政府式典と同じ時刻、沖縄県宜野湾市ではこれに抗議する集会があった。
集会の最後、1万人の参加者が「がってぃんならん」(合点がいかない=許せない)と、5度スローガンの声を合わせた。
地元紙などの事前の世論調査では、約7割の県民が政府式典を「評価しない」と答えている。県民感情に配慮して仲井真弘多知事は式典を欠席し、副知事が代理出席した。
61年前のこの日、沖縄、奄美、小笠原は日本から切り離され、米国の施政下に入ったからだ。沖縄で「屈辱の日」といわれるゆえんである。
もっとも、沖縄の人々が「4・28」に寄せるまなざしは、はじめからこうだったわけではない。当時の地元紙を読むと、本土から切り離されたことを嘆くより、祖国の独立を素直に喜ぶ論調があふれている。
それがなぜ、かくも隔たってしまったか。その後の沖縄の歴史抜きには語れない。
本土では主権回復後、米軍基地が減る一方、沖縄では過酷な土地接収で基地が造られた。
72年の本土復帰後も基地返還は進まず、いまも米軍基地の74%が集中する。米兵による犯罪や事故も絶えない。
それだけではない。県民の反対にもかかわらず、政府はあくまで普天間飛行場の辺野古移設にこだわっている。
一方で、在日米軍に特権を与えた日米地位協定の改正には触れようとせず、オスプレイの配備も強行した。
「がってぃんならん」ことが現在進行形で続いているのだ。
「沖縄には主権がない」「本土による差別だ」。そんな声さえ聞かれる。
沖縄の人々が、主権回復を祝う式典に強い違和感を抱くのは無理もあるまい。
政府だけの話ではない。知事が求める普天間の県外移設にしても、オスプレイの配備分散にしても、引き受けようという県外の自治体はほとんどない。
沖縄の異議申し立ては、そんな本土の人々にも向けられていることを忘れてはならない。
安倍首相は、政府式典で「沖縄が経てきた辛苦に思いを寄せる努力を」と語った。
その言葉が本当なら、政府はまず、辺野古案にこだわるべきではない。地位協定の改正も急がなくてはならない。
やはり4・28に発効した日米安保条約の下、沖縄の犠牲の上に日本の平和は保たれてきた。
47分の1の「ノー」が持つ意味の重さを、私たち一人ひとりがかみしめなければならない。
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