中東のシリアの人口は2200万。ちょうど東京都と神奈川県を合わせた数である。
東京・神奈川で4人に1人が自分の家を追われ、200万人が国外へ逃げ出している事態を想像できるだろうか。
3年に及ぶ戦火と処刑などで十数万の命が失われ、それが今も日々増えていたら……。
いま最も優先すべきは、国際政治の打算や民族対立の折り合いをつけることではない。
戦闘の即時停止と、「人道的に恥ずべき規模」(国連)にまでなった難民の救済である。
長らく延期されていたシリアの和平会議が、スイスで開かれている。アサド政権と反政府勢力が初めて同じ席についた。
交渉の前途は、あまりに険しい。戦況で優勢に転じたアサド政権には、独裁体制をゆるめる気配はうかがえない。
反政府勢力は分裂しており、会議にやってきた「シリア国民連合」がどれほどの勢力を代表しているのかもあやふやだ。
とはいえ、たとえ非難の応酬になっても、すべての出発点は対話でしかない。
交渉のカギをにぎるのは当事者たちだけではない。むしろ、彼らを取り巻く主要な国々こそ果たすべき責任は大きい。
シリアの情勢は、複層的な代理戦争の様相を呈して久しい。米欧対ロシア、そしてイラン対アラブ諸国の構図である。
米欧はアサド政権の退陣を前提とするが、ロシアは拒んでいる。会議がめざす「移行政府」の考え方は同床異夢だ。
イランは結局、この会議に招かれなかった。直前に国連事務総長が招待を取り消したのも、イランがアサド退陣を受け入れる考えがないからだ。
だが一部の西欧諸国からは、今は政治体制にこだわらず、停戦地域と人道支援の拡大を急ぐべきだとの声が上がっている。
シリアには、戦火のため国際救援の手が届かず、飢餓や医療不足にあえぐ地域が多くある。国連の報告では、国民の半数が貧困に直面している。
政治論争より、人命を救う措置が先決なのは当然だろう。会議では少なくとも、休戦地域を広げるめどをつけるべきだ。
長期的な和平構想づくりは、イラン抜きにはあり得ない。皮肉にも、長年の懸案であるイラン自身の核問題をめぐっては、昨年の国際合意で制裁も緩められ、雪解けムードにある。
シリアを中東の失敗国家として置き去りにしてはならない。日本政府も支援金の上積みにとどまらず、積極的に停戦実現への貢献策を探るべきだ。
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