明日からデンマークのコペンハーゲンで国連の気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)が始まる。
本来ならこの会議で、京都議定書を引き継ぐ地球温暖化防止の新たな国際枠組みがまとまるはずだった。だが、法的拘束力のある合意にはたどりつけそうにない。
万が一、話し合いが決裂し、温暖化問題が放置されたら――。
「各地で洪水や干ばつが頻発し、世界経済は大恐慌や世界大戦なみの大混乱に陥る」。3年前に英政府に出された報告書『気候変動の経済学』は、そう警告している。
この報告書をまとめた英国の経済学者ニコラス・スターン氏は10月に来日した際、次のように強調した。
「COP15に未来の世代が出席できたら、自然の資産を残してほしいと訴えるはずだ。各国は、そういう願いをふまえて交渉に臨んでほしい」
世代を超え、地球環境という資産を受け継いでいけるのか。世界はいま歴史の岐路に立っている。
昨年から始まった現行の京都議定書の期間は2012年までだ。間を置かず、新たな国際枠組みに移る必要がある。残された交渉の時間は少ない。
先進国の温室効果ガス削減目標や途上国の削減行動、資金や技術の支援などに関し、COP15で包括的かつ具体的な大枠をつくって首脳が政治合意する。それを礎に、できるだけ早く法的拘束力のある新たな国際枠組みをまとめなければならない。
だが、各国の思惑が交錯し、見通しは混沌(こんとん)としている。
途上国は先進国に対して、「大量の温室効果ガスを排出してきた歴史的な責任がある」と、大幅な削減を迫っている。そこには「自らの経済成長には足かせをはめられたくない」という中国やインド、ブラジルなど新興国の利害が色濃く映し出されている。
一方、先進国には「自分たちだけが大幅な削減を約束して損をするのは困る」との警戒感がある。こうした事情から、新たな枠組みをめぐる国際交渉は、今後の世界秩序をにらんだ政治的な駆け引きの場となってきた。
それでも最近、数字的には不十分ながら米中やインド、ブラジルが相次いで努力目標を発表するなど、前向きな動きも広がる兆しがある。
COP15では、こうした流れをうまく増幅し、パワーゲームの構図を乗り越えなければならない。求められているのは、文明を持続可能にする「地球秩序」をともに築く外交である。各国は胸襟を開いて誠実に対話し、この難局を打開してもらいたい。
いまこそ、すべての国々が「共通だが差異のある責任」を分かち合う、という原則を踏まえ、実情に応じた真剣な取り組みを確認すべき時だ。
京都議定書の下では、途中離脱した米国や、途上国扱いの新興国は削減義務を負っていない。世界の排出量の約4割を占める米国と中国に本気で行動してもらうことが必須の条件だ。
いっそうの実効性を確保するには、インドやブラジルなどにも、さらなる努力を促すことが不可欠だろう。
むろん、ただ単に主要国が参加するだけでは事足りない。それぞれの思い切った取り組みが欠かせない。
気候変動枠組み条約は「大気中の温室効果ガスの濃度を、危険でない水準に安定化させること」を目標にしている。具体的には、産業革命前からの気温上昇が2度を超えないようにする、というものである。
気温上昇が2度を超えた場合、生態系が破壊されたり、水不足や洪水、感染症などが広がったりする。
「2度以内」を実現するには、50年に世界全体の排出量を半減させるとともに、先進国が80%削減を実現することが求められている。この長期目標に向かう途上の20年には、先進国は1990年比で25~40%減らす必要があるというのが多くの科学者の見方だ。
新たな「地球秩序」をつくるには、こうした科学的な数値を見すえる姿勢を各国が共有することが欠かせない。
科学がすべてを見通せるわけではないが、予測される結果が極めて深刻なのだから、できるだけ早く手を打つ。そんな京都議定書の精神を、新たな国際枠組みに引き継ぐべきだ。
COP15の歴史的な重みは、スターン氏の言葉を借りると、第2次世界大戦後の国際通貨体制を決めたブレトンウッズ会議にも匹敵する。
気候変動が政治や経済、社会に及ぼす悪影響は、それほど破壊的といえるのである。
世界同時不況のもとでは、温暖化対策に伴う負担増への抵抗感も各国の経済界などに根強い。しかし、グリーンな技術と産業を育て、雇用の場を創出することは、新たな成長の基盤をつくるという意味でも重要だ。
各国が温暖化防止を先延ばしにすれば、砂時計の砂が落ちるように地球環境という資産が消えていく。
もはや小さな政治ゲームに明け暮れている場合ではない。鳩山由紀夫首相やオバマ米大統領ら各国首脳は、地球の未来を決める会議だという認識と決意をもってCOP15に臨んでほしい。
低炭素文明への転換という扉を開こう。そこに人類の明日がある。
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