数々の異常な犯罪に暴走した集団は、社会のどんなひずみから生まれたのか。あらためて、考える機会にしたい。
オウム真理教による事件で、3人の逃亡犯の1人、平田信(まこと)被告の裁判が、きのう始まった。約2年前、いったん幕引きされた一連の裁判の再開である。
代表だった松本智津夫死刑囚の起訴から19年。すでに189人が裁判を終えた。だが、いまに至るも、解明された部分より、未解明の部分の方がはるかに大きい。
新たな被告3人については、市民が参加する裁判員裁判となる。オウムの一連の事件では初めてで、今回は補充も含め10人が任務を引き受けた。
宗教活動に心のよりどころを求めたはずの若者たちが、いかに犯罪行為にかかわっていったのか。
オウムによる事件全体のごく一部ではあるが、市民の視点を加えて裁く意義は大きい。
平田被告は、脱会しようとした信徒の兄の拉致や爆破事件などに関与したとして起訴された。逃亡生活は17年に及んだ。
この間、社会の一隅に身を置きながら、事件をどう省み、何を考えていたのか。初公判で謝罪を口にしたが、それが本心なら、真実を語るしかない。
平田被告の裁判には、死刑囚3人を含む元教団幹部らが出廷する。関係者は全員、当時の実相を率直に明かすべきだ。
刑事裁判は、証拠と法で個人の刑事責任を判断する場であり、事件の社会背景をつかむこと自体を目的とはしていない。
だとしても、この機に再び、教団組織が犯罪集団へと変容していったさまを見つめ直すことは、同じようなことを起こさない助けになるはずだ。
本来なら松本元代表こそ証言すべきだろう。しかし本人は拘置所で意思疎通も困難で、出廷の見込みはないという。
どれほど歳月を経ようとも、「オウム現象」の究明は重い問いとして残り続ける。
一教団が生物・化学兵器を開発して軍事化を進める。指導者の命じるまま拉致や殺人までも正当化する。その果てには、地下鉄サリン事件という未曽有のテロも引き起こした。
いまの若者世代には荒唐無稽とさえ思えることが実際にあった。日本がバブル景気に沸き、世界が冷戦の終わりを迎えたころ、この集団は肥大化した。
あれから多くが変わったいまでは、そんな現象は起こりえない、と言い切れるだろうか。
そう断言できないところに、オウム事件の闇がある。
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