろうか。

例えば、「1票の格差」が最大で2・17倍だった前回の衆院選が憲法違反かどうかが争われた裁判で、大法廷は2007年6月、多数意見で「合憲」と結論付けた。この裁判には、審査対象の裁判官のうち、3人がかかわった。

過去の主な判決は最高裁のホームページで検索できる。審査の前に閲覧してみてはどうだろう。

最高裁の裁判官が国民審査の対象となるのは、任命後、初めて行われる衆院選の際だ。その後は、10年ごとに再審査を受ける。憲法の規定によるものだが、就任間もない裁判官は、関与した裁判例が少なく、判断材料が乏しい。

さらに、近年、60歳未満で就任した人はおらず、70歳の定年までに審査を受けるのは1度だけ、というのが常態化している。

こうした制度上の問題点も形骸化を招いている要因であろう。制度の今後のあり方について、議論を深めることが必要だ。

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