公害病と認定されてから45年、「全面解決」までの道のりは、あまりに長かった。
富山県の神通川流域で発生したイタイイタイ病を巡り、被害者団体と原因企業の三井金属鉱業が被害者救済の合意書に調印した。三井金属鉱業は初めて正式に謝罪した。
被害者の高齢化が進む。他界した人も少なくない。被害者と原因企業が歩み寄り、全面解決を実現させたことを評価したい。
環境省の基準でイタイイタイ病と認定されず、救済から漏れていた被害者に、三井金属鉱業が1人当たり60万円の一時金を支払うのが、合意書の柱だ。
認定患者への賠償金1000万円とは大きな開きがある。早期解決を目指してきた被害者たちにとって、解決案の受け入れは苦渋の決断だったろう。
一時金は、イタイイタイ病の前段症状である腎機能低下の度合いなどで、条件を満たした人が対象となる。該当者は1000人近くに上るとみられる。
三井金属鉱業には、可能な限り多くの人を救済する姿勢で臨むことが求められる。
イタイイタイ病は、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくとともに4大公害病に数えられる。体の骨が折れやすくなり、患者が「痛い、痛い」と泣き叫んだことから、病名が付いた。1968年、日本初の公害病に認定された。
原因は、神岡鉱業所(岐阜県)から排出された重金属のカドミウムだ。汚染流域で収穫されたコメなどを通じて被害が広がった。
三井金属鉱業は、認定患者への賠償金支払いに加え、汚染地域の土壌改善などに取り組んできた。汚染された農地の復元事業は昨年、ようやく終了した。
いったん公害を引き起こすと、被害者救済や環境の回復に長い年月と多くの費用を要する。イタイイタイ病の教訓である。
環境省の患者認定基準が、早期の幅広い救済を阻んだと言えよう。重症化し、骨軟化症にならないと、イタイイタイ病と認定されないため、比較的、軽症の人が置き去りにされる結果となった。
認定のハードルが極めて高いという点では、水俣病も同様だ。
最高裁は4月、環境省の基準で認定を退けられたケースについて、水俣病患者と認める判断を示した。被害者救済を巡る争いは、今なお続いている。
水俣病問題でも、被害者をはじめ、当事者同士の歩み寄りが何よりも求められる。
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