森繁久弥さん 戦後と共に歩んだ名優の逝去

朝日新聞 2009年11月13日

森繁久弥さん その身に戦後を映して

モリシゲさんが亡くなった。

ある時は軽妙な演技で観客を笑いの渦に巻き込み、またある時は、人情味たっぷりに庶民の哀歓を描きだす。威厳に満ちた政治家の役も、女房に甘えるダメ亭主も似合った。話術も文筆の腕も冴(さ)えていた。

芸域の広さと多才さ。その俳優としての大きさと奥行きで、「森繁久弥」は戦後という時代を映し続けた。

早稲田大学を中退して東宝劇団に入った森繁さんは、38年に軍隊に召集された。耳の病気ですぐに帰され、翌年、NHKのアナウンサーとして旧満州へ。そこで敗戦を迎えた。

戦後、再び俳優として歩み始め、ラジオ番組での達者なコメディアンぶりが注目された。

映画の出世作は、52年の「三等重役」。大物経営者が戦争協力を問われて退任し、代わりに社長になった社員を補佐する調子のいい課長を演じた。その後、70年代初めまで続く「社長シリーズ」などのサラリーマン喜劇は、日本映画の黄金期を支えた。

60年代半ばからは、テレビのホームドラマに数多く出演。家族の中心にいる祖父や父親役で親しまれた。

73年の映画「恍惚(こうこつ)の人」では、認知症の姿をリアルに見せた。介護の問題が社会で共有されるより、はるかに前のことである。

高度成長期の陽気で活力あふれる会社員。新しい家族像が模索された時代のおとうさん。そして、高齢化社会の現実。森繁さんは戦後の日本社会に生きる人々を鮮やかに演じ続けた。

ラジオ、映画、そしてテレビと、活躍の場も、その時々に最も大きな影響力を持つメディアだった。

舞台人としての代表作は、67年から900回演じたミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」だろう。ロシアに暮らすユダヤ人の父親を日本人の情感に引きつけ、82年には当時としては異例の半年に及ぶロングランを成功させた。今日のミュージカル全盛の礎を築いた一人でもある。

91年には、現代劇の俳優として初めて文化勲章を受けた。歌舞伎や能など評価が定まった伝統芸能ではなく、いま、ここで生きる大衆のための芸能を、ひとつの権威の中に位置づけたのだ。「21世紀の門が開かれた」という受章の言葉に自負と感慨があふれた。

森繁さんの原点には、旧満州からの過酷な引き揚げ体験がある。死と隣り合わせの日々を、後に繰り返し語り、書いている。

50年に公開された最初の主演映画の出演料で自分の墓を建てたと自伝に記している。「拾った後半生、終着駅だけはちゃんとしておきたい」と。

それからほぼ60年。自身が思い描いた「華々しく、悠々と」した人生の幕がおりた。96歳。見事な生涯である。

読売新聞 2009年11月12日

森繁久弥さん 戦後と共に歩んだ名優の逝去

味わい深い名演技で親しまれ、国民的なスターとして活躍してきた俳優の森繁久弥さんが亡くなった。96歳だった。

戦後の映画、演劇界を牽引(けんいん)し、大衆芸能の分野で初めて文化勲章も受章した。90歳を過ぎても映画に出演し、100歳を目前にした白寿の老人の役を演じるなど元気な姿を見せていた。

昭和の時代がまた一つ遠くなったという感慨を抱く人も多いのではないか。心からご冥福をお祈りしたい。

森繁さんが俳優として最初に注目を集めたのは、1952年の映画「三等重役」に始まる一連の喜劇映画のシリーズだった。

会社を舞台に、人間の弱さや本音をコミカルに演じ、戦後復興期から高度成長期にかけてのサラリーマンの共感を得た。

喜劇俳優として出発したが、人間味あふれる独特の演技は、その枠にとどまらなかった。

映画やテレビ、演劇の舞台で、頑固な父親から重厚な政治家まで様々な難しい役どころを自在にこなした。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、ライフワークとして20年、900回にわたり舞台を踏み続けた。

北海道のロケ地を訪れた際に作詞作曲した「知床旅情」は、大ヒットし今も歌い継がれている。

文化勲章を受章した際には「私が門を開くことで、後の人たちが通りやすくなりました」と喜ぶ一方で、「この門はあまりにも狭すぎます」と述べている。

早稲田大学在学中から演劇活動に身を投じてきたが、軍事教練に反発して大学を中退した。

アナウンサーとしてNHKに入局後、旧満州(現中国東北部)の放送局に移った。終戦直後、ソ連軍に一時的に拘束されたものの、かろうじてシベリア抑留の危機を逃れている。

「役者はピンとキリを知っていれば、真ん中は誰でもできる」。ある名優に言われたこの一言が、自身の役者人生に大きな影響を与えたと、森繁さんは著書の中で回想している。

死線を越えて「キリ」は身に着けたが、「ピン」を知ることは難しい。真ん中の生ぬるいところに安住していたのでは、そこに人生の哀歓も深みも何もないのではないかと述べている。

数々の名演技は、起伏に富んだ人生の苦労と努力に裏打ちされていたのだろう。

戦後日本の芸能史と共に歩み、人々に励ましや安らぎを与え続けてきた巨星が逝った。

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