「はだしのゲン」 教育上の配慮をどう考えるか

朝日新聞 2013年08月30日

はだしのゲン 図書で知る戦争と平和

小・中学校に対し、漫画「はだしのゲン」を図書館で自由に読めなくするよう求めていた松江市教委が、措置を撤回した。

事務局が教育委員に相談しないまま決めていたことから、5人の委員全員が「手続きに不備があった」と判断した。

閲覧規制を白紙に戻したのは良識的な結論と言える。ただ、理由が手続きの問題にとどまっているのは残念だ。

ことの発端は昨年8月。旧日本軍の戦場での行為や昭和天皇の戦争責任に関して「ゲン」の歴史認識に誤りがあり、学校図書館から撤去してほしいとの陳情があった。市議会は不採択にし、市教委もそのときは撤去に応じない方針を示した。

閲覧制限を支持する人たちの間では、陳情と同じように、反天皇制的だなどと、漫画の歴史認識を問題視する声が目立つ。

だが、ゲンの真骨頂は作者の中沢啓治さんが実体験した原爆の悲惨さを見事に伝えている点にある。だからこそ、国内外で読み継がれてきた。その作品を、歴史観の相違を訴える人がいるからと、子どもたちの前から「排除」しようとする主張は、あまりに視野が狭い。

全編に作者の強烈な思いがこもるゆえに、人を引きつける作品は多い。一部分が気に入らないからと全体を否定するのは、図書に対する理解不足だ。

撤去に応じなかった当初の市教委の姿勢は正しかった。ほかの教育委員会も今後、手続き論でなく、規制の要請をきっぱりと突っぱねるべきである。

問題は、いったん要請をはねつけた後の市教委事務局の対応だ。当時の教育長ら幹部5人がゲンを読み直した結果、旧軍のアジアでの行為を描いた最終巻のシーンが「残酷」との見方で一致し、閲覧制限を小・中学校に求めることにした。

発達段階にあるからこそ、子どもたちが本を自由に読む機会も、最大限に保障されなければならない。市教委事務局の対応には、その点への目配りがあまりに欠けていた。

戦争は残酷だ。そこを正面から問う本を、教育にどう生かしていくか。知恵と工夫を重ねる必要があるが、戦争を知らぬ世代に残酷さから目を背けさせるばかりでは、平和の尊さを学びとれない。

もとより、本を読むかどうかは子ども自身の選択が大切である。そこを基本に、読むことを選んだ子たちが抱いた疑問や衝撃にはしっかり応えていく。

そうした図書との上手なつきあい方を、教育現場や家庭で広めていきたい。

毎日新聞 2013年08月28日

閲覧制限撤回 この作品を読み継ごう

ゲンはよく歌う少年だ。俗謡のような数え歌もあれば、「青い山脈」のような流行歌もある。歌いながら、苦しみを乗り越え、喜びを表現する。松江の子供たちはまた、彼に学校図書館で会えることになった。

松江市教育委員会が漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を全小中学校に要請していた問題で、市教育委員5人が臨時会議を開き、制限の撤回を決めた。市教委事務局が教育委員らの審議を経ずに閲覧制限したことを「手続きの不備」とした。閲覧は今後、各学校の判断に任せられる。

しっかりとした議論をせずに事務局がこの作品を子供たちの自由な閲覧から取り上げたことは問題で、撤回は妥当だ。教育委員たちが規制を許さない防波堤になったと評価できる。ただ、閲覧を制限することの可否には触れられておらず、さらに議論を深めてほしい。

今回の事件で改めて「はだしのゲン」に注目が集まっている。単行本で全10巻の大河作品だ。

物語は先の大戦末期にあたる1945年4月の広島市の情景から始まる。小学校2年のゲンを中心に、戦時中の圧政が前奏曲になり、やがて原爆の投下、その後の地獄図、敗戦後の混乱と貧窮、進駐してきた米兵の横暴、朝鮮戦争など、庶民の歴史がたどられていく。ゲンがたくましく生き続け、中学を卒業し、看板屋で働いた後、志を抱いて東京へ向かうまでを描いている。

被爆した直後の広島の姿が繰り返し登場する。熱線で全身の皮膚がただれ、ぼうぜんとして街をさまよう人々。山と積まれた白骨。水を求めて亡くなっていった男女。

でも、それだけではない。敗戦後の多様な人間ドラマがつづられる。仕方なしにヤクザに身を落とす少年。食べるために米兵の愛人になる女性。ケロイドを理由に差別したりされたりする人々。極限状況の中で、人間のエゴイズムも暴かれる。

現世への心残りからか、死後に棺おけから出てくる被爆者もいる。戦時中は戦争を賛美し、それを隠して戦後は「平和と民主主義」をうたう者にも容赦がない。やりきれないのは、生活や思いを知り、共感した登場人物たちが、原爆症のために次々と、突然に血を吐いて死んでいくことだ。核兵器の罪深さを実感させる。

作者の中沢啓治さんは戦後、手塚治虫の漫画を読んで勇気づけられたという。「はだしのゲン」には一貫して、困難な中でも前を向いて生きる生命への賛歌と、人間とはどういう存在なのかという問いかけが流れている。この二つの特質は、手塚作品とも共通点があるのではないか。

この漫画を読み継ぎ、人間と社会について考えるきっかけにしたい。

読売新聞 2013年08月25日

「はだしのゲン」 教育上の配慮をどう考えるか

原爆の悲惨さを描いた漫画家・中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」について、松江市教育委員会が市立小中学校に閲覧の制限を要請したことが波紋を広げている。

現在、松江市内の大半の学校図書館では、教師の許可がないと子供が自由にこの作品を読むことができない状態が続いている。

市教委は生々しい原爆被害の場面ではなく、旧日本軍にかかわる描写の一部を、過激で不適切と判断した。アジアの人の首を面白半分に切り落とす。妊婦の腹を切り裂いて、中の赤ん坊を引っ張り出す。女性を惨殺する、といった描写についてだ。

成長過程の子供が本に親しむ小中学校図書館の性格を考えて、市教委がとった措置と言えよう。

憲法は、表現の自由を保障し、検閲を禁じている。市民が広く利用する一般の公立図書館で蔵書の閲覧を制限することは、こうした観点から許されない。

ただ、小中学校図書館を一般図書館と同列に論じることは適切ではあるまい。作品が子供に与える影響を考える必要がある。心身の発達段階に応じた細かな対応が求められるケースもあるだろう。

下村文部科学相が「市教委の判断は一つの考え方。教育上の配慮はするべきだと思う」と述べたことはもっともである。

「はだしのゲン」は、広島での中沢さん自身の被爆体験が基になっている。肉親を失った主人公の少年が困難に直面しながらも、たくましく生き抜く物語だ。

1973年に週刊少年ジャンプで連載がスタート、掲載誌を替えながら、10年以上続いた。単行本はベストセラーとなった。約20か国語に翻訳・出版されている。

連載当初は、広島の被爆シーンがリアルすぎるとの批判もあったが、そうした描写こそが原爆の惨禍の実相を伝えてきた。

被爆者の高齢化が進み、戦争体験の継承が大きな課題になっている中、「はだしのゲン」が貴重な作品であるのは間違いない。

その一方で、作品の終盤では、「天皇陛下のためだという名目で日本軍は中国、朝鮮、アジアの各国で約3000万人以上の人を残酷に殺してきた」といった根拠に乏しい、特定の政治的立場にも通じる主張が出てくる。

表現の自由を尊重しつつ、同時に教育上の影響にも目配りする。学びの場で児童生徒が様々な作品に接する際、学校側がどこまで配慮すべきかという問題を、松江市のケースは投げかけている。

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