衆院選公示 確かな日本の針路見据えたい

毎日新聞 2012年12月04日

衆院選きょう公示 政治に魔法の杖はない

衆院選がきょう公示される。戦後初の本格的な政権交代への熱気をはらんでいた3年前とは違って、いま日本を覆っているのは既成政党への失望感と、政治そのものへの幻滅である。だが、政治不信が政治に対するシニシズム(冷笑主義)につながってはならない。少しでも世の中を良くし、社会を一歩ずつでも前に進めていく政治をこの国に根づかせるためにはいったい何が必要なのか。それをじっくり考える機会にこの選挙をしたいものである。

まず確認しておきたい。この選挙は昨年の東日本大震災以降初の衆院選だということである。

あの時、私たちが改めて気づかされたことがあった。それは共同体の助け合いの精神、支援してくれた世界との絆、そして過酷な原発事故を体験したあとの真剣に模索すべき日本の未来の重さである。震災後の政治は復興に向け必死に努力している被災地と被災者、故郷に帰れずにいる人たちに、希望を与えるものであったか。その審判を仰ぐべき衆院選であるとの自覚を、どの政党も候補者も持ってもらいたい。

私たちが現実に目にしたのは、あれだけの震災があったというのに政局を優先して足の引っ張り合いに終始する政治だった。政権が自民党から民主党に代わったところで、政治が良くなったという実感はない。この選挙に臨む各政党はその反省から始めるべきではないか。

ただし、だからといって政権交代に意味はない、政党には何も期待できない、と考えるのは行き過ぎだろう。私たちがこの3年間で学んだのは、政権さえ代われば社会は良くなるというのは幻想で、そんな魔法の杖(つえ)はないという事実だ。

確かに、政党乱立の衆院選の背景には政権交代への幻滅がある。だがその幻滅が、権力のありかを変えればすべてが良くなるという新たな幻想にすり替わるだけでは、また同じことの繰り返しである。

政党が互いに軽蔑しあうのではなく、建設的な議論を進め、合意を図る政治。一朝一夕に劇的な結果を求めず、漸進的に社会を良い方向に持っていく政治。そんな地道で健全な政治しか、私たちの未来を変えることはできない。その第一歩を踏み出す選挙であってほしい。

そのためには、一人一人の候補者にも覚悟を求めたい。法律を作る作業を通じて、国民生活のあらゆる側面を左右する権力を行使できる存在が国会議員である。社会保障も将来のエネルギーも税金の上げ下げも外交も、国会議員とその中から選ばれた内閣が決定権を握る。

小選挙区制は人より政策で選ぶ制度とされている。だが、政党の中身が政策に不勉強だったり、権力を前に右顧左眄(うこさべん)したりする政治家の集団であっては困る。多数党になったからといって、その構成員である政治家の質が問われずにすむなら政治は堕落する。政策はむろん大事だが、それを実行する個々の政治家の善しあしにも注意を向けたい。数におごらず、謙虚さを保ち、マックス・ウェーバーの言うところの、政治「によって」生きるのではなく政治「のために」生きる政治家が誰なのか、それを見極めることがこの選挙では重い意味を持つだろう。

これは、主要8カ国(G8)という指導的国家群の首脳会合のメンバーを選ぶ選挙でもある。公的な場での立ち居振る舞いや人格的洗練さを含め、党首たちの言動を世界が見ている。欧米からは日本の右傾化を懸念する声が強まっているが、世界が期待しているのはアジア太平洋地域の平和と安定に貢献できる政党と指導者の登場なのである。

世界からのメッセージを正しく理解することが必要である。米上院が先週、尖閣諸島を日米安保条約の適用範囲だとする修正条項を全会一致で採択した。これは中国へのけん制であると同時に、日本に安心感を与える代わりに問題を平和的に処理するよう求めたものでもあろう。「平穏な日中関係」と「日韓協調」がいかに重要かは、北朝鮮のミサイル発射予告で再び緊迫する地域情勢をみてもわかる。外交を人気取りに利用せず、国際協調路線を歩み、地域全体の秩序維持に責任ある行動をとることが日本の生きる道である。世界に開かれた論戦を望む。

多くの政党が候補者を擁立するなど選挙情勢は混とんとしている。だがよくよくみるなら、国民の暮らしを良くするための各政党の政策にはそれほど極端な違いがあるわけではない。であれば「決められる政治」ができるかどうかは、各政党の決断ひとつである。政党のためでなく国民のための政治を実現することが、国政に参画する政治家に課せられた最低限の責務であろう。

衆院選とは、480人の国会議員の首をいったん切って新たに選び直すことである。政党とは何か、政治家とは何かをこの機会に改めて深く考え、次の時代を託す政治家を決める民主主義国家最大の政治イベントである。政治の主人公は私たち有権者であり、政治家は有権者の代弁者だ。この当たり前の原則をじっくりかみしめて選択したい。

読売新聞 2012年12月05日

衆院選公示 確かな日本の針路見据えたい

◆無責任な主張に惑わされぬよう◆

国力を維持していけるのか、それとも衰退の道をたどるのか。日本の針路を決める上で、極めて重要な選択である。

第46回衆院選が公示された。民主、自民の2大政党をはじめ12の政党が乱立して争う異例の選挙戦となった。

第一声で野田首相は「前に進むか、昔に戻るか」と訴え、第1党を目指すとしている。自民党の安倍総裁は「断固として自民党、公明党で過半数を獲得し、政権奪還を目指す」と語った。どちらが政権を担うかが、最大の焦点だ。

◆第3極も新政権に影響◆

民主、自民両党に対抗して「第3極」を目指す日本維新の会、日本未来の党、みんなの党の勢力伸長は、新政権の枠組みに影響する。

安倍氏は、民主党との連立政権を否定する一方、維新の会との連携は選択肢の一つだと述べた。

衆院で自民党が第1党になった場合でも、参院の議席は公明党や維新の会と合わせても過半数には届かない。

来夏の参院選まで、衆参のねじれが続く公算が大きい。

選挙である以上、各党が競い合うのは当然だが、選挙後の連立や部分連合も考慮に入れた対応も必要だ。「決められない政治」からどう脱却するかが問われている。

民自公3党の協力は、消費税率の引き上げを柱とする社会保障と税の一体改革を今後、着実に実行していくうえで欠かせない。

消費増税は、危機に(ひん)する財政を再建し、社会保障制度を維持するために必要だ。3党の主導により社会保障制度改革国民会議が発足したばかりである。議論をさらに加速させなければならない。

民主党を離党した前衆院議員たちの多くは、生き残りを図るために新党に移り、「反増税」を唱えている。それなら、社会保障財源の確保と、財政再建への現実的な具体策を示すべきだ。

「行政のムダを削減する」と唱えるだけでは粗雑に過ぎる。

原発・エネルギー政策でも各党の主張の対立が目立つ。

民主、自民両党は安全性が確認された原発の再稼働を認める点では一致するものの、自民党は原発の将来像に早急には結論を出さないとしている。

◆「脱原発」の安売りでは◆

一方で、民主党は2030年代の原発稼働ゼロを目指す。未来の党は10年以内に全原発廃炉、みんなの党は20年代の原発ゼロを掲げている。共産、社民両党は即時ゼロという立場だ。

「原発ゼロ」は無責任である。電力の安定供給、経済・雇用や家計への打撃、原子力関連技術者の流出など様々な懸念について、具体的な解決策を示さないようでは、説得力を持たない。

国力をそぐ原発ゼロでは、社会保障の充実も、安全保障の確保も難しくなるのは明らかだ。

何より重要なのは、経済再生である。デフレ・超円高を克服し、景気を回復することが急務だ。

自民党が、「明確な物価目標2%」を設定し、その達成に向けて大胆な金融緩和を行う考えを打ち出したのは評価できる。

民主、自民など多くの党が高い経済成長の達成を公約しているが、道筋は不透明だ。

どの党が有効な景気対策、金融政策を掲げているか、中身を見極めることが大切である。

日本を取り巻く外交・安全保障の環境は変貌を遂げつつある。

米軍普天間飛行場の移設問題を巡る民主党政権の失政で、日米同盟が大きく揺らいだ。沖縄・尖閣諸島周辺海域では中国公船の領海侵入が相次ぎ、北朝鮮は弾道ミサイルの発射を予告している。

民主、自民、維新の会などが日米同盟の強化・深化を掲げているのは当然である。軍事、経済両面で膨張する中国をけん制するためにも、米国との関係改善が必要だ。集団的自衛権の行使を認めることは有力な手段となろう。

◆あるべき国家像を語れ◆

目指すべき国家像を示す憲法改正について議論を深めることも、政党の重要な責務である。

有権者の側も大衆迎合のスローガンやムードに惑わされないよう注意したい。消費増税を除いて、各党の公約に負担増を求める政策がほとんどないのはなぜか。次世代にツケを回すのは限界だ。

前回衆院選では「一度は民主党に政権を任せてみよう」という空気に国民が流された。今回も同様に第3極に期待が集まるのか。

日本が直面する難問に、責任ある処方箋を掲げているのはどの政党か。真摯(しんし)に耳を傾けたい。

産経新聞 2012年12月04日

衆院選公示 国家再生、どの党に託す 「尖閣危機」克服策聞きたい

きょう公示される第46回衆院選は、国難というべき内外の危機を克服できる指導者や政党を見極めるきわめて重要な選択となる。

3年余にわたる民主党政権が日米関係を悪化させ、デフレを脱却できず、政策停滞をもたらした原因をまずもって考えたい。聞こえの良い公約を安易に信じてはなるまい。具体的かつ実効性ある政策かどうかを問うべきだ。

日本の立て直しは尖閣諸島を守れるかどうかに帰結しよう。実効統治を強化することなく現状のまま放置することは、中国の攻勢に屈することを意味しないか。

≪安易な脱原発に注意を≫

「原発ゼロ」の実施時期を性急に問う意見が少なくないが、尖閣の危機をいかに克服するかの議論こそが今、求められている。

統治強化策については、自民党の安倍晋三総裁や日本維新の会の石原慎太郎代表が公務員常駐や漁船が避難する船だまりの建設などを主張している。

これは、中国が1992年に領海法で尖閣諸島を自国領と明記し、政府公船による領海侵犯などを繰り返してきたことを踏まえた認識に基づく。なにもしないという事なかれ外交では尖閣の危うさが増すばかりだ。

一方、野田佳彦首相は新たな方策は示していない。統治強化策で「日中関係にどういう影響をもたらすか」ということにのみ関心を示し、中国に対応を任せているともいえる。

尖閣をめぐる危機は、国の根本法規である憲法に領土保全規定がないことにも大きな原因がある。憲法は自衛隊を正式に軍と認めず、戦争放棄や戦力不保持、交戦権の否認を打ち出した第9条によって自衛権の行使は極めて抑制的なものとされてきた。

自民党が掲げた憲法改正草案は、これらの課題に答える形で独立国としてなすべきことを盛り込んでいる。だが、野田首相はこうした本質的問題に向き合わず、「国防軍」の文言をとらえて「大陸間弾道ミサイルを飛ばすような組織にするのか」と語る。軍拡や戦争につながるような印象付けを図っているのは極めて残念だ。

野田首相は安倍氏らの主張を「排外主義」と評したが、結果は尖閣周辺での中国政府公船による領海侵入などの常態化だ。尖閣を守るうえでいずれの主張が理にかなっているかは明白だ。

国家の将来を左右する原発・エネルギー政策では、民主党が「2030年代の原発稼働ゼロ」を打ち出し、他の多くの政党も脱原発をうたっている。

だが、エネルギー小国の日本が原発を完全に手放すのは非現実的だ。「脱原発」ムードに流されて国力を低下させてはなるまい。

≪甘い公約惑わされるな≫

野田首相は、党首らの発言にブレがみられる維新の会や日本未来の党の原発政策について「訳が分からない」と批判している。だが、原発に代わる再生可能エネルギー整備の道筋を明確に描けないまま原発ゼロを目指している自らの無責任さは拭えていない。

安全性を確保しつつ、社会・経済活動を維持する電力供給には原発再稼働が欠かせない。その判断を責任をもって行える政党を見抜かなければならない。

厳しく見つめなければならない大きな課題はマニフェスト(政権公約)の真贋(しんがん)だ。民主党は前回衆院選で、無駄の削減で16・8兆円の財源をつくるとし、子ども手当など多くのばらまき政策を並べたものの、財源を確保できず多くの政策が変更を余儀なくされた。

急速な高齢化により、痛みを伴う政策を示すことは政権を担う政党ならば当然の責務だ。

民主、自民両党ともに社会保障制度の拡充策は強調しているが、高齢者などの反発を恐れ、医療費の負担増などの議論を避けている。これは問題だ。膨張する社会保障費用の抑制策を具体的に論じてほしい。

自民党は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加問題で「聖域なき関税撤廃が前提条件なら反対」との姿勢を崩していない。安倍氏は「国益が守られれば交渉していくのは当然だ」とも語っているが、参加について明確な態度表明が求められよう。

16日の投票まで、有権者は国家再生を成し遂げられる担い手を徹底的に吟味する必要がある。各党は論戦を通じ、その判断材料を示さなければならない。

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