朝鮮戦争休戦60年 「戦勝」とは歴史の歪曲だ

朝日新聞 2013年07月30日

朝鮮休戦60年 対話の好機を逃すな

交戦はやんでいても、平和ははるか遠い。朝鮮半島では60年間、そんな状態が続く。

1953年に休戦協定が結ばれた27日、北朝鮮は閲兵式を含む式典を平壌で盛大に開いた。

だが、金正恩(キムジョンウン)・第1書記が直接には演説せず、新型兵器も登場しなかったとされる。

北朝鮮はこの春、挑発行為を続け、最大限に危機をあおったが、最近は一転して対話攻勢をしかけている。

同じ国とは思えない変わりようだが、すべては米国を本格対話に引き出すための戦術だったとみれば、わかりやすい。

休戦協定を平和協定にかえる方向で米国と話しあう。対話基調になれば、やがて国際的な支援も得られる――。

正恩体制がそんな明るい未来を切り開くことを、休戦60年の節目に合わせ、国内にアピールするねらいだったのだろう。

一時は「もはや存在しない」とまで言い切っていた6者協議への復帰を最近は示唆し、米国との高官協議も呼びかけた。

核の保有は米国の敵視政策に対抗するためだと訴える一方、朝鮮半島の非核化は祖父や父の「遺訓」とも強調した。

だが、もくろみは外れた。いずれの対話も開かれていない。それは、秘密裏に核開発を続けてきた北朝鮮の真意に関係各国が疑念を抱いているからだ。単なる口約束だけで見返りを与えてはならないという認識は、日米韓に共通している。

米国が6者協議再開の条件として、非核化に向けた具体的な行動を求めているのもそのためで、北朝鮮は対話を望むなら決断するしかない。時間をかせいでも窮状は変わらない。

ただ一方で、休戦という不安定で中途半端な状態が60年も続いてきたという事実は、南北のみならず、関係国も見過ごすことはできない。

朝鮮半島の将来的な平和体制をめぐる問題は、韓国の李明博(イミョンバク)・前政権が消極的だったため、実質的な進展がなかった。

もちろん非核化協議のめどがたつ前に、平和協定は話し合えない。だが、平和体制問題は北朝鮮が強い関心を示すだけに、いずれは話し合う姿勢をみせ、その入り口に核問題をおくアプローチも一考に値する。

肝心なのは、正恩体制下で初めて生まれた対話の機運を、日米韓でどう生かすかだ。

6者協議が中断して約5年。本格的な対話の再開には、積もった不信感を一つずつ取り払う以外に方法はない。いびつな60年を経た朝鮮半島の未来を描くには辛抱強い思考が必要だ。

読売新聞 2013年07月28日

朝鮮休戦60年 平和妨げる北朝鮮の核武装化

北朝鮮が核武装化を進める中で、朝鮮戦争の休戦協定調印から60年の節目を迎えた。

1950年、北朝鮮の韓国侵攻で始まった朝鮮戦争は、死者300万人以上の惨禍をもたらし、3年後、休戦協定の調印でひとまず収まった。

米軍主導の国連軍が韓国を支援し、北朝鮮の崩壊を恐れる中国が人民志願軍を送り込んだ激戦の後始末は、南北分断を固定化しただけで、平和を保障していない。南北朝鮮が対峙(たいじ)する状況は、依然、爆発しやすい危険性をはらむ。

休戦を「勝利」とごまかす北朝鮮は調印60年の27日、平壌で大規模な軍事パレードを行った。

若い金正恩第1書記の権威を誇示し、経済の破綻で高まる国民の不満をかわす狙いがあろう。

日本など国際社会の最大の懸念材料は、第1書記が進める核戦力強化だ。パレードにも、核・ミサイル戦力の向上を印象づけたいかのような兵器部隊が登場した。

無論、その代償は大きい。国連安全保障理事会は、長距離弾道ミサイル発射と核実験を繰り返す北朝鮮に経済制裁を科した。

中国が、北朝鮮擁護の姿勢を転換したことも、北朝鮮包囲網を狭める効果を生んだ。

軍事パレードの観閲席で金第1書記の横に立った中国の李源潮国家副主席は、「朝鮮半島の非核化実現、平和と安全の維持、対話と協議による解決を堅持する」と第1書記に伝えたという。

北朝鮮の核保有や武力挑発を許さず、6か国協議への復帰を求めるメッセージだ。中国は、最大の支援国、貿易相手国として北朝鮮の生殺与奪の権を握る。今後、非核化への本気度が問われよう。

米国は、北朝鮮が求める対話には、まず北朝鮮が非核化への具体的な行動を取るよう条件を付けている。北朝鮮の核廃棄が対話目的であるべきで、当然の前提だ。

北朝鮮は、核放棄を促す日米韓の声を真摯(しんし)に聞く必要がある。

朝鮮半島を取り巻く環境は、休戦当時とは大きく変わった。

韓国は、中国と国交を樹立し、対中貿易額は、対米、対日の貿易総額を凌駕(りょうが)するまでに至った。

一方の北朝鮮は、核武装化への道を選択し、米国や日本との国交正常化の展望を開けずにいる。行き詰まった末に、朝鮮休戦協定の「白紙化」まで宣言した。

日米中韓など関係国は、さらなる核実験や弾道ミサイル発射、武力挑発への警戒を怠らず、強力な制裁を堅持して、北朝鮮に核放棄を迫っていかねばならない。

産経新聞 2013年07月27日

朝鮮戦争休戦60年 「戦勝」とは歴史の歪曲だ

27日は朝鮮戦争休戦から60年になる。ソウルと平壌ではそれぞれ記念行事が大々的に行われている。あの戦争は第二次世界大戦後のアジア情勢に大きな影響を与えた。結果としての南北分断固定と激しい南北対立は国際社会に大きな後遺症を残した。近年、国際社会を悩ませている北朝鮮の核問題もその一つとみていい。

歴史をおさらいすれば、戦争は北朝鮮の金日成政権が中国、ソ連の支持の下、韓国を武力併合しようとして始まった。北朝鮮の突然の侵攻で韓国は南端まで攻め込まれた。米軍を中心に国連軍の参戦で反撃に転じ、今度は北朝鮮が中朝国境近くに追い詰められた。

ここで中国軍が北朝鮮支援に乗り出し、100万の大軍を派兵し北朝鮮軍とともにソウルの南まで攻め込んだが、戦線は一進一退となり、60年前の7月27日、現在の南北境界線で休戦となった。

ところで北朝鮮は「祖国解放戦争勝利60周年」としてしきりに「戦勝」を強調している。得意の巨大マスゲームなど記念イベントも「戦勝」一色だ。本当は韓国に対する武力統一(解放)に失敗し、さらに滅亡寸前になったところを中国に助けられたのに「勝利」といいつのっているのだ。

こういうのを歴史歪曲(わいきょく)、歴史偽造というのではなかったか。韓国は北朝鮮と中国に「謝罪と反省」や「正しい歴史認識」をしっかりと要求してほしいものだ。

韓国では米国など支援国に対する感謝の行事が行われている。ワシントンでもオバマ大統領が記念式典に出席するというが、韓国も60年前、敗北寸前のところを米国など国連軍に助けられたのだ。

戦争の過程を振り返れば、米軍はじめ国連軍による反撃、巻き返しは、後方基地として日本があったため可能だったことが分かる。韓国では「朝鮮戦争の特需のおかげで日本経済は復興した」とよくいわれるが、それは結果論であって、まず「日本からの後方支援のおかげで国を守れた」と考えるのが客観的な歴史認識だろう。

米国はこれをよく認識しているから有事対策として日本には集団的自衛権の発動を、韓国には日本との各種軍事協定締結を期待するが、韓国は対日感情という国内事情にこだわりこれらに反対している。韓国政府が60年前の経験をかみしめ対日関係を「戦略的発想」で考えることを求めたい。

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