地球の気候を安定化させ、悪影響を防ぐために、世界がどこまで歩み寄れるか。100カ国を超える各国首脳が集い温暖化防止に向け合意を探った会議は、「コペンハーゲン協定」を採択できずに終わった。
デンマークのコペンハーゲンで開かれた「国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)」は、協定について、拘束力の弱い「承認」という形にとどめた。
2012年で期限が切れる京都議定書以降(ポスト京都)の地球の姿を描く重要な転換点だっただけに、非常に残念な結果だ。
ポスト京都の枠組み構築までに残された時間は少ない。このまま、温暖化防止に向けた機運がしぼんでしまうことがあってはならない。新たな合意をめざし、各国が粘り強い交渉を続けることが不可欠だ。
18世紀に英国を中心に起きた産業革命は、石炭や石油など化石燃料を大量消費する工業化社会を生み出した。その結果、私たちが直面しているのが地球温暖化だ。
気温上昇をもたらす二酸化炭素の世界の排出量は、自然界が吸収できる量の2倍を超えた。このまま温室効果ガスの排出が増え、産業革命以降の気温上昇が2度を超えると、世界に悪影響が及ぶ。科学者集団「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が指摘する地球の危機だ。
COP15で首脳がまとめた「コペンハーゲン協定」は、気温上昇を2度以内に抑える必要性や、途上国支援の金額などを盛り込んだ。来年1月末までに先進国は中期削減目標を、途上国は削減計画を提出することも盛り込まれている。
ただし、「2度以内」を実現するために誰がどのように削減責任を負うのか、途上国の実際の削減が担保できるかどうかは不透明だ。ポスト京都の枠組みのあり方さえ示せず、期待はずれの内容だ。
COP15の最大の課題は、世界の2大排出国である米国と中国も参加し、それぞれが削減に責任を負う枠組みの構築だった。
京都議定書では世界の排出の4割を占める米国と中国に削減義務が課せられていない。このままでは、地球規模の削減に実効性を持たせることは不可能だ。
京都議定書から空白期間を設けずに次の削減行動につなげるには、COP15で新議定書につながる政治合意をまとめることが最低ラインだった。合意には、2050年までの長期目標、先進国と途上国の中期目標、さらに、途上国への資金援助や、温暖化の被害を軽減する対策などが盛り込まれる必要もあった。
にもかかわらず、合意が採択できなかった背景には、途上国と先進国の根強い対立がある。
温暖化対策の基本原則は、「共通だが差異ある責任」だ。中国など新興国に先進国と同等の削減義務を負わせるのはむずかしい。しかし、経済発展に伴い急速に排出量を増やしている中国やインドが削減責任を負わなければ、公平性に欠ける。
そこで重要となるのが、すべての削減を「測定・報告・検証」する透明性確保の仕組みだ。
ところが、中国はこれを拒否し、自らが削減義務を負わない京都議定書の延長に固執した。国際的枠組みの中での責任を明確にしないという態度は、経済発展を遂げる大国にふさわしくない。
米国にも弱みがある。COP15直前に「05年比17%減」という数値目標を公表したものの、90年比では約4%削減に過ぎない。議会で審議中の温暖化対策法案の足かせがあり、一歩踏み込むことも難しい。
結局、国際交渉をリードできず、かけつけたオバマ大統領も存在感を示せないままだった。議長国デンマークの調整能力の弱さも、交渉を難航させた一因だ。
国際交渉の場で、日本が存在感を示せたかどうかにも疑問がある。「90年比25%削減」という中期目標がCOP15開催前の米中などの数値目標表明を後押しした要素はあるだろう。しかし、COP15の場では中国などから歩み寄りを引き出すことができなかった。
日本では産業界を中心に、「25%の削減目標は突出しているのではないか」といった懸念も広がった。しかし、日本は削減努力をやめてはならない。
他国の状況によらず、日本が化石燃料の大量消費に歯止めをかけ、低炭素社会に向けてかじを切ることの重要性は変わらない。腰を引くのではなく、削減を成長戦略につなげる具体策を精力的に探るべきだ。
交渉難航の背景には、金融危機の影響もありそうだ。世界の目が目先の経済対策に注がれ、温暖化対策が二の次になっている可能性がある。
しかし、産業革命が世界を大きく変革したように、低炭素革命はこれからの世界を飛躍的に変化させる潜在力をはらんでいる。世界が参加するポスト京都の枠組み作りに向けて、着実に前進することが何より大事だ。
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