沖縄核密約 署名文書発見の衝撃

朝日新聞 2009年12月23日

沖縄核密約 署名文書発見の衝撃

沖縄返還をめぐる日米密約の決定的な証拠文書が見つかった。

当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還に合意した1969年に交わした合意議事録の現物だ。「重大な緊急事態」の際は米国が沖縄に再び核兵器を持ち込むことを認める、と約束している。

この密約の存在は、佐藤氏の密使としてキッシンジャー大統領補佐官との交渉にあたった故若泉敬・元京都産業大教授が90年代に著作の中で明らかにした。しかし、日本政府は否定を続け、米国側の情報公開でも、この文書の存在は確認されていなかった。

鳩山政権は、自民党政権時代の日米密約の解明作業を続けている。すでに、核を積んだ米艦船の日本寄港や領海通過を事前協議の対象外とする密約を裏付ける関連文書がみつかっている。だが、40年の時を経て密約そのものの文書が発見された衝撃は深い。

英文でタイプされた文書には、両首脳の署名もある。再持ち込み先として、日米合意で普天間飛行場の移設先とされた辺野古をはじめ嘉手納、那覇などの地名も挙げられている。極秘とすることも念押しされている。その生々しさには息をのむばかりだ。

東西の冷戦下で、当時はベトナム戦争が激しくなっていた。米側は佐藤氏が求めた「核抜き本土並み」返還を受け入れ、沖縄県内の米軍基地からの核兵器の撤去に応じた。その代わり、有事の際の再持ち込みへの確約を日本の首相からとりつけていた。

米国の軍事戦略にとって沖縄がどれほど重要か、そして返還後もその役割をできるだけ減じたくなかった米政府の思惑を、鮮明に映し出している。

自らの手でなんとしても沖縄返還を果たそうとした佐藤氏は、米側の要求をのみ、非核三原則との矛盾を隠すために「密約」として国民を欺く道を選んだことになる。

鳩山由紀夫首相や岡田克也外相は、外務省の有識者委員会に密約の真相解明を委ねる考えを示した。

確認すべきは、この秘密合意が日本政府の中でどのように引き継がれてきたのかだ。歴代首相や外交当局者は国民に真実を語ってほしい。

さらに重要なのは、密約が現在もなお法的な効力を持つものなのかどうかについて、日米両政府が協議し、見解を一致させることだ。

当時と今とでは、安全保障環境も核兵器の運用も大きく異なる。現実問題として米国が日本に核兵器の持ち込みを求める可能性は極めて低い。しかし、だからといって密約と非核三原則との矛盾を放置はできない。同盟に対する国民の信頼も揺らぎかねない。

鳩山政権の普天間移設問題への姿勢をめぐって日米関係がきしんでいる時だからこそ、賢明な対処を望む。

毎日新聞 2009年12月27日

沖縄核密約 文書の意味徹底検証を

沖縄返還交渉時の核持ち込みをめぐる密約文書が見つかった。密約があったことを決定づける歴史的資料だ。しかし、文書の位置付けにあいまいな点があり、その持つ意味をきちんと検証する必要がある。

発見されたのは1969年11月にワシントンで行われた日米首脳会談の際、当時の佐藤栄作首相とニクソン大統領が秘密裏に署名した合意議事録だ。首脳会談では沖縄の「核抜き本土並み」返還が合意されたが、両首脳は同時に有事の際の沖縄への核再持ち込みを2人だけで確認していたのだ。

密約文書の要点はこうだ。大統領が「重大な緊急事態が生じた際、米政府は日本政府と事前協議を行ったうえで核兵器を沖縄に再び持ち込むことと、通過する権利が認められることを必要とする」との米側の立場を示し、首相が「事前協議が行われた場合は遅滞なくそれらの必要を満たす」と応じている。

さらに、議事録は2通作成し首相と大統領がそれぞれ保管すると明記し、文末に両首脳がフルネームで署名している。

当時、佐藤首相は日本国民の強い反核感情を踏まえ、沖縄の「核抜き本土並み」返還を強く希望していた。一方、ニクソン大統領はベトナム戦争の激化などで米国が沖縄の核を手放せる状況にないと考えていた。返還にあたり米国は沖縄の核をすべて撤去するが緊急事態の際の再持ち込みは可能にしておくという密約は、それぞれの事情を抱えた両首脳の妥協の結果生まれたものといえる。

経緯に関しては佐藤首相の密使を務めた若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に出版した著書で明らかにしている。だが、文書そのものが未確認だったこともあり、外務省は密約の存在を否定してきた。

今回の発見で密約があったことははっきりした。しかし、密約がのちの首相や外務省首脳らに引き継がれたのかどうかは不明だ。岡田克也外相は文書の扱いを外務省の有識者委員会に委ねる考えを示している。徹底的に検証してもらいたい。

文書の位置付けが不明確なのも問題だ。保管していた佐藤元首相の次男の佐藤信二元通産相によれば、文書の公的保存の可能性を複数の外務省OBに相談したところ「私文書」との判断を示されたため、個人的に保管してきたという。日米両政府の最高首脳が署名した文書を「私文書」扱いにした判断は腑(ふ)に落ちない。きちんとした位置付けが必要だ。

文書の効力を米側がどう考えているのかを確認することも重要だ。日米間にそごがあってはならない。米側との確認作業は、密約解明を指示した岡田外相の仕事である。

読売新聞 2009年12月24日

「佐藤」核密約 東西冷戦下の苦渋の選択だ

沖縄返還後の核再持ち込みをめぐる日米密約の存在を裏付ける貴重な資料が発見された。

1972年の沖縄返還に先立つ69年11月、ワシントンで開かれた日米首脳会談で、佐藤栄作首相とニクソン米大統領が極秘に署名した「合意議事録」である。

文書は、米国が沖縄返還時にすべての核兵器を撤去するものの、極東有事などの際には再び持ち込む権利を持つことを、日本側が認める内容となっている。

密約の存在は、佐藤首相の密使を務めた若泉敬氏が明らかにしていたが、文書自体の確認は初めてで、その歴史的意義は大きい。

沖縄返還交渉で、日本側は「核抜き本土並み」の返還を求めたのに対し、米側は、極東の安全保障の観点から、有事の核再持ち込みの必要性を主張した。

密約は、米ソ対立による東西冷戦の下、核を忌避する日本の国民感情と安全保障を両立させつつ、沖縄返還を確実にするための苦渋の選択だったと言えよう。

外務省は、有識者委員会を設置し、今回の件を含む四つの密約問題を調査、検証している。合意議事録の発見は、この作業を大きく前進させるだろう。

議事録は、佐藤首相の自宅に保管されていた。その内容は、歴代首相や外務省幹部にきちんと引き継がれていたのか。有識者委員会は、関係者からの聞き取り調査などを通じて、真相を究明してもらいたい。

政府は従来、一貫して密約の存在を否定してきた。だが、日本外交に対する国民の信頼を回復するには、密約の存在を認め、問題にけじめをつけるべきだ。

冷戦は終わったが、現在の日本の安全保障環境は必ずしも改善されたとは言い難い。

北朝鮮は核実験を2度実施し、日本を射程に収める弾道ミサイルを大量に保有する。中国の国防費は21年連続で2ケタの伸びを示した。日本に照準を合わせた核ミサイルも多数配備している。

日本にとって米軍の核抑止力は依然、不可欠である。

ところが、鳩山政権は、米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる優柔不断な対応で米側の強い不信を招き、日米同盟は今、大きく揺らいでいる。

核抑止力を維持するには、「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則の「持ち込ませず」のうち、核搭載艦船や航空機の寄港・立ち寄りを可能にすることも、十分検討に値するだろう。

この記事へのコメントはありません。

この社説へのコメントをどうぞ。
お名前
URL
コメント

この記事へのトラックバックはありません。

トラックバックはこちら
http://shasetsu.ps.land.to/trackback.cgi/event/159/