これが平和主義と呼べるのだろうか。
安倍政権が、日本の外交・安保政策の指針となる初めての国家安全保障戦略(NSS)の原案をまとめた。
新防衛大綱とともに、年末に閣議決定する方針だ。今後10年を想定した内容となる。
国の安全保障を考えるとき、防衛だけを突出させず、外交や経済をふくむ総合的な戦略を描くことには意味がある。
だが原案が示すのは、日本が軍事分野に積極的に踏み出していく方向性だ。外交努力への言及は乏しい。
日本が抑制的に対応してきた軍事のしばりを解く。ここに主眼があるのは疑いない。
原案には盛り込まれなかったが、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認も、視野に入っているだろう。
それが首相の言う「積極的平和主義」だとすれば、危うい道と言わざるをえない。
紛争から距離をとり、非軍事的な手段で平和構築をはかってきた戦後日本の歩みとは根本的に異なるものだ。
きのうの衆院予算委員会で、民主党の岡田克也氏は「集団的自衛権まで認めるのなら憲法9条とは何か。『普通の国』になるのか」とただした。首相は「(有識者懇談会の)結論を待ちたい」と答弁したが、だれもが抱く疑問ではないか。
一方で、原案には武器輸出三原則の見直しの必要性が明記された。防衛産業の強い要請を受け、武器輸出の拡大をはかる。ここでも軍事のしばりを解く意図があらわになっている。
輸出後の目的外使用や第三国移転に事前同意を義務づけるといった「厳格な管理」の規定は防衛産業には不評だ。しかし、これを見直せば、三原則の空文化は一層進むだろう。
武器輸出に歯止めがなくなれば、日本製の武器が紛争を助長する懸念がぬぐえない。国際環境が変わっても武器は残り、日本の意図に反して使われる恐れすらある。
政権は今国会で、日本版NSCと呼ばれる国家安全保障会議をつくる法案の成立をはかる。首相のもとに情報を一元化し、外交・安保政策の司令塔とする試みである。
本来ならNSCで国際情勢を緻密(ちみつ)に分析し、時間をかけて安保戦略を練るのが筋だろう。しかし政権は、有識者の議論を追認する形で、年末の策定に踏み切ろうとしている。
平和国家の基本理念を、なし崩しに覆すようなことがあってはならない。
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