再審無罪へ 15年の検証が必要だ

朝日新聞 2012年10月30日

再審無罪へ 15年の検証が必要だ

事件が突きつけた課題にどう向きあい、信頼回復につなげるか。刑事司法にかかわるすべての人の姿勢が問われている。

東京電力の女性社員が15年前に殺された事件のやり直し裁判は、検察側が「被告を有罪とは認められない」との意見を述べて、ただちに結審した。

現場に落ちていた体毛、被害者の体内に残された体液、そして爪の付着物。この三つから、被告ではない人物のDNA型が検出された。いったん無期懲役が確定した被告に、来月7日、無罪が言い渡される。

6月の再審開始の判断は、最初の二つの鑑定結果が大きな根拠になった。逆転をねらった検察は8月に爪の鑑定を嘱託。これが、当の検察に誤りを認めさせる決定打となった。

だれもがおかしいと思うだろう。弁護側は5年以上前から、「爪に犯人の皮膚片などがついている可能性がある」として、鑑定を求めていたのだ。

このほかにも検察には、証拠隠しと批判されて当然の振る舞いがあった。こうした背信行為をゆるさない仕組みを、急ぎ整えなくてはならない。

ところが検察は、捜査や公判を検証する考えはないという。とんでもない話だ。少なくともこの間の証拠開示に関する姿勢は、国民の理解を得られるものではない。「公益の代表者」として恥じる点はないと、本気で思っているのか。

郵便不正事件など一連の不祥事で検察の信頼は地に落ちた。組織をあげての改革を口にするが、実態はこのありさまだ。体面を重んじ、批判をきらう独善的な体質は改まっていない。

裁判所も問われる。東京高裁は、一審の無罪判決が指摘した重大な疑問点の解明をおきざりにしたまま、逆転有罪を言い渡した。この高裁判決は、多くの刑事裁判官に「緻密(ちみつ)に事実を認定している」と受けとめられ、最高裁も支持した。

なぜ誤判に至ったのかを解明し、教訓を共有しなければならない。もちろん、その方法は慎重な検討が必要だ。政治的な思惑が紛れこんだりすると、「裁判官の独立」が脅かされ、将来に禍根を残しかねない。

だがそうした懸念を口実に、この問題から逃げてしまっては不信は深まるばかりだ。

いまは、ふつうの人が裁判員として有罪無罪の判断にかかわる。つまり、間違えれば市民が冤罪(えんざい)の加害者になる時代だ。

無実の人を罪に落とさない。それは、これまでにも増して、重大で切実な社会の課題であることを忘れてはならない。

毎日新聞 2012年10月31日

東電事件再審 検察の謝罪姿勢に疑問

こんな謝罪では「公益の代表者」の看板が泣くというものだ。

97年に起きた東京電力女性社員殺害事件で再審開始決定を受けたゴビンダ・プラサド・マイナリさんの再審公判。検察は「別人が犯人の可能性を否定できない」と、有罪主張を引っ込めて無罪を求めた。来月7日の判決で無罪が言い渡され、確定するのは確実だ。

マイナリさんは異国の地で15年も身柄を拘束され、自由を奪われた。それにもかかわらず検察は法廷で謝罪せず、閉廷後に東京高検次席検事がコメントを出した。

科学捜査の進展が主張を変えた理由だとしたうえで、「検察官が殊更に証拠を隠したなどの事実も認められず、その捜査・公判活動に特段の問題はなかった」「結果としてマイナリ氏を犯人として長期間身柄拘束したことについては、誠に申し訳なく思っている」としている。

釈明と併せて読むと、謝罪も大いに色あせる。そもそも捜査や公判に問題がないとする検察の主張は到底納得できない。

1審で無罪判決が出たように証拠は万全でなかった。2審の無期懲役判決が最高裁で確定した後、マイナリさんは05年、再審請求をした。弁護側が証拠開示を求めたのに対し、検察は被害女性の体内にあった精液を長く出し渋っていた。

そして、鑑定の結果、別人のDNA型が昨年検出された。東京高裁が6月、「殺害は別人の疑いがある」として再審開始決定を出した後も、検察は異議申し立てをして有罪にこだわった。

結局、追加鑑定した被害女性の爪の付着物からも別人のDNA型が検出された。この鑑定も長く弁護団が求めていたものだった。「有罪」の見立てにこだわり、ご都合主義的に証拠を出したり鑑定を繰り返したりした揚げ句、白旗をあげた格好だ。

DNA型鑑定の精度は日々向上している。速やかな証拠開示と鑑定があれば、マイナリさんはもっと早く塀の外に出られたはずだ。

検察不祥事を受けて定めた「検察の理念」では、自己の名誉や評価を目的として行動しないことや、謙虚な姿勢を保つべきことをうたっている。その意識が徹底されているのか疑問だ。このままでは、過ちを認めたがらない検察の体質は改まっていないと非難されても仕方ない。

もちろん、再審無罪に至るまでの司法の責任は検察だけでない。当初の警察の捜査や、無罪判決を覆した確定審の裁判所の判断など、教訓を酌みとるべきことは少なくない。弁護団は第三者による徹底的な検証を求めている。その要請に応える道を探らねばならない。

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