障害者制度改革 真の「自立」のために

朝日新聞 2009年12月21日

障害者参加 社会の壁崩す政策を

障害のある人がみずから、政府の障害者施策づくりに参加する。

舞台は、鳩山由紀夫首相を本部長とする障がい者制度改革推進本部の下で実務を担う「推進会議」だ。委員の過半数を障害者が占めることになった。

まず、鳩山政権が早期廃止を明言している障害者自立支援法に代わる、総合的な福祉法制を検討する。

2006年に施行された自立支援法は障害者にとても不評だ。自律的に生きようと社会に参加するほど、福祉サービスの原則1割負担が重荷にならざるをえないためだ。

新たな法制にもある程度、自己負担の仕組みは避けられまいが、所得の低い人には十分な配慮が要る。

欧米諸国では障害者が人口比の1、2割を占めるが、日本は5%ほどだ。難病や発達障害を抱えて支援が必要なのに、認定制度から漏れているからだ。詳しい実態を把握したい。

そのうえで、入所施設で保護することを中心に考えられてきた障害者福祉政策を再検討してほしい。施設にいる障害者は1割にすぎないが、望まずして何十年も施設で暮らしたり、逆に、自宅で家族だけが重い介護の負担を背負ったりしている例は少なくない。

地域に暮らしながら、施設に通ったり、自宅で福祉サービスを受けたりできる人たちをもっと増やせるよう、柔らかな制度設計を考えるべきだ。

3年前、国連で障害者権利条約が採択された。障害者自身の政策立案への参加は、この条約づくりでの合言葉だった。70カ国以上が批准しているのに、日本は国内の立法や対策が不十分なため批准できていない。

いまの日本では障害者が社会に出ると、まだまだハードルがある。車いすで上れない段差、耳が聞こえないろう者には届かない放送……。

そんな壁を取り除くことが条約の狙いだ。壁のために障害者が教育や就労の機会を失うことは人権の侵害であり、変わるべきは社会の仕組みだ。条約はそうした考え方を求めている。

たとえば、企業には、車いす社員のために社内施設の段差をなくしたり、ろうの同僚と情報を共有するため会議メモを作ったりする努力が求められる。過大な負担でないのにそうした配慮を拒むことは差別とみなされても仕方がない。障害を理由に入学や就職、施設利用を断ることも許されない。

こうした社会の実現に向け、推進会議は5年かけて改革に取り組む。その中では、障害者差別禁止法や虐待防止法の検討も必要だろう。

障害者にはだれもがなりうる。日本人は、一生のうち平均7年間を病気や障害を抱えて暮らすという統計もある。障害がある人にもない人にも、住みやすく働きやすい社会をつくる努力を重ねたい。

毎日新聞 2009年12月18日

障害者制度改革 真の「自立」のために

Nothing about us,without us(私たちのことを私たち抜きで決めるな)。国連障害者権利条約の成立過程で障害者たちが口にしたスローガンである。福祉を施される対象ではなく、自ら政策決定する主体になるべきだというのだ。日本の障害者には遠い理想のように思われていた。しかし、これが現実になろうとしている。

政府は「障がい者制度改革推進本部」(本部長・鳩山由紀夫首相)を設置した。障害当事者が過半数を占める推進会議が、障害者自立支援法を廃止した後の制度、障害者虐待防止法、障害者基本法改正などの作業に直接参加することになる。

まずはその意義を評価したい。自立支援法では利用者負担に批判が集中したが、より本質的な問題は「自立」の概念にあったように思える。治療や訓練によって障害を克服することを自立と考えるのは、旧来の医学モデルの障害観に基づいた概念であり、その要素が制度に組み込まれた自立支援法に反発を感じた人は多かった。無理な訓練ではなく、必要な支援によって障害をありのまま受け入れながら自己決定を目指す。そうした社会モデルの自立概念こそ国連権利条約の理念に近いものではないか。障害者自身が真の自立の扉を開けることに期待したい。

そのために越えなければならない壁がある。限られた財源の中でこの理想を追求すると、一部にしかサービスが届かなくなる。自立支援法の前の支援費制度がそうだった。先駆的な自治体、交渉能力のある障害者にサービスが集中し、地域間・障害者間に著しいサービスの偏在が見られた。輝かしい理念を実現するためには、大きな財源が必要なのだ。

「一億総中流」の時代と違って生活困窮者が社会にあふれ、どれだけ財源があっても足りない現実に国民は直面している。大変なのは障害者だけではない。それでも障害者に財源を回すには、国民を説得しなければなるまい。座り込みや集会や訴訟によって抗議の声を上げたのと異なり、これからは政府の中にあって批判も浴びながら理解を得ていかねばならないのである。

鳩山政権の責任の重さも指摘しておきたい。自立支援法を廃止するのはいいが、利用者負担軽減の費用(約300億円)すら見通しが立たないのに、はるかに膨らむであろう新制度の財源をどう確保できるのか。声を上げる社会的弱者に場当たり的に手形を切るだけでは、持続可能な制度は作れないだろう。障害者といっても実にさまざまである。軽度発達障害者、そして自らの意思で入所施設や病院に入っているわけではない人が津々浦々にいることも忘れないでほしい。

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