交戦はやんでいても、平和ははるか遠い。朝鮮半島では60年間、そんな状態が続く。
1953年に休戦協定が結ばれた27日、北朝鮮は閲兵式を含む式典を平壌で盛大に開いた。
だが、金正恩(キムジョンウン)・第1書記が直接には演説せず、新型兵器も登場しなかったとされる。
北朝鮮はこの春、挑発行為を続け、最大限に危機をあおったが、最近は一転して対話攻勢をしかけている。
同じ国とは思えない変わりようだが、すべては米国を本格対話に引き出すための戦術だったとみれば、わかりやすい。
休戦協定を平和協定にかえる方向で米国と話しあう。対話基調になれば、やがて国際的な支援も得られる――。
正恩体制がそんな明るい未来を切り開くことを、休戦60年の節目に合わせ、国内にアピールするねらいだったのだろう。
一時は「もはや存在しない」とまで言い切っていた6者協議への復帰を最近は示唆し、米国との高官協議も呼びかけた。
核の保有は米国の敵視政策に対抗するためだと訴える一方、朝鮮半島の非核化は祖父や父の「遺訓」とも強調した。
だが、もくろみは外れた。いずれの対話も開かれていない。それは、秘密裏に核開発を続けてきた北朝鮮の真意に関係各国が疑念を抱いているからだ。単なる口約束だけで見返りを与えてはならないという認識は、日米韓に共通している。
米国が6者協議再開の条件として、非核化に向けた具体的な行動を求めているのもそのためで、北朝鮮は対話を望むなら決断するしかない。時間をかせいでも窮状は変わらない。
ただ一方で、休戦という不安定で中途半端な状態が60年も続いてきたという事実は、南北のみならず、関係国も見過ごすことはできない。
朝鮮半島の将来的な平和体制をめぐる問題は、韓国の李明博(イミョンバク)・前政権が消極的だったため、実質的な進展がなかった。
もちろん非核化協議のめどがたつ前に、平和協定は話し合えない。だが、平和体制問題は北朝鮮が強い関心を示すだけに、いずれは話し合う姿勢をみせ、その入り口に核問題をおくアプローチも一考に値する。
肝心なのは、正恩体制下で初めて生まれた対話の機運を、日米韓でどう生かすかだ。
6者協議が中断して約5年。本格的な対話の再開には、積もった不信感を一つずつ取り払う以外に方法はない。いびつな60年を経た朝鮮半島の未来を描くには辛抱強い思考が必要だ。
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