原発新規制基準 ゼロリスクにとらわれるな

朝日新聞 2013年04月11日

原発新基準 廃炉への枠組みを早く

原子力規制委員会が、原発の新しい規制基準案を公表した。これで、安全上動かすべきではない原発の具体的な候補が見えてきた。

だが、今のままでは廃炉は進まない。政府はリスクの高い原発から着実に閉めていくため、必要な制度の整備に早く着手しなければならない。

新基準案は意見公募を経て、7月に施行される。活断層の疑いなどで基準を満たせない原発が出るのは確実だが、電力業界は全原発で再稼働を目指す構えを崩していない。

問題は、事業者以外に廃炉を決定できないことにある。

規制委は新基準を満たさない限り「稼働を認めない」が、廃炉判断はしない方針だ。一方、安倍政権は「規制委が安全と認めた原発は動かす」としつつ、基準を達成できない原発については言及を避けている。

このままだと、閉めるべき原発が「休炉」にとどまる。追加対策の費用は電気料金で回収すればいいという発想のもと、本来は必要のない原発にまで巨額の投資を重ねる行為を止めるすべもない。

電力会社が再稼働にこだわるのには理由がある。原発の代わりに動かす火力発電の燃料代がかさんでいるうえ、廃炉を決めた途端、「資産」に計上していた施設や核燃料が「負債」に変わり、廃炉費用とともに経営にのしかかるからだ。

昨年6月に経産省がまとめた粗い試算では、すべての原発を即時廃炉にすると、業界全体で4・4兆円の損失が発生し、4社が債務超過に陥る。

一方、原発は動かなくても全体で年間1兆円以上の経費がかかる。どっちつかずの状態が続けば、じりじりと企業体力を奪う。決算期ごとに電力業界の経営不安が取りざたされては、経済全体に影響する。

電力への参入を狙う企業にとっても見通しを立てにくい。投資が進まなければ、電力供給にも支障が出かねない。

政府は、事業者任せにせず、「だめな原発」を処理する枠組みづくりを急ぐべきだ。

前倒し廃炉に伴う負担の軽減策を含め、早期の廃炉や他の電源整備を促す手立てを講じなければならない。必要な費用をだれがどう負担するか、廃炉で影響を受ける地元自治体をどう支援するかも、重要な課題だ。

原発に頼らず、効率的で創意工夫が生きるエネルギー社会への転換は、経済再生を掲げる安倍政権にとっても不可欠な要素だろう。

ためらっている余裕はない。

読売新聞 2013年04月11日

原発新規制基準 ゼロリスクにとらわれるな

原子力規制委員会が、原子力発電所に適用する新たな規制(安全)基準の最終案を決めた。

東京電力福島第一原発事故を踏まえ、従来の想定より大きな地震や津波への対策を求めた。原子炉が壊れる重大事故を防ぐため、電源や冷却機能の拡充も盛り込んだ。

事故前の基準の欠陥を改めることは必要だろう。だが、新基準の検討過程で内外から相次いだ「ゼロリスクを求め過ぎだ」との批判はほとんど反映されなかった。

問題をはらむ基準案である。

その一つは、原発敷地内の活断層の扱いだ。これまでは12万~13万年前以降に動いたものを対象としていたが、最大40万年前まで遡って調査することを課した。

規制委はすでに、これを先取りして原発敷地内の活断層を調査している。この際、島崎邦彦委員長代理は繰り返し、「活断層が100%ない」という証明を求めており、新基準にも同様の項目が設けられることになった。

あまりに非科学的な要求だ。むしろ、活断層が動いても大丈夫なよう安全設備の強度を増す工学的な対応を優先すべきである。

専門家が「過剰」と指摘する項目もある。典型例が、重大事故時に原子炉内の圧力を逃す手段であるフィルター付きベントだ。

新基準は全原発に設置を義務づけたが、米国は先月、専門家の議論を経て、米国の原発には当面、不要とした。米エネルギー省幹部が「日本の厳しい基準が海外にも影響しかねない」と懸念を示したのは、もっともである。

規制委は意見公募を経て、7月までに新基準を施行する。これに基づいて、停止中の原発の安全性について審査する。

重要なのは、審査の効率を上げることだろう。技術に詳しい職員が限られ、同時に審査できるのは3か所の原発だけという。人材確保など体制強化が必要である。

原発ごとの柔軟な対応も不可欠だ。一律に消火設備などの数を決めるのは現実的ではない。

審査では、各炉に最新技術の導入を義務づける「バックフィット制度」を適用する。安全向上は大切だが、費用がかさみ、廃炉を迫られる例も出るのではないか。

原発の停止で電力供給は綱渡りだ。火力の燃料費高騰で電気料金も上がっている。安全を確認した原発の再稼働は急務である。

規制委は、100%の安全を求める風潮にとらわれることなく、各原発の再稼働の可否を判断してもらいたい。

産経新聞 2013年04月12日

原発「規制」基準 真の安全が遠のくだけだ

7月以降、原発再稼働の審査を行う際などに使われる新規制基準の最終案が原子力規制委員会によって示された。

だが、原発の安全性を高めて活用していこうという健全な精神が伝わってこない内容だ。

そもそも名称自体が不適切だ。これまでは「安全基準」とされていたものが、4月になって「規制基準」に変更されている。

反原発色が鮮明な新聞社に寄せられた読者の声が改称のきっかけであったというから驚きだ。

たとえ内容が同じであっても「安全」と「規制」では、運用の姿勢そのものが違ってくる。極めて重要な基準の名称を安易に変更する規制委の常識を問いたい。

原発の安全性は、段階を踏んで着実に向上させていくのが本来の道筋だが、これまでの検討で、そうした見直しが加えられた節は見当たらない。

活断層の取り扱いが、その一例だ。最大で40万年前まで遡(さかのぼ)って有無を詮索することに、どれだけ現実的な意味があるのだろうか。

それだけの時間とコストをかけるなら、他になすべきことがあるはずだ。また、原発の運転期間を原則40年としているのだから、そもそも安全を考える上での時間の物差しが違う。

活断層かどうかの議論の入り口で立ち続けるよりも、万一に備えて施設の耐震性を高める方向に進んだ方が賢明だ。安全に資することは自明である。

また、新基準の規制下では、事故を起こした福島第1原発と同タイプの沸騰水型原発の再稼働は、当面望めない。再稼働の可能性があるのは、国内全50基の原発中、約半数の加圧水型の原発に限られる。沸騰水型が多い東日本での電力安定供給への不安は強まる。

それに加えて原発の長期停止がもたらす人材養成難と技能低下が避けられない。この点を規制委が無視しているなら、原子力利用で最も尊重しなければならない「安全文化」への背反行為だ。

規制委の取り組みは、断層やフィルター付き排気施設といったハード寄りの対策に偏っている。

原発を支える人々による自発的な改善努力などを、絶えず促すようなソフト面での充実策を優先すべきである。硬直的な「規制」を振りかざしていると、真の安全性は遠のいていく。それを忘れるようでは落第だ。

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