主権回復式典 祝う日より考える日に

毎日新聞 2013年03月31日

主権回復式典 祝う日より考える日に

政府が4月28日に開催する主権回復記念式典に対し、沖縄県の反発が強まっている。この日はサンフランシスコ講和条約が発効し米国の占領が終わった日だが、同時に沖縄、奄美、小笠原が切り離されて米国の統治下に置かれたため、沖縄では4・28を「屈辱の日」と呼んでいるからだ。式典開催にあたっては、同じ国内にこうした歴史認識の違いがある現実を忘れてはならない。

戦争に敗れた日本は、7年近い連合国軍総司令部(GHQ)の占領統治を経て1952年の4月28日に正式に独立を果たし、やっと一人前の国家として世界から認められた。近代国家が独立の節目の日を大事にするのは自然なことだろう。

講和条約発効によって日本は戦前の植民地などの領土を放棄し、東京裁判を受諾した。同時に日米安保条約も発効し、吉田茂首相の下で西側自由陣営の一員としての一歩を踏み出した。吉田ドクトリンとも呼ばれる軽武装・経済成長路線は、日本の平和と繁栄の礎となった。

その一方、取り残された沖縄はその後20年に及ぶ米国統治を経て、72年5月15日にやっと本土復帰を果たした。今に至る米軍基地の過度な集中とそれに対する沖縄の怒りの原点は4・28にある。その意味では戦後日本の明も暗も、すべてがこの日から始まったと言っていい。

であるなら、4・28を単に米国の占領のくびきから解き放たれた日として祝うのは、思慮に欠ける振る舞いだ。ましてや、憲法など占領期に形づくられたものを否定するためのような、保守イデオロギー色の強い式典であってはならない。

むしろ、なぜ米国の占領統治に至ったのか、なぜ戦争を防げなかったのか、なぜ戦前の日本は世界から孤立したのかを考える日であるべきではないか。その反省を踏まえ、二度とあのような失敗を繰り返さないためには何が大切なのかを深く自問自答する日にするのである。

世界から見るなら4・28は、戦前の軍国主義と一線を画して平和主義の国、自由・人権・民主主義を基本とする国際協調的な国に生まれ変わった日本を迎え入れた日である。その視線を忘れず、常に国際社会の中の日本であり続けなければならない。

若い世代には米国に占領された歴史も、講和条約と日米安保条約が同時に発効した事実も、知らない人が増えているという。歴史に学ぶことが必要である。4・28は私たち一人一人が過去の出来事と真摯(しんし)に向き合い、若い世代も含む全ての日本人が過ちなき未来を思い描く機会にしたい。そのためにも式典はできるだけ簡素が望ましい。祝う日ではなく、静かに考える日にしたい。

読売新聞 2013年04月01日

4・28記念式典 「主権」の大切さ考える日に

◆沖縄の苦難も分かち合いたい◆

昭和の戦争に敗れた日本が独立国として国際社会に復帰したのは、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日である。

連合国による約6年8か月の占領から解放された。

政府は先の閣議で、主権回復と国際社会復帰を記念する式典を今月28日に初めて主催することを決定した。憲政記念館に天皇、皇后両陛下をお迎えし、安倍首相はじめ各界の代表者が出席する。

歴史を振り返りつつ、主権国家と平和の持つ意味を改めて考える機会としたい。

◆「言論の自由」にも制約◆

講和条約第1条に明記されているように、日本と連合国の国際法上の戦争状態は、この日に終了した。真の意味での「終戦の日」と位置付けることが出来よう。

戦後の民主化と言えば、47年5月3日の新憲法施行と同時に「国民主権」や「言論の自由」が確立されたと考えられがちだ。

しかし、占領期の米国主体の連合国軍総司令部(GHQ)の指令は絶対的なものだった。

憲法がGHQ主導で制定されたことへの批判は封じられた。施行直後も第1次吉田内閣の石橋湛山蔵相ら3閣僚がGHQの意に沿わず、公職追放されている。

検閲の対象は、占領政策への批判から国際情勢への言及まで多岐にわたった。米兵が事件を起こしても「大男」などと婉曲(えんきょく)な表現で報道せざるを得なかった。

原爆が投下された直後の広島、長崎の写真が国民に開示されたのは、占領終了後だった。

政府主催の全国戦没者追悼式は独立回復直後の52年5月2日になって初めて実施された。

主権を喪失していたあの時代の記憶は日本人の間で脳裏から次第に薄れてきている。

日本がなぜ、主権、独立を失ったのか、戦前の歴史も含めて問い直すことが大切なのである。

◆分離された沖縄の20年◆

政府主催の記念式典に、沖縄では批判の声が上がっている。

61年前の4月28日、沖縄は奄美群島(鹿児島県)、小笠原諸島(東京都)と共に日本から分離され、米軍施政下に置かれたからだ。

土地の強制収用が進められ、米軍基地が次々と建設された。60年代に入って祖国復帰運動が急速に盛り上がる中で、沖縄の人々は4月28日を「屈辱の日」とさえ呼ぶようになった。

奄美群島は53年、小笠原諸島は68年にそれぞれ返還された。沖縄が祖国復帰を果たすのは、日本の独立から20年後の72年だった。

昨年4月28日、自民党などが党本部で開いた主権回復記念日国民集会には、沖縄県元副知事の嘉数昇明氏が来賓として招かれた。

嘉数氏は、戦場から被占領地になった沖縄の苦難の歴史を語り、「喜びも悲しみも共に分かち合う日本でありたい」「4・28はその覚悟を新たにする日であってほしい」と訴えていた。

◆「お祝いの日」ではなく◆

自民党が先の衆院選公約に政府主催で「主権回復の日」を祝う式典を開くとしたことも物議を醸した。沖縄県の仲井真弘多知事は、式典をめぐって「お祝いであるとすれば、出席しにくい」と慎重な姿勢を示している。

沖縄県民の複雑な思いへの理解なしに式典は成り立たない。

安倍首相が政府主催の式典について、「奄美、小笠原、沖縄を含めた我が国の未来を切り開いていく決意を新たにしていく」と意義付けたのも、こうした沖縄の声を踏まえてのことだろう。

日本を取り巻く環境は厳しい。統治権は日々脅かされている。

沖縄県の尖閣諸島周辺では、尖閣の領有権を主張するようになった中国が、監視船を送り込んで領海侵犯を繰り返している。

島根県・竹島は韓国の不法占拠下にある。サンフランシスコ講和条約では、日本が放棄すべき地域から除外されていたが、韓国が条約発効直前、一方的に李承晩ラインを設定し、領有を宣言した。

北方領土は1956年の日ソ国交回復から56年を経た現在、ロシアの実効支配が強まっている。

横田めぐみさんらが北朝鮮の工作員に拉致されて主権が侵害された問題も、今なお続いている。

これらの懸案が解決されないのは、国全体で主権に対する意識が希薄だからではないだろうか。

日本は今、世界で最も豊かな国の一つだ。責任ある主権国家として、平和と繁栄、自由を維持する努力を続けねばならない。

日本人が主権に対する認識を深め、新たにもする。主権回復の記念式典をその契機としたい。

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