震災2年・再建を誓う日 政府主導で復興を加速させよ

毎日新聞 2013年03月12日

震災から2年・危機と国家 民主主義力が試される

東北の被災地をはじめ全国各地や海外で追悼行事が開催され、東日本大震災で失われた命に鎮魂の祈りがささげられた。震災関連死を含めた犠牲者2万人余りのうち、行方不明者はなお2668人を数える。復旧・復興のあり方が語られる中、被災地の人々には弔いの時が今も続いていることを痛感させられる。

どんな大きな震災も、3年目に入ると風化が始まるという声を聞く。だが、あの巨大地震と大津波・原発事故という三重苦、人類がかつて経験したことのない複合災害は依然として終わっていない。31万人が仮設住宅や民間の借り上げ住宅などで避難生活を強いられている現実があることを、まず心に刻みたい。

「3・11」から3カ月半後の11年6月にまとめられた政府の復興構想会議の提言は「東京は、いかに東北に支えられてきたかを自覚し、今そのつながりをもって東北を支え返さねばならぬ。西日本は次の災害に備える意味からも、進んで東北を支える必要がでてくる」と前文で強調した。そして、今年2月に公表された政府の復興推進委員会の審議報告書は「問題は地元での復興の有様が、成功例も失敗例もすべて地元にのみ封じられ、点から線に、そして線から面へと、復興の前面に展開していかぬことにある」と記した。

その通りではないか。震災が東北の問題へと閉じこめられてしまわぬよう、復興への道筋に日本全体が目をこらし続けていかなければならない。復興委員会はそのあと委員が入れ替わり、今年半ばに中間報告をまとめる予定だ。東北の地に復興のつち音がまだ聞こえてこない現実を踏まえた、次なる提言を望む。

この震災は、危機における民主主義のリーダーシップとは何かという問いを私たちに突きつけた。復興への3年目が始まるにあたって、そのことについて考えてみたい。

先日の毎日新聞のインタビューでインドネシア赤十字のユスフ・カラ総裁が「指導者は直接、被災者を助けることはできない。指導者は何をすべきかを示し、被災者と共にあることを伝える。それが復興への自信につながる」と語っていたように、政治は被災者と手をとりあって、復旧・復興への希望を提示する責務がある。ところが私たちがこの2年で目にしたのは、復興さえ政局の材料にする政治ではなかったか。

安倍晋三政権は「強い日本」の復活を目指すとしている。被災者にとって「強い日本」とは、明日の暮らしへの希望の手を差し伸べてくれる国家のことだろう。31万人の避難生活者をいつまでも放置しておくようなことがあれば、現代の棄民政策と指弾されてもおかしくない。

危機においては、スピード感のある力強い政治のリーダーシップが欠かせない。ただし、それをどのように用いるかによって、民主主義は試される。国家という器の中で「今、目の前にある」暮らしの危機にもがき苦しみ、しかも忘れられがちな大勢の人々がいる。その人々を救うことが最優先でなくて、何のための政治か、何のための国家か、ということになりはしないだろうか。

その一方、被災自治体には、高台移転や防潮堤の設置の是非など住民の意見が分かれる問題で、首長が一人一人と粘り強く面談を重ねるなどしてコンセンサスを作ってきたところがある。福島県で自治体の復興支援を続けている関係者からは「アンケートで復興はできない」との声を聞いた。紙の上の数字ではなく「顔の見える」政治が、復興を前に進ませることができたのである。

放射能汚染廃棄物の中間貯蔵施設や仮置き場の設置など、合意形成の難しい問題が山積している。さらには将来のエネルギー選択や社会保障制度の再構築、あるいは米軍基地の問題なども含め、利害が錯綜(さくそう)し、受益と負担のバランスを真剣に考えなければならない課題は多い。

そうした複雑な問題に解決の糸口を見いだすため求められるのは、一方的に結論を押しつける「上からのリーダーシップ」ではなく、何度でも説明をして説得を試みる「丁寧なリーダーシップ」であろう。明快な答えのない政策課題に直面する日本社会の明日を考えた時、被災自治体のリーダーが示してきた忍耐強い合意形成力は、日本の民主主義の健全さの規範となるに違いない。

震災の被災地はもともと高齢化・人口減が進んでいた農林漁業主体の市町村である。その過疎化の進行が震災によって10年も20年も早まったとされている。消費と利便性だけを求めた単なる都市化モデルでは、真の意味の復興にはならない。

海や山、川、田畑など豊かで美しい自然に囲まれた被災地をどうやって立て直し、そこに生きる喜びを取り戻すか。それは、震災を機に大量生産・大量消費の生活スタイルから脱却しようと考えた私たち一人一人の生き方にもかかわる問題だろう。つまり、被災地の復興のあり方を考えることは、日本という国家の未来図を描く作業でもあるのだ。

読売新聞 2013年03月11日

震災2年・再建を誓う日 政府主導で復興を加速させよ

◆安心して生活できる地域再生を◆

東日本大震災から2年を迎えた。

亡くなった人は1万5881人、行方不明は2668人に上る。

避難生活を送る被災者は31万5000人を下らない。うち約16万人が、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた福島県の避難者である。

国民みんなで改めて犠牲者の冥福を祈りたい。再起に向けた歩みは遅れている。政府が主導し、復興を加速しなければならない。

◆今も仮設住宅に11万人

市町村の復興計画が進んでいない背景には、住民の合意形成が難しい事情がある。例えば、商工業を営む場所を高台にするか、沿岸部にするかという問題だ。壁のような防潮堤で海と陸を遮断していいのかという問題もある。

津波で市街の一部が壊滅した宮城県名取市の住民たちは、内陸への集団移転ではなく、現地での再建を望んだ。市は防潮堤建設や区画整理を行って支援する方針だが、反対の声も残るという。

計画を前に進めるには、住民の十分な合意がないまま、始動せざるを得ないのが実情だ。

早期に沿岸部再開発を決めたのは、岩手県釜石市や宮城県気仙沼市、石巻市などの漁業都市だ。「漁業でしか再建できない以上、海辺の土地は捨てられない」(石巻市幹部)との理由からだ。

被災者たちは津波の再来に不安を覚えながら、仮設住宅から水産加工場などに通う。

「収入と安全安心をどう両立させればいいか」。石巻でよく聞かれる言葉は切実だ。

復興策が議会や住民の反発を招き、辞職した町長もいる。それぞれの自治体と住民がジレンマに苦しみながら、「街の再生」を模索した2年だったと言えよう。

被災地のプレハブの仮設住宅には、今も約11万人が暮らす。不自由な生活にストレスや不安を訴える住民が増えていることが懸念される。安定した生活が送れる新住居に早く移れるよう、自治体は復興住宅の建設を急ぐべきだ。

◆復興庁の責任は重大だ

巨額の復興費の消化率が低い実態は看過できない。岩手、宮城、福島の3県と34市町村で、約1・4兆円が今年度中に予算執行できず、新年度に繰り越される。

復興住宅などの事業用地買収が難航したり、利益の薄い工事を業者が敬遠して入札が不調だったりしているためだという。

岩手、宮城両県の沿岸部では、がれきの撤去は進んだものの、津波で地盤沈下した土地のかさ上げや防潮堤建設などの工事に着手できていない地域が多い。

この上、時間を浪費すれば、被災地の再生は遅れるばかりだ。

司令塔機能を発揮すべき復興庁の責任は重い。各自治体との連携を一層強化し、被災地対策を主導する必要がある。

復興庁が最近、復興交付金の使途を広げ、漁業集落の跡地のかさ上げなどにも使えるようにしたのは妥当だ。工事の停滞を解消し、復興予算執行のスピードを上げなければならない。

被災地には、過疎の市町村が多く、その場所にすぐに活気を取り戻すのは容易ではない。

かつて大地震と津波で被災した北海道奥尻島では、住民の高台移転などで多額の復興費が投じられた。しかし、その後は人口の減少に直面している。

東北の被災地も、奥尻の教訓を生かす必要があろう。

青森市、富山市などでは、住民を一つの地域に集め、病院や学校、郵便局も整備して利便性を高める事業を進めている。「コンパクトシティー」と呼ばれる。

被災地の過疎対策への応用も検討に値するのではないか。

安倍首相は、「復興は日本経済再生と並ぶ最重要課題だ。一日も早く結果を出すことで信頼を得たい」と強調している。復興なくして、首相が掲げる「強い経済」は実現できないだろう。

◆問われる具体的成果

政府は今月6日、復興策を点検し、首相に改善を提言する有識者会議「復興推進委員会」のメンバーを大幅に入れ替えた。6月をめどに中間報告をまとめる。

民主党政権が策定した現行の国の復興計画には、被災地の実情に照らすと、見直すべき点が多々あるだろう。復興の遅れは何が原因か。新たにどのような施策が必要か。東北の再生につながる提言をまとめてもらいたい。

大震災から3年目に入り、求められているのは、具体的な行動と成果である。

首相の決意通り、復興を加速させることが政府の使命だ。

産経新聞 2013年03月12日

福島事故2年 原発活用し生き残ろう

■混乱の元凶1ミリシーベルトを見直せ

この2年間、原発には苛烈な逆風が吹いている。多くの原発が止まったままである。東日本大震災での東京電力福島第1原子力発電所の事故に端を発した逆風だ。

原発の利用をめぐっては、地域差を含めて、さまざまな思いが交錯する。だが、日本のエネルギー事情は極度に逼迫(ひっぱく)しつつある。政府も国民も、前を見詰めて確かな一歩を踏み出す時期である。

政府主催の追悼式で安倍晋三首相は「復興を加速することが、犠牲者の御霊(みたま)に報いる道だ」と述べた。まずは安全性が確認された原発を再稼働させ、年間3兆円超にふくれあがった国富の海外流出を止め、日本経済の復興に全力を傾けてもらいたい。

≪夏の電力不足どうする≫

大震災では千年に1度の巨大津波で福島第1原発が被災し、4基が大破した。漏れ出た放射性物質によって周辺地域が汚染され、いまなお多くの人が避難生活を余儀なくされている。原発史上最悪のチェルノブイリ事故に次ぐ被害の大きさだ。

福島事故以来、日本の社会はエネルギーの選択をめぐって国論を二分する混乱の極みを経験している。当時の民主党政権は強引に「原発ゼロ」政策を進めたが、昨年末の衆院選で大敗した。即時原発ゼロを掲げる政党も惨敗した。

福島事故で日本の原発は50基に減った。現在、稼働しているのは関西電力の大飯原発3、4号の2基だけだ。両機はこの夏に定期検査に入るので、昨年の初夏の一時期に続いて「稼働原発ゼロ」の事態を迎える公算が大である。

真夏の電力不足は、関西圏の社会生活や経済活動に深刻な危機をもたらす。安倍首相は、この異常事態に終止符を打つ手段を早急に講じなければならない。

海外の大事故でも、国内の全原発が止められた例はない。「原発全廃」を選択したドイツでさえ約半数の9基が運転続行中だ。原発の有用性が高いからである。

2030年代までに日本の原発をゼロにすると主張した民主党の政策は、亡国のエネルギー戦略と言うしかない。安倍首相の経済浮揚策であるアベノミクスも、原発による安価で安定したエネルギーがあってこそだ。それを欠いては、ようやく動き出した諸政策に失速の不安がつきまとう。

民主党政権は、幾多の「負の遺産」を残して去った。そのひとつが原発不要論だ。これが妄想だったことは、約30年間下がり続けていた電気代が原発停止に伴い値上がりを始めたことでも分かる。火力発電の燃料代による貿易赤字は拡大し、二酸化炭素の排出量も増えつつあるではないか。

日本は資源小国であり、かつ地震多発国である。この宿命の下で先進国であり続けるには、原発の安全性を常に高めながら活用していく以外、道はない。

≪求められる日本の技術≫

航空機や車をはじめ、あらゆる工学システムにおいてゼロリスクはないのだが、民主党政権は原発にだけそれを強要しようとした。その矛盾の一端が、除染における年間1ミリシーベルト目標という被曝(ひばく)線量の厳しさに表れている。被災者の帰還の遅れや農水産物の風評被害の根本原因ともなっている。

放射線の害は低い線量でも生じるという学説もある。しかし、コンピューター断層撮影(CTスキャン)では1回の検査で10ミリシーベルト前後を被曝する。人体への影響を考える場合は100ミリシーベルトがひとつの目安だ。これらのことを勘案すれば、国際的にも使われる20ミリシーベルトあたりが汚染地域における暮らしと健康の両立ラインであろう。

「ゼロリスク神話」は、原子力規制委員会にも根を張っている。規制委の本来の任務は、原子力発電の安全性の向上だが、活断層探しと混同している感がある。

規制委は原発の新安全基準を7月中にまとめ、国内の全原発に適用するが、基準を原発潰しに乱用することは許されない。

復興には地域への安定的かつ安価な電気の供給が不可欠だ。しかし今の規制委の姿勢では、それさえも期待することが難しい。

福島事故の完全収束には、長い年月がかかる。一方で、世界的にみれば原発は増え続ける傾向にある。安全な原発を必要とする世界の求めに対応するためにも、事故の痛みをかみしめつつ原発の再稼働に取りかかるべきだ。このままでは、日本は回復不能な国難を招いてしまう。

毎日新聞 2013年03月11日

震災から2年−原発と社会 事故が再出発の起点だ

東京電力福島第1原発で、約3500人の下請け社員が、放射能の脅威にさらされながら作業を続ける。

あの事故から2年。水素爆発を起こした3号機の上層は、ひしゃげた鉄骨がむき出しのままだ。放射線量も高い。4号機脇の土手は津波でえぐられ、海岸側には横転したトラックが放置されていた。廃炉まで40年も続くとされる収束作業の出口は、まったくうかがえない。

安倍晋三首相は、民主党政権が掲げた「2030年代に原発ゼロ」という目標を見直すという。経済界を中心に早期の原発稼働を望む声も強まる。しかし、「原発ゼロ」からの後退は認められない。再出発する原子力政策の起点は、あの事故であることを忘れてはならない。 未来にツケを回すな 福島第1原発では、溶け落ちた核燃料を冷やすための注水が続く。建屋からは放射能に汚染された水が毎時30~40トンも排出される。汚染水は敷地内のタンクに貯蔵される。東電はタンク増設を計画しているが、それもあと2年あまりで満杯になる。

水素爆発で建屋の上部が吹き飛んだ4号機は、1500本余りの使用済み核燃料を入れたプールが露出している。プールから燃料を取り出す作業は11月にも始まるが、敷地内に一時貯蔵した後の処分方法は決まっていない。

こうした問題は、原発が抱える矛盾そのものだ。原発を稼働させるのであれば、放射性廃棄物の処分問題は避けて通れないはずだ。

安倍政権は、使用済み核燃料の再処理を国策として継続するという。しかし、再処理して原発の燃料にする「核燃料サイクル」は行き詰まっている。

日本原燃が青森県六ケ所村に建設中の再処理工場は、10月に完成予定だが、トラブル続きで工期は19回も延期されてきた。再処理で取り出したプルトニウムを使うはずの高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も、トラブルで止まっている。技術や安全性、コストを考えれば核燃サイクルには幕を引くべきだ。

高レベル放射性廃棄物は、地下数百メートルの安定した地層に埋める考えだ。しかし、放射能が十分に下がるまでの数万年間、地層の安定が保たれるかは分からない。原子力発電環境整備機構が最終処分地を公募しているが、応じた自治体はない。

その結果、全国の原発には行き場のない使用済み核燃料がたまり続けている。未来にこれ以上「核のごみ」というツケを回さないためにも、できるだけ速やかな「脱原発依存」を目指すべきだ。

ところが、安倍政権は原子力・エネルギー政策を3.11以前に戻そうとしているかのようだ。象徴的なのが原発にまつわる審議会の人選だ。

経済産業相の諮問機関である総合資源エネルギー調査会総合部会は、原発を含む中長期のエネルギー政策について審議する。民主党政権時代に同じ役割を担った同調査会基本問題委員会では、24人の委員のうち7人が明確な脱原発派だった。ところが今回は委員が15人に絞られ、脱原発派は2人に減った。原発の立地県の知事も新たに加わった。

前政権時代の委員会は、33回にわたって激しい議論を交わした。その様子は公開され、国民の関心を高めた。結論の一本化はできなかったが、「国民的議論」も踏まえて定めたのが「2030年代に原発稼働ゼロ」という目標だったはずだ。

政権交代したとはいえ、この目標をあっさりほごにしたのでは、国民の理解は得られまい。

地球温暖化対策など環境関連の政策を調査審議する環境相の諮問機関「中央環境審議会」でも、委員に内定していた脱原発派の3人が、政権交代後に就任を取り消された。

脱原発派を外した審議会で、政策変更のお墨付きを得ようというのであれば、大きな考え違いだ。

首相は施政方針演説で、「原子力規制委員会の下で、新たな安全文化を創り上げ、安全が確認された原発は再稼働する」と明言した。

電力の供給力確保や経済性の面から当面、再稼働を認めるにしても安全の確保は大前提だ。原子力規制委員会は、7月までに新たな安全基準を策定する。既存の原発施設にも最新基準の適用を義務づける「バックフィット制度」を盛り込むなど厳しい内容になる。

規制委が進めている原発敷地内の活断層調査では、推進派から評価や運営方法に批判も出ているが、規制委に高い独立性を求めたのは、野党だった自民党だ。規制の厳しさを嫌い、安全性の判断に干渉することがあってはならない。

エネルギーの将来像をめぐって安倍首相は「3年間に代替エネルギーにイノベーションを起こすべく国家支援を投入する」と述べている。大震災の被災地では、再生可能エネルギーを復興の手がかりにしようとする取り組みが生まれている。そうした成果も尊重しながら国民本位の原子力・エネルギー政策をまとめるよう求めたい。

産経新聞 2013年03月10日

震災と非常事態 災対法の抜本改正を急げ

東日本大震災から2年、緊急事態に関する法整備が少しずつ進んでいるが、まだ不十分である。とりわけ、重大な不備が指摘されている災害対策基本法(災対法)の抜本改正が急務だ。

一昨年3月の東日本大震災で、当時の菅直人・民主党政権は国会開会中などを理由に災対法に基づく「災害緊急事態」布告を見送り、「重大緊急事態」に対処する安全保障会議も開かなかった。

菅元首相は国家の指導者として不作為責任を免れないが、災対法などに使い勝手の悪い面があったことも否定できない。

災対法については昨年6月、被災自治体の要請を待たずに国や都道府県が物資を支援したり、被災者の受け入れを円滑に進めたりするための改正が行われた。

その後、政府の防災対策推進検討会議が、非常時の私権制限の必要性にも踏み込んだ重要な最終報告をまとめたが、これはまだ法改正に至っていない。

最終報告は現行の災対法が緊急措置に関し、生活必需品の配給制限や債務の返済猶予など経済的な対応に限っている問題点を挙げ、「帰宅困難者対策や治安維持」の観点から、私権制限の範囲拡大を検討すべきだとした。緊急事態布告に基づく政令制定が、国会閉会中か衆院解散中などの時期に限られている問題点も指摘した。

東日本大震災では、緊急事態布告が見送られたため、被災地でガソリンや医薬品が不足し、救援活動に支障が出る事態が生じた。

安倍晋三政権は、この最終報告に基づく災対法の改正を今国会で実現してほしい。

これまでも、緊急事態に対処するための法整備の検討はしばしば行われてきた。だが、非常時においても基本的人権を過度に重視する傾向がみられ、抜本的な改正には踏み出せなかった。

国際人権規約第4条は、非常事態が宣言された際の一時的な自由・権利の制限を認めている。これにのっとった法改正は、非常事態規定が著しく不備な現行憲法の改正を待たなくても可能である。

現行憲法は非常時について、54条で衆院解散中の参院の緊急集会しか規定していない。このような欠陥憲法は、世界で皆無に近い。やはり、憲法を改正し、テロや外国の武力攻撃も含めた国家非常事態における政府の対処のあり方を明記する必要がある。

毎日新聞 2013年03月08日

福島健康調査 国は積極的な対応を

東京電力福島第1原発の過酷事故による発がんリスクの推計を世界保健機関(WHO)がまとめた。一般の福島県民の場合は、がんが増える可能性は低いという。一部の地域では乳児の発がんリスクが高まるとも予測されているが、現実の影響は小さいと考えられる。

安心材料のひとつではあるが、それでよかったというわけにはいかないのが福島の実情だ。

原発事故以来、自分や家族がどれだけ被ばくしたのか、健康に影響はないのか、現在の生活にリスクはないのか、県民の多くが不安を抱きながら生活してきた。これに応えつつ、放射線以外のリスクにも目配りし、健康を守る。そのための国や県の体制は、事故発生から2年を経て、なお不十分なままだ。

原子力規制委員会は、福島県が全県民に実施している県民健康管理調査について検討し、提言をまとめた。「国が責任を持って継続的な支援を行う必要がある」と述べているが、さらに踏み込むべきではないか。

検討チームに参加した福島県医師会の副会長は、健康管理を国の直轄で実施することや、住民や作業員の健康支援などを行う国の拠点を福島に作ることを提案している。こうした可能性も検討してもらいたい。

規制委は「行動調査を徹底して、できるだけ正確な個人の被ばく量を推定すべきだ」とも提案しているが、無理があるのではないか。

県民は被ばく量の推定のために、事故から4カ月間の行動を細かく思い出し、調査票に記入することを求められている。しかし、これは事故発生初期にこそ力を入れるべきだったことで、後から記憶を正確にたどることは難しい。回答率が2割台にとどまっているのは当然だ。

放射性ヨウ素による初期の内部被ばくについては、東大の早野龍五教授が携帯の全地球測位システム(GPS)機能のデータを利用して推計するプロジェクトを進めている。こうした工夫も必要ではないか。

地域ごとに行われている内部被ばくの測定や個人線量計による外部被ばくの測定データが統一的に整理されていないことも問題だ。個人情報に配慮しつつ、データを総括して一元化し、総合的な被ばく状況を住民に伝える体制も必要だ。

被ばく状況の把握や推計、健康管理のためには、国も自治体も縦割りを排して協力しあう必要がある。規制委の提言は、どこに向けたものかがあいまいで、効力もはっきりしないが、だからといって責任を押しつけあっている暇はない。環境省をはじめ関係機関は、中心的役割を果たす組織を決め、早急に体制を整えてほしい。

この記事へのコメントはありません。

この社説へのコメントをどうぞ。
お名前
URL
コメント

この記事へのトラックバックはありません。

トラックバックはこちら
http://shasetsu.ps.land.to/trackback.cgi/event/1338/