”夢の超特急”が初めて乗客を乗せて東京−大阪間を疾走し、オリンピックが東京にやってきた。それまでビジネスマンの出張に限られていた海外旅行が一般の観光客にも解禁され、先進国の集まりである経済協力開発機構(OECD)に加盟した。1964年は敗戦からの復興を果たした日本が世界に先進国の仲間入りをアピールした節目の年だった。
その年の9月、もう一つ、日本の成長ぶりを印象づけた大イベントが東京で開かれた。国際通貨基金(IMF)と世界銀行の年次総会である。「国際金融の祭典」と大いに盛りあがった。
100を超える国の財務相や中央銀行総裁をはじめ、銀行家や経済界の有力者が東京に結集した。池田勇人首相が歓迎会で来客の行列と握手するのに1時間20分要したことを、当時の毎日新聞は「さすがに”史上最大”」と誇らしげに報じている。
それから48年。再びIMF・世銀総会が東京で開かれる。9%を超える高度成長下にあった当時に対し、昨年度はゼロ成長だった日本。国内総生産(GDP)の規模で世界2位にのし上がった隣国ばかりに関心が集まりがちな昨今である。
しかし、というより、だからこそ、今の日本に世界の金融を動かす官民の要人が集まる意義は大きい。縮こまりがちな日本人が多様な外の見識と交わり、訪れる人々には日本の価値を再評価してもらう好機として、最大限に活用したい。
この会議はもともと東京ではなく、エジプトで開催の予定だった。IMFと世銀が本部のある米ワシントン以外で3年に1度開いている年次総会は、かつての日本のように、先進国への脱皮を果たそうという国で催されることが多い。それが、ムバラク政権の崩壊に伴う政情不安のため、急きょ変更となった。政府が「東日本大震災から復興する姿を世界中に見てもらう絶好の機会」(野田佳彦財務相=当時)と開催を決断したことは正しかった。
総会に先立ち、仙台では途上国の防災対策などを議論する会合も開かれる。日本の復興ぶりを見てもらうと同時に、失敗も含めて日本の減災・被災経験を他国の専門家とともに考え、対策にいかしてもらいたい。
だが、日本開催の意義は復興の進展を伝えることにとどまらない。
一連の会議や関連セミナーで大きなテーマとなるのが、世界経済の安定化だが、今、各国が直面している問題の中には、日本が先駆けて経験しているものが少なくない。
例えば、金融危機への対応だ。かつて日本は、銀行の不良債権処理や政府・日銀の政策で、「遅すぎる」「小出しだ」などと海外から厳しく批判された。それでも、資産バブル崩壊後の91年度から昨年度までの21年間を平均した実質経済成長率は0.9%のプラスだ。08年のリーマン・ショック前に限ると、マイナス成長の年度は3回のみ。米金融危機などのように世界の経済を道連れにすることも、大量の失業者を出すこともなかった。
同じような困難に直面して初めて、米欧では、かつての日本批判が公平ではなかったと修正する動きが出始めている。そうした中、日本が学んだことを他国と共有し、今の問題への対策をともに考えることは大きな貢献となろう。
デフレについても同様だが、日本が実態以上にマイナス評価されがちなのには理由がある。私たち自身が自信を失い、外に向かって良さを売り込むことを怠ってきたことだ。
たった1回の会議ではあるが、188カ国の財務相・中央銀行総裁に加え、金融界の有力者、メディア関係者など2万人以上が集まるということは、そうした内向きの傾向を変える一歩となりうる。政府関係者のみならず、大手金融機関から銀座の商店まで、懸命にアピールしようと知恵をしぼることの意味は小さくない。特に、金融危機で体力が落ちた欧米の銀行に比べて余裕のある邦銀は、アジアを中心にグローバルな展開を活発化できる立場にあるのだ。
企業やメディアのアジア拠点にせよ、国際会議の開催地にせよ、何かと中国に移り、日本の低落ぶりが指摘されて久しい。だが、その中国も高度成長に陰りが見え始め、労働争議の頻発や所得格差の拡大に対する不満の高まりなど、このところ負の側面も注目されるようになってきた。尖閣諸島問題にからみ、中国の大手国有銀行首脳が来日を見送ることが報じられ、国際社会の主要プレーヤーとしての資質を疑問視する見方も出ている。そんな時期に、日本が何を発信するかが問われる。
人口の減少や高齢化もあり、決して中国のような成長率は望めない日本だ。しかし、日本には日本にしかない力や潜在性がある。それを十分発揮するうえで、これまで敬遠しがちだったものを積極的に活用する時だ。多様な国外の人材や発想であり、資金である。
それを引き寄せるスタートの年としたい。日本も実はおもしろそうだ。アジアの中心にふさわしい国だ−−。そう思ってもらえる可能性は十分にあるのだ。
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