大阪市立桜宮高校2年の男子生徒が昨年12月、自殺した。
生徒はバスケットボール部の主将で、前日の練習試合でミスをしたとして顧問から体罰を受けていた。体罰が「つらい」という悩みを書き残していた。
顧問は体罰の事実を市教委に認めている。学校教育法は体罰を禁じており、教育者として断じて許されない行為である。
市教委は弁護士らでつくる外部監査チームを設置した。体罰の期間や対象を、過去にさかのぼって明らかにする必要がある。同時に、亡くなった生徒の親に調査内容を包み隠さず伝え、なぜ防げなかったのかを説明する責任がある。
これまでの経緯をみると、市教委や学校の体罰への認識は、あまりに甘い。
2011年9月、市の公益通報制度の窓口に、桜宮高校の名をあげて体罰の通報があった。しかし学校側はスポーツの部活動の顧問たちに尋ねただけで、「体罰はない」と市教委に報告した。市教委も、通報を受けた市も、それをうのみにした。
この感度の鈍さは何なのか。なぜ、生徒への聞き取りをしなかったのか。結果として自殺した生徒を救う機会を逃したのではないか。残念でならない。
文部科学省によると、体罰で処分を受ける教員は、年350~400人いる。授業中の次に多いのがクラブ活動中の体罰である。
体罰をした顧問は1994年に保健体育科教諭として赴任した。チーム強化の指導力は評価されていた。
部活動が実績をあげ、学校の名声を高める。そんななか、学校全体に顧問に直言しにくい雰囲気があった可能性もある。
試合に出たいので顧問に逆らいにくい。自殺した生徒だけでなく、他の生徒にも耐え難い日々だったのかも知れない。
部活動も教育だ。時間はかかっても生徒の能力を引き出し、やるべきことを考え、実行するように育てる。その結果として勝利へ導くのが基本である。
体罰で厳しく鍛え、勝利を得たとしても、暴力が正当化されることはない。
かつて体罰をした大阪府のある教諭が、府教委に提出した反省文がある。力で服従させても表面的な従属関係にしかならないとし、「生徒に憎しみや無力感しか生まなかったと今は実感している」と結ぶ。
愛のムチは暴力をふるう側の方便に過ぎない。一歩間違えれば将来ある子の命が失われることを、教育に携わる人はかみしめてほしい。