原発ゼロを目指すのか。それとも、あくまで一定割合の原発を使い続けるのか。
原子力・エネルギー政策は、将来の「国のかたち」を左右する。今度の総選挙で最大の争点のひとつだ。
福島第一原発事故によって、多くの国民は原子力の負の側面とそれを覆い隠そうとしてきた政治・行政の罪を、自分たちの生活に直結する問題として認識した。
首相官邸前の反原発デモに、大勢の市民が自らの意思で集まったのは、その表れだろう。
将来のエネルギー政策をめぐって、この夏行われた「国民的議論」も、不十分ながら、政治と国民との関係に新しい接点をもたらした。
ある大手企業トップは言う。
「審議会などで電力会社のやり方に少しでも疑義を唱えたら翌日から次々に圧力がかかる。それが当たり前だったエネルギー議論で、ようやく民主化が進み出した。これはもう止められない変化だ」
まずは、この「後戻りのできない変化」を共通の土台として確認しておきたい。
そのうえで今後の原子力政策を考えれば、明らかなことがある。原発はこれ以上増やしようがないという事実だ。
「地域振興」の名目で過疎地にお金をつぎ込み、原発を集中立地する手法は、事故でその矛盾と限界をさらけ出した。
安全基準は厳しくなり、原発への投資は一層、巨額になる。
しかも、電力需給の面だけなら、ほとんどの原発が必要ないことが明白になった。
これらを踏まえれば、脱原発依存という方向性はおのずと定まる。
そこで、各政党に明確にしてもらいたいのは、
(1)原発をどんな手順とスピードで減らし、放射性廃棄物の問題をどう解決するのか。
(2)東京電力の処理をどのように進め、賠償や除染、廃炉といった原発事故に伴う費用負担に国がどう関わっていくか。
(3)発電と送電の分離をはじめとする電力システム改革に、どのように臨むか。
この3点である。いずれも工程表を示すべきだ。
民主党はマニフェストに「2030年代の原発稼働ゼロ」を盛り込む方針という。
だが、政権の座にありながらその中身を詰め、実現への段取りを示すことができなかった。「口約束にすぎないのでは」。有権者は疑っている。
燃料費の増加など脱原発に伴う当面のコスト増をどのように分担するか。日本の脱原発に懸念を示す米国や、立地自治体への対応についても、もっと踏み込んだ説明が必要だ。
脱原発を公約に掲げる公明党や小政党も、課題は共通する。
自民党は民主党のゼロ政策を「無責任」と批判するものの、自らの方針は明確ではない。
一定の原発を維持する方針であれば、増え続ける放射性廃棄物の問題にどう臨むのか、具体的に示す責任がある。原発を推進してきた過去をきちんと総括もせず、「10年かけて考える」は論外である。
東電処理の見直しも待ったなしだ。除染などの費用もすべて東電に負わせる今の枠組みは行き詰まりつつあり、福島県の復旧・復興や電力供給に支障を来しかねない。
東電のリストラだけでは到底まかない切れない事故費用は、電気料金か税金で負担するしかない。どう分担するのか。
その議論を、「国策民営」という原発政策のあり方や原子力賠償制度の再検討にも結びつけなければならない。
もちろん、新たな負担について国民を説得するのは、容易ではないだろう。
節電には協力した消費者が、東電の値上げに強く反発した背景には、「電力の選択肢がない」ことへの不満があった。
地域独占に守られた電力会社が支配する今の体制では、新規参入や新たな技術の導入はなかなか進まない。
野田政権は、送電網の運営を発電事業と切り離し、多様な電源や新しいサービスを促す方向へ、かじを切った。自然エネルギーや自家発電などをできるだけ取り込むことで、脱原発を進めつつ、電力を確保していこうという考えだ。
自民党政権は過去、地域独占による安定供給を重視し、大手電力の既得権を擁護してきた。今後、方針を転換するのか。早く将来図を示してほしい。
首をかしげるのは、日本維新の会の橋下徹代表代行である。電力消費地の立場から、脱原発や電力改革に意欲を見せてきたが、「反・反原発」の石原慎太郎氏率いる太陽の党の合流で、「脱原発」の看板は消えた。
いったい原発政策をどうするつもりなのか。有権者へのきちんとした説明が不可欠だ。
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