安倍首相が靖国参拝 外交孤立招く誤った道

朝日新聞 2013年12月27日

首相と靖国神社 独りよがりの不毛な参拝

内向きな、あまりに内向きな振る舞いの無責任さに、驚くほかはない。

安倍首相がきのう、靖国神社に参拝した。首相として参拝したのは初めてだ。

安倍氏はかねて、2006年からの第1次内閣時代に参拝しなかったことを「痛恨の極み」と語ってきた。一方で、政治、外交問題になるのを避けるため、参拝は控えてきた。

そうした配慮を押しのけて参拝に踏み切ったのは、「英霊」とは何の関係もない、自身の首相就任1年の日だった。

首相がどんな理由を挙げようとも、この参拝を正当化することはできない。

中国や韓国が反発するという理由からだけではない。首相の行為は、日本人の戦争への向き合い方から、安全保障、経済まで広い範囲に深刻な影響を与えるからだ。

首相は参拝後、「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、手を合わせる。それ以外のものでは全くない」と語った。

あの戦争に巻き込まれ、理不尽な死を余儀なくされた人たちを悼む気持ちに異論はない。

だが、靖国神社に現職の首相や閣僚が参拝すれば、純粋な追悼を超える別の意味が加わる。

政治と宗教を切り離す。それが、憲法が定める原則である。その背景には、軍国主義と国家神道が結びついた、苦い経験がある。

戦前の靖国神社は、亡くなった軍人らを「神」としてまつる国家神道の中心だった。戦後になっても、戦争を指導し、若者を戦場に追いやったA級戦犯をひそかに合祀(ごうし)した。

境内にある「遊就館」の展示内容とあわせて考えれば、その存在は一宗教法人というにとどまらない。あの歴史を正当化する政治性を帯びた神社であることは明らかだ。

そこに首相が参拝すれば、その歴史観を肯定していると受け止められても仕方ない。

それでも参拝するというのなら、戦死者を悼みつつ、永遠の不戦を誓った戦後の日本人の歩みに背を向ける意思表示にほかならない。

首相の参拝に、侵略の被害を受けた中国や韓国は激しく反発している。参拝は、東アジアの安全保障や経済を考えても、外交的な下策である。

安倍首相はこの春、「侵略の定義は定まっていない」との自らの発言が内外から批判され、歴史認識をめぐる言動をそれなりに自制してきた。

一方、中国は尖閣諸島周辺での挑発的な行動をやめる気配はなく、11月には東シナ海の空域に防空識別圏を一方的に設定した。米国や周辺諸国に、無用な緊張をもたらす行為だとの懸念を生んでいる。

また、韓国では朴槿恵(パククネ)大統領が、外遊のたびにオバマ米大統領らに日本の非を鳴らす発言を繰り返してきた。安倍首相らの歴史認識への反発が発端だったとはいえ、最近は韓国内からも大統領のかたくなさに批判が上がっていた。

きのうの首相の靖国参拝が、こうした東アジアを取り巻く外交上の空気を一変させるのは間違いない。

この地域の不安定要因は、結局は歴史問題を克服できない日本なのだという見方が、一気に広がりかねない。米政府が出した「失望している」との異例の声明が、それを物語る。

外交官や民間人が関係改善や和解にどんなに力を尽くそうとも、指導者のひとつの言葉や行いが、すべての努力を無にしてしまう。

問題を解決すべき政治家が、新たな火種をつくる。

「痛恨の極み」。こんな個人的な思いや、中国や韓国に毅然(きぜん)とした態度を示せという自民党内の圧力から発しているのなら、留飲をさげるだけの行為ではないか。それにしてはあまりに影響は大きく、あまりに不毛である。

首相はきのう、本殿横にある「鎮霊社」にも参った。

鎮霊社は、本殿にまつられないあらゆる戦没者の霊をまつったという小さな社(やしろ)だ。首相は、ここですべての戦争で命を落とした方の冥福を祈り、不戦の誓いをしたと語った。

安倍首相に問いたい。

それならば、軍人だけでなく、空襲や原爆や地上戦に巻き込まれて亡くなった民間人を含むすべての死者をひとしく悼むための施設を、新たにつくってはどうか。

どんな宗教を持つ人も、外国からの賓客も、わだかまりなく参拝できる追悼施設だ。

A級戦犯がまつられた靖国神社に対する政治家のこだわりが、すべての問題をこじらせていることは明白だ。

戦後70年を控えているというのに、いつまで同じことを繰り返すのか。

毎日新聞 2013年12月27日

安倍首相が靖国参拝 外交孤立招く誤った道

安倍晋三首相は、先の大戦における日本の戦争責任をあいまいにしたいのか。首相が政権発足1年を迎えた26日、東京・九段北の靖国神社を参拝したことは、首相の歴史認識についての疑念を改めて国内外に抱かせるものだ。外交的な悪影響は計り知れない。中国、韓国との関係改善はさらに遠のき、米国の信頼も失う。参拝は誤った判断だ。

「二度と再び戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくる不戦の誓いをした」。安倍首相は、現職首相として2006年の小泉純一郎首相以来7年ぶりに靖国参拝した理由を説明した。本殿に加え、氏名不詳の国内外の戦没者をまつっているとされる鎮霊社も参拝した。

私たちは、国の指導者が戦没者を追悼するのは本来は自然な行為であり、誰もがわだかまりなく戦没者を追悼できるような解決策を見いだすべきだと主張してきた。しかし靖国は首相が戦没者を追悼する場としてふさわしくない。先の大戦の指導者たちがまつられているからだ。

靖国神社は、第二次世界大戦の終戦から33年たった1978年、極東国際軍事裁判(東京裁判)で侵略戦争を指導した「平和に対する罪」で有罪になったA級戦犯を、他の戦没者とあわせてまつった。合祀(ごうし)の背景には、東京裁判の正当性やアジアへの侵略戦争という歴史認識に否定的な歴史観がある。

戦後日本は、52年に発効したサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ、国際社会に復帰した。それなのに、こうした背景を持つ靖国に首相が参拝すれば、日本は歴史を反省せず、歴史の修正を試み、米国中心に築かれた戦後の国際秩序に挑戦していると受け取られかねない。

昭和天皇が靖国を参拝しなくなったのは、A級戦犯の合祀に不快感を持っていたからとされる。それを示す富田朝彦元宮内庁長官のメモが明らかになっている。

首相は参拝は戦犯崇拝ではないと釈明している。だが首相の歴史認識には、靖国の歴史観に通じる東京裁判への疑念や侵略を否定したい心情があるとみられる。首相は国会で、大戦について「侵略の定義は定まっていない」と侵略を否定したと受け取られかねない発言をした。東京裁判についても「連合国側の勝者の断罪」と語った。

首相自身に歴史修正の意図はなかったとしても、問題は国内外からどう見られるかだ。それに無頓着であっていいはずがない。

読売新聞 2013年12月27日

首相靖国参拝 外交立て直しに全力を挙げよ 

“電撃参拝”である。なぜ、今なのか。どんな覚悟と準備をして参拝に踏み切ったのか。多くの疑問が拭えない。

安倍首相が政権発足1年を迎えた26日午前、就任後初めて靖国神社に参拝した。現職首相の参拝は、2006年8月15日の小泉首相以来だ。

安倍首相は、第1次政権の任期中に靖国神社に参拝できなかったことについて「痛恨の極み」と述べていた。その個人的な念願を果たしたことになる。

◆気がかりな米の「失望」

首相は終戦記念日と靖国神社の春・秋季例大祭の際、()(さかき)や玉串料を奉納するにとどめてきた。

参拝すれば、靖国神社を日本の軍国主義のシンボルと見る中国、韓国との関係が一層悪化し、外交上、得策ではないと大局的に判断したからだろう。

米国も首相の参拝は中韓との緊張を高めると懸念していた。ケリー国務長官とヘーゲル国防長官が10月の来日の際、氏名不詳で遺族に渡せない戦没者の遺骨を納めた千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花したのは、そのメッセージだ。

気がかりなのは、米国が「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」と、異例の声明を発表したことである。

日米関係を最重視する首相にとって誤算だったのではないか。

中国は東シナ海上空に防空識別圏を一方的に設定し、日中間の緊張を高めている。尖閣諸島をめぐって、さらに攻勢を強めてくる可能性もある。

日本は同盟国の米国と連携して領土・領海を守り抜かねばならない。この微妙な時機に靖国神社に参拝し、政権の不安定要因を自ら作ってしまったのではないか。

首相周辺には、「参拝しなくても中韓は日本批判を繰り返している。それなら参拝しても同じだ」と参拝を促す声があったという。首相が、中韓両国との関係改善の糸口を見いだせず、そうした判断に至ったのであれば残念だ。

公明党の山口代表は首相から参拝直前に電話があった際、「賛同できない」と反対した。「中韓両国の反発を予測しての行動だろうから、首相自身が改善の努力をする必要がある」と述べている。

首相は、外交立て直しに全力を挙げねばなるまい。

◆中韓の悪のりを許すな

首相は、参拝について「政権発足後、1年間の歩みを報告し、戦争の惨禍で再び人々が苦しむことのない時代を創る決意を込めて不戦の誓いをした」と説明した。中韓両国などに「この気持ちを直接説明したい」とも語った。

だが、中韓両国は、安倍首相に耳を傾けるどころか、靖国参拝を日本の「右傾化」を宣伝する材料に利用し始めている。

中国外務省は、「戦争被害国の国民感情を踏みにじり、歴史の正義に挑戦した」との談話を表明した。韓国政府も「北東アジアの安定と協力を根本から損なう時代錯誤的な行為」と非難している。

誤解、曲解も甚だしい。

日本は戦後、自由と民主主義を守り、平和国家の道を歩んできた。中韓が、それを無視して靖国参拝を批判するのは的外れだ。

そもそも対日関係を悪化させたのは歴史認識問題を政治・外交に絡める中韓両国の方だ。

今回の参拝の是非は別として一国の首相が戦没者をどう追悼するかについて、本来他国からとやかく言われる筋合いもない。

◆A級戦犯合祀が問題

靖国神社の前身は、明治維新の戦火で亡くなった官軍側の慰霊のために建立された「東京招魂社」だ。幕末の志士や日清、日露戦争、そして昭和戦争の戦没者らが合祀(ごうし)されている。戦没者だけが(まつ)られているわけではない。

靖国参拝が政治問題化した背景には、極東国際軍事裁判(東京裁判)で処刑された東条英機元首相ら、いわゆる「A級戦犯」が合祀されていることがある。

靖国神社は、合祀した御霊(みたま)を他に移す分祀は、教学上できないとしているが、戦争指導者への批判は根強く、「A級戦犯」の分祀を求める声が今もなおある。

首相は、靖国神社の境内にある「鎮霊社」に参拝したことも強調した。靖国神社には合祀されない国内外の戦死者らの慰霊施設である。そうした配慮をするのなら、むしろ千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参るべきではなかったか。

今の靖国神社には、天皇陛下も外国の要人も参拝しづらい。無宗教の国立追悼施設の建立案を軸に誰もがわだかまりなく参拝できる方策を検討すべきである。

産経新聞 2013年12月27日

首相靖国参拝 国民との約束果たした 平和の維持に必要な行為だ

安倍晋三首相が靖国神社に参拝した。多くの国民がこの日を待ち望んでいた。首相が国民を代表し国のために戦死した人の霊に哀悼の意をささげることは、国家の指導者としての責務である。安倍氏がその責務を果たしたことは当然とはいえ、率直に評価したい。

≪慰霊は指導者の責務≫

参拝後、首相は「政権が発足して1年の安倍政権の歩みを報告し、二度と戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくるとの誓い、決意をお伝えするためにこの日を選んだ」と述べた。時宜にかなった判断である。

安倍氏は昨年の自民党総裁選や衆院選などで、第1次安倍政権で靖国神社に参拝できなかったことを「痛恨の極みだ」と繰り返し語っていた。遺族をはじめ国民との約束を果たしたといえる。

靖国神社には、幕末以降の戦死者ら246万余柱の霊がまつられている。国や故郷、家族を守るために尊い命を犠牲にした人たちだ。首相がその靖国神社に参拝することは、国を守る観点からも必要不可欠な行為である。

中国は軍事力を背景に、日本領土である尖閣諸島周辺での領海侵犯に加え、尖閣上空を含む空域に一方的な防空識別圏を設定した。北朝鮮の核、ミサイルの脅威も増している。

今後、国土・国民の防衛や海外の国連平和維持活動(PKO)などを考えると、指導者の責務を果たす首相の参拝は自衛官にとっても強い心の支えになるはずだ。

安倍首相が靖国神社の本殿以外に鎮霊社を参拝したことも意義深い行為だ。鎮霊社には、広島、長崎の原爆や東京大空襲などで死んだ軍人・軍属以外の一般国民の戦没者や、外国の戦没者らの霊もまつられている。

これからの日本が一国だけの平和ではなく、世界の平和にも積極的に貢献していきたいという首相の思いがうかがえた。

安倍首相の靖国参拝に対し、中国外務省は「強烈な抗議と厳しい非難」を表明した。韓国政府も「嘆かわしく怒りを禁じ得ない」との声明を発表した。

いわれなき非難だ。中韓は内政干渉を慎み、首相の靖国参拝を外交カードに使うべきではない。

在日米大使館も「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米国政府は失望している」と、日本と中韓両国との関係を懸念した。

繰り返すまでもないが、戦死者の霊が靖国神社や地方の護国神社にまつられ、その霊に祈りをささげるのは、日本の伝統文化であり、心のあり方である。

安倍首相は過去に靖国参拝した吉田茂、大平正芳、中曽根康弘、小泉純一郎ら各首相の名前を挙げ、「すべての靖国に参拝した首相は中国、韓国との友好関係を築いていきたいと願っていた。そのことも含めて説明する機会があればありがたい」と話した。

両国は、これを機に首脳同士の対話へ窓を開くべきだ。

以前は、靖国神社の春秋の例大祭や8月15日の終戦の日に、首相が閣僚を率いて靖国参拝することは普通の光景だった。

≪日本文化に干渉するな≫

中国が干渉するようになったのは、中曽根首相が公式参拝した昭和60年8月15日以降だ。中曽根氏は翌年から参拝をとりやめ、その後の多くの首相が中韓への過度の配慮から靖国参拝を見送る中、小泉首相は平成13年から18年まで、年1回の靖国参拝を続けた。

安倍首相は来年以降も参拝を続け、「普通の光景」を、一日も早く取り戻してほしい。

また、安全保障や教育再生、歴史認識などの問題でも、自信をもって着実に安倍カラーを打ち出していくことを求めたい。

第2次安倍政権は発足後1年間で、国家安全保障会議(日本版NSC)創設関連法や特定秘密保護法など、国の安全保障のための重要な法律を成立させた。

しかし、集団的自衛権の行使容認などの懸案は先送りされた。憲法改正の発議要件を緩和する96条改正についても、反対論により「慎重にやっていかないといけない」と後退してしまった。

これらは首相が掲げる「戦後レジーム」見直しの核心であり、日本が「自立した強い国家」となるための基本である。首相自身が正面から、懸案解決の重要性を国民に説明し、決断することが宿題を片付けることにつながる。

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