大学新設不認可 「なぜ」の説明が必要だ

朝日新聞 2012年11月03日

大学不認可 田中さん、乱暴すぎる

田中真紀子文部科学相がきのう、3大学の開学申請を不認可とした。

前日に同省の大学設置・学校法人審議会が「可」と答申したのを、たった1日でひっくり返したのだ。

不認可となった3校は来年度以降、申請し直さなくてはならない見通しになった。

この30年間で、答申が覆った例はない。しかも、申請内容の問題ではなく、「大臣の政策的な判断」だという。

これでは3校は到底、納得できまい。

各校が新設を申請したのは半年以上も前のことだ。この間、審議会とやり取りを繰り返し、その意見を受け入れて計画を修正してきた。

開校の予定は来春で、すでに志望者向けの説明会を開くなどの準備を進めていた。もう11月だ。大学側だけでなく、志望者も動揺しているだろう。

田中文科相は不認可にした理由について、記者会見でこう語っている。

「大学がすごくたくさんつくられ、教育の質がかなり低下してきている」「大学同士の競争の激化で、運営に問題のあるところもある」

たしかに、いま全国の私立大の半数近くが定員割れを起こしている。その原因が、大学の数が増え続けてきたことにあるのも事実だ。

4年制大学はこの20年の間に1.5倍に増えている。短大の4大への衣替えが続いているせいもあるが、何よりも文科省が91年に大学認可の規制を緩和したことが大きかった。

過当競争の結果、経営難に陥る大学も少なくない。

大学が多すぎるからといって、今ある大学を安易に淘汰(とうた)すれば、在校生が路頭に迷ってしまう。まず新設に歯止めをかけようと考えること自体は間違ってはいない。

田中文科相は、現在のように委員の大半を大学関係者が占める審議会で認可の是非をきちんと審査できるのか疑問だ、とも指摘している。

だが、大学行政や審議会のあり方は、別途議論して制度改革を進めるべき問題だろう。

すでに申請されていた3校については、現行制度に基づいて判断するのが当然だ。政策を転換するつもりなら、審査している間に伝えるべきだった。大臣の鶴の一声で変更していい性格のものではあるまい。

大学界にも自助努力を求めたい。定員割れしている大学が自ら定員を削るなどの工夫をしないと、事態は改善しない。

毎日新聞 2012年11月03日

大学新設不認可 「なぜ」の説明が必要だ

田中真紀子文部科学相が大学設置・学校法人審議会の答申を覆し、3大学の新設を不認可とした。大学側に不備があるのではなく、「政策判断」だという。極めて異例だ。

なぜか。

これまで大学が多くつくられ、教育の質が低下し、それが就職難にもつながっている。そう文科相は論じる。そして長く変わらないできた審議会制度のあり方を見直し、当面は新設を認めないという。

だがその論法が、具体的な欠格理由なしに不認可とされた3大学に通じるだろうか。来春の開学に向け準備に当たってきた当事者や入学志望者にはたまったものではあるまい。個別に「なぜ」の説明が必要だ。

政策として当面、大学新設を見送るというのなら、本来、審議会に諮問する前の段階で明示するのが手順というものだろう。

文科相が「50年後、100年後の将来のため」と説くにしては、あまりに唐突の感がぬぐえず、無用な混乱を引き起こす懸念もある。

大学設置基準は1990年代初め、規制緩和の流れをくんで大綱化(緩和)された。大学は増え、大学進学率も上昇し、5割を超えた。

一方で少子高齢化は予想以上に進み、総定員枠に総志願者数がほぼ収まる「全入」時代に。今年度入学では私立大の4割以上で定員割れを起こしている。

経営難の大学も現れた。先月は創造学園大学などを運営する堀越学園(群馬県)が学生が在籍するまま年度末までに文科相の「解散命令」を受ける異例事態になった。

文科相は今回そうした状況にも触れ、大学設置基準厳格化を挙げる。

大学の「質」を支えるためだが、開学のハードルを今より高くするだけで改善することではない。数が多いから学力が落ちるという論法なら、数を絞れば学力も上がるということになるが、一面的だろう。

むしろ、入学試験のあり方や見極める学力、高校・大学の学力の接続法、資格試験の導入案など、中央教育審議会などで積み上げられてきた論議を深めたい。

また先進国の中で日本の大学数が突出しているわけではない。

ただ「生涯学習」の視点からみると、大学はまだ機能を十分果たしているとは言い難い。さまざまな学習、研修にキャンパスが開かれるなど「学び直し」と能力・教養向上の場として活用されるのでなければ、今の数でも大学はさらに“淘汰(とうた)”を余儀なくされる恐れはある。

そうした論議やコンセンサスを広く高めるにしても、今回の文科相のやり方は、拙速だったといわざるをえない。

読売新聞 2012年11月04日

大学新設不認可 文科相の独断が混乱を招いた

理解に苦しむ判断である。

危惧していたことが起きてしまった。

田中文部科学相が、3大学の新設申請を不認可とした。文科相の諮問機関である大学設置・学校法人審議会が「新設を認可する」とした答申を独断で覆した。過去30年で初のケースという。

田中文科相は記者会見で、「大学はたくさん作られてきたが、教育の質自体が低下している」と述べ、現行の大学設置認可制度を見直す考えを明らかにした。

だが、なぜ、この3校の新設を認めないのか、という明確な理由は示さなかった。文科省は「大臣の政策的判断」と説明するが、政治主導をはき違えた、あまりに乱暴な判断と言うほかない。

そもそも、設置審の認可答申は、文科省が定めた大学設置基準などに基づいて、3校の教育体制や財務計画を精査した末に出された結論である。

文科相が最終的な認可権限を持つとはいえ、基準を満たした3校の新設を大臣の判断で認めなかったことは、「裁量権の乱用」と批判されても仕方がない。

しかも、田中文科相は、設置審が認可答申を出した、他大学の学部や大学院の新設については認可している。大学新設だけを不認可としたこととの整合性をきちんと説明できるのだろうか。

文科相の独断と暴走がもたらす混乱は計り知れない。

来春開校予定だった大学側は校舎整備を進め、教員も確保している。3校の一つ、秋田公立美術大の開校を目指す穂積志・秋田市長が、不認可の撤回を求める方針を表明したのは当然と言える。

入学希望者から「直前に言われても困る」といった声が上がるのも無理はない。

一方で、大学を取り巻く状況は厳しさを増している。

少子化で学生が減少しているにもかかわらず、規制緩和により大学の新設が続き、大学の数は20年前の1・5倍にまで膨らんだ。

大学の中には、定員割れで経営難に陥るところもあり、先月には群馬県内で大学を運営する学校法人に文科省が解散命令を発動することを決めたばかりだ。

大学政策の見直しは必要だが、その際には、個別の大学の認可とは切り離し、中長期的な視点から、中央教育審議会などの場でしっかりと議論すべきである。

問題閣僚のスタンドプレーで現行ルールに沿った結論が覆されるようでは行政の継続性は失われ、教育現場が混乱するだけだ。

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