5代目歌舞伎座 芸の力で社会に元気を

朝日新聞 2013年04月02日

歌舞伎座再開 伝統の種は尽きねえ

知らざあ言って聞かせやしょう。

阿国(おくに)以来の伝統が、都に残せし歌舞伎座の、種は尽きねえ建て直し。その五代目の、きょうが幕開け。

以前を言やあ四代目は、銀座勤めの陸(おか)の目印、江戸というより桃山の、赤欄干(らんかん)と唐破風(からはふ)も、百が二百と葺(ふ)き並ぶ、瓦屋根さえだんだんに、古さはつのり、店じまい。

二十九階建てとかの、でっけえ母屋も重なるが、とうとう普請(ふしん)は成し遂げられ、それから小屋の外づらは、ここやかしこの皆様が、小耳に聞いたささやきで、黙阿弥ならぬ元のまま。

名さえ由縁(ゆかり)の五代目歌舞伎座とはおれがこった。

内に入れば横長の、舞台の枠は変わらずに、回(まわ)り舞台に花道も、まったく同じ尺ばかり。

魔物のすむと人の言う、あの雰囲気もそっくりで、通い詰めたる観客の、脳裏に浮かぶ名舞台、いちばん大事な思い出は、どうやら壊れずそのままに。

新奇な小屋じゃあ、長い伝統も生かされねえ。

そのかたわらで年寄りが、いつも難儀の階段は、えれべーたーと、えすかれーたー。ばりあとやらを取り除き、地下鉄駅からまっすぐに、笑ってあゆめば座席まで。

天井近くに貼り付いた、一幕見(ひとまくみ)席の驚きは、昔は見えねえ花道が、全部じゃねえがそれなりに、拝めるように出来ていて、どうにもこうにも銭のねえ、芝居好きにはうれしかろう。

守るところを守り抜き、変えるところは変えりゃよし。ここやかしこの古い小屋、建て直すのに「型」となれ。

江戸の色、喜怒哀楽を下地にし、守ると変えるをとりまぜて新狂言もこなしつつ、歌舞伎は生きた四百年。

いくさの後は客が減り、長い間の苦しみも、今ではかなり盛り返し、指折り数える動員順位。お国に頼る割合も、古典の中じゃまずは少ねえ。

右肩上がりで量的拡大、順風満帆ここまで来たが、中村屋ついで成田屋と、看板役者がみまかって、芝居の出来は下がりゃしねえか。

成田屋さんは五年前、エヌエッチケーで言わしゃった。

「公演数が多すぎるかな。このまま続くわけはない」

五代目歌舞伎座からみても、ちょっとは中身が心配でえ。いかにご祝儀値段でも、一等席なら二万円。若手役者は気張らにゃなんめえ。

とにもかくにも、芝居の始まり。こいつあ春から、縁起がいいわえ。

毎日新聞 2013年03月31日

5代目歌舞伎座 芸の力で社会に元気を

新しい歌舞伎座(東京・銀座)が4月2日に開場する。世界無形文化遺産に登録されている日本の誇る伝統芸能だ。その神髄は庶民に愛され、はぐくまれ、時代の空気を吸収し、継承と革新を繰り返しながら、人々に喜びと楽しみを提供してきたところにあるのだろう。

伝統的な演目では、権力の理不尽を命がけの行動でただしたり、追われる敗者を思いやったりする心や思想も表現されてきた。本拠地が新しく生まれ変わるのをきっかけに、芸能の力で社会を元気づけてほしい。

第1期の歌舞伎座ができたのは1889年。第5期にあたる新しい歌舞伎座は、背後にびょうぶのような29階建てのオフィスビルが控えるが、第3期以来の桃山様式風の意匠を踏襲している。純白の壁、赤い欄干、華麗な瓦屋根。現代的な建物が並ぶ中で、街が積み重ねてきた歴史を実感できる場所になっている。

歌舞伎公演は公的支援を受けず、ビジネスとして成り立っている数少ない伝統芸能だ。今日の隆盛を築いた功績者として、演劇評論家の水落潔さんは二人の名前を挙げる。

一人は市川猿翁(先代の猿之助)さん。3S(スピード、スペクタクル、ストーリー)をモットーに、現代的な演出で観客を喜ばせた。

もう一人は昨年12月に57歳で亡くなった中村勘三郎さん。変幻自在の演技で人気を集めただけでなく、東京・渋谷でのコクーン歌舞伎や、江戸の芝居小屋を再現した平成中村座、現代作家の新作上演などで幅広い層にアピールした。

二人に共通しているのは、時代が求めているものを敏感に察知し、思い切った演出や仕掛けで伝統を更新したところだろう。

歌舞伎界ではこのところ、悲報が相次いだ。前の歌舞伎座が閉場となった10年4月以降、中村富十郎さん、中村芝翫(しかん)さん、中村雀右衛門さんと人間国宝の3人が次々に亡くなった。さらに勘三郎さんに続いて、今年2月には市川宗家の当主として明るく、おおらかな芸が愛された市川団十郎さんが66歳で死去した。

しかし、「悲観する必要はない」と水落さんは言う。早い時期から大役を演じてきた息子たちの世代が順調に力をつけているというのだ。

新しい歌舞伎座では広範な観客に親しまれる工夫が凝らされている。座席でポータブル端末による字幕ガイドが読めるようになったし、安価な4階一幕見席は数が増えた。ギャラリーや屋上庭園も設置された。

若者や外国人観光客が接する機会を増やしていきたいものだ。そのためにも、公演時間の長さや開演時刻、演目について、多様性が求められているのではないだろうか。

読売新聞 2013年04月03日

新・歌舞伎座 花形役者が拓く新たな時代

歌舞伎の新時代の幕開けだ。伝統と創造の芸に期待したい。

伝統芸能の殿堂、東京・銀座の歌舞伎座が3年間の建て替え工事を終えて装い新たに開場した。

初日のこけら落とし公演では、人間国宝の坂田藤十郎さんらによる祝いの舞踊などが披露された。この日を心待ちにしていたファンは多かっただろう。

完成した劇場は、明治時代、現在地に開場した初代歌舞伎座から数えて5代目となる。桃山様式の外観や内装は先代のものをほぼ忠実に継承した。

料金が安い3階席からも花道が見えるようになった。小型モニターで、せりふなどを確認できる。「型」を守りつつ、「粋」なアイデアを取り入れたところが、いかにも歌舞伎座らしい。

劇場の屋上に設けられた日本庭園は無料開放される。併設の歌舞伎座タワーからは劇場の華麗な瓦屋根と庭園を見下ろせる。まさに「絶景かな」の光景だ。

年配の歌舞伎ファンだけでなく、若者や外国人観光客にも親しめる新名所となるだろう。

昨年12月、「平成中村座」を率いた人気役者の十八代目中村勘三郎さんが亡くなった。今年2月には、象徴的存在だった十二代目市川団十郎さんも急死した。

大看板役者を失ったのは、確かに痛手だが、二人の芸を継ぐ中村勘九郎、七之助兄弟や市川海老蔵さんら、息子たちの世代が実力をつけつつある。

歌舞伎座開場に先立ち、銀座の目抜き通りで行われた「お練り」では、新時代を(ひら)く若手の花形役者に大きな声援が飛んだ。世代交代の息吹が感じられた。

団十郎さんと勘三郎さんの遺志を継ぎ、名優と若手が切磋琢磨(せっさたくま)して、再開場した歌舞伎座で観客を魅了してほしい。

江戸時代から庶民に親しまれてきた歌舞伎の語源は、古語の「(かぶ)く」だ。派手な衣装や奔放な行動を指し示す言葉だった。

三代目市川猿之助(現・猿翁)さんが始めた「ヤマトタケル」などのスーパー歌舞伎は、「傾く」という言葉がふさわしい斬新な演出で大当たりした。

これからも、平成のかぶき者たちが発信する「ひのき舞台」に熱い視線が注がれよう。

歌舞伎は世界無形文化遺産に登録されている。近年、欧米公演が成功を収め、その芸は国際的にも広く認められている。

歌舞伎座を拠点に一層発展してもらいたい。

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