終戦から67年 英霊に顔向けできるか 平和と繁栄守る「強い国家」を

朝日新聞 2012年08月15日

戦後67年の東アジア グローバル化と歴史問題

戦没者を静かに追悼する8月が、歴史をめぐるかまびすしい論争の季節になったのは、いつからだろうか。

かつては日本の首相による靖国神社参拝が、近隣諸国の批判を呼んだ。終戦から67年のこの夏、今度は隣国から新たな火種が投げ入れられた。

「独島(トクト=日本名・竹島)は私たちの領土であり、命をかけ守らねばならない」

韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が、日本と領有権争いのある竹島に大統領として初めて上陸したのは先週のことだ。

きのうはさらに天皇訪韓の可能性に触れ、「独立運動で亡くなった方々を訪ね、心から謝るなら来なさいと(日本側に)言った」と語った。

大統領の行動や発言の真意は不明だ。

韓国併合や旧日本軍の慰安婦問題をめぐり、韓国内には根強い対日批判がある。日本の植民地支配からの解放を祝う15日の「光復節」を前に、そうした世論に火をつけようとしているとしたら危険このうえない。

東シナ海には、別の火種もある。日本と中国が角を突き合わせる尖閣諸島だ。中国の監視船が繰り返し日本の領海に侵入し、緊張が続く。

中国も歴史には熱い。とくに抗日戦の過去を美化する愛国教育を受けた世代が、中国の大国化に自信をつけ、ナショナリズムの温度を上げている。

一見波高い東アジアだが、足元には異なる風景も広がる。

日中韓は経済的に深く結びつき、多くの観光客が互いを行き来している。韓流ドラマが日本のテレビで放映されない日はないし、日本製アニメや大衆文化は中韓に浸透している。お互いに安定した関係を必要としているのだ。

ところが、歴史や領土となると、とたんにいがみ合う。

それを加速させているのが、グローバル化の進展だ。ヒトやカネが国境を越えて行き交う時代には、競争の激化や格差の拡大を前に、一国単位の政治は限界がある。手詰まりになった政治家たちが、人々の不満の矛先を「外」に向けようとする。

国境を低くするはずのグローバル化の進展が、ナショナリズムを刺激する逆説である。

歴史には苦い先例がある。

100年前の欧州は、各国が深い相互依存の中で繁栄を享受していた。

1914年夏。オーストリア皇太子暗殺を機に、それが崩壊する。ドイツの台頭で激化した列強間の対立に大衆のナショナリズムが火をつけ、第1次世界大戦を招く。

むろん、今の東アジアの情勢と当時の欧州を同列に論じることはできない。しかし、国際社会のバランスが変わるとき、外交の誤算が招く危険は肝に銘じておく必要がある。

振り返れば、日本と近隣諸国との歴史問題は、戦後長らく封印されていた。

東西冷戦下、朝鮮半島は分断され、中国は敵対する共産主義陣営にいた。日本は対米関係を優先し、植民地支配や侵略戦争の過去を直視することを後回しにしていた。

冷戦の終わりは、この歴史問題を浮上させた。韓国では民主化が進み、共産党独裁下の中国でも、人々がもの言う言論空間が広がった。

さらに経済発展による自信が、国家意識を後押しする。

戦争から遠のくほど、直接経験のない世代にとって歴史は自国に心地よい「物語」に変容しやすい。時代が下るほど、和解は困難になる面もある。

では、歴史問題にどう向き合うべきなのか。

その点で、日本を含む各国の政治指導者の責任は重い。

国内にナショナリズムの世論が高まったとき、それを沈静化させることこそ政治家の役割である。ところが、経済や文化の交流の太さにタカをくくり、無警戒になっていないか。

ましてや、政治的な思惑から世論をあおったりするのは論外である。

歴史認識の問題に、社会として取り組むことも必要だ。

歴史は、一方が正しく一方が間違っているという二元論ではとらえきれない。かといって、国家の数だけ歴史観が存在するといった相対主義に閉じこもっては、多様な人々が共存する世界は実現できない。

大事なことは、基本的な事実認識を共有しながら、相互理解を深めることである。

今日はもはや一国単独の歴史を書くことは不可能だ。他国との関係の中ではじめて自分の国の姿が見えてくる。

歴史認識を近づけることは容易ではない。長く厳しい道のりを覚悟せねばならない。

それでも、未来を共に築こうとする者たちは、過去にも共同で向かい合わねばならないのである。

産経新聞 2012年08月15日

終戦から67年 英霊に顔向けできるか 平和と繁栄守る「強い国家」を

終戦から67年を迎えた。日本の「国家力」が今ほど問われている時はない。日本固有の領土に対し、周辺国は挑発と野望を日増しにあらわにしている。日本はなすすべもないとみているからだ。戦後の国の体たらくを象徴的に物語るのは遺骨収集問題である。

「戦友の遺骨をなんとしても日本に持って帰りたい。このままでは死ねない」。97歳の元陸軍少佐は悲痛な面持ちで語った。

「ジャワの極楽 ビルマの地獄 死んでも帰れぬニューギニア」といわれた苛烈な東部ニューギニア戦線に赴き、第18軍下の第51師団参謀として約2年を過ごした堀江正夫さんだ。戦後、陸上自衛隊を経て、参院議員を務めた。

≪遺骨収集は国家の責務≫

この地に投入された16万人のうち、8割にあたる12万7600人が亡くなった。補給は途絶し、将兵は飢餓と過酷な自然環境とも戦い、倒れた。17回現地入りした堀江さんは「まだ手付かずの地域が多く、遺骨は散乱している」と話す。現地に残された遺骨は約8万人を数える。ニューギニアだけではない。外地などで戦死した邦人の半数近い114万人の遺骨がいまだに放置されている。

国のために命を捧(ささ)げた人たちの遺骨を収集して祖国に帰すことは、国家として最優先される責務だ。それが果たされていない。

なぜか。遺骨収集は旧陸軍、海軍の両省が担っていたが、解体に伴い、旧厚生省(現厚生労働省)が引き継いだ。だが、国は省令に遺骨収集を明記することなく、残務整理の域にとどめた。

米国は「すべての兵をふるさとに戻す」を合言葉にJPAC(戦争捕虜・行方不明者捜索統合司令部)を設け、日本の10倍の400人が捜索や遺体鑑定に総力を挙げている。彼我の差は大きい。

遅きに失するが、国家として帰還のための基本計画を法制化すべきだ。米豪軍との協力も必要だ。時間はもはや残されていない。

問題の根幹には、戦後日本が遺骨収集や慰霊に目を向けようとしなかったことがある。昭和23年、旧文部省(現文部科学省)はGHQ(連合国軍総司令部)の指令を踏まえ、国公立の小中学校による神社仏閣への訪問を禁止した。翌年には事務次官名で「靖国神社、護国神社、戦没者を祭った神社を訪問してはならない」との通達を出した。これはサンフランシスコ講和条約発効に伴い失効したが、文科相が失効を公式に表明したのはなぜか4年前にすぎない。

60年間、児童・生徒が戦没者慰霊から遠ざけられてきた。これでは遺骨収集や英霊への関心と敬意が育つはずがない。同時に、過去と未来をつなぎ、英霊が守ろうとした家族や郷土、さらには祖国の大切さを語り継ぐ努力も忘れ去られたのではないか。

≪60年遠ざけられた慰霊≫

だからこそ、国家に向き合おうとしない戦後日本の国のあり様(よう)を速やかに改めねばならない。声高に叫ばれている原発ゼロ、米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイ配備反対についても一体何をもたらすのか、国家的視点はあるかと。

前者は電力供給の不安定化と電気料金高騰による経済の失速を招く。東日本大震災の被災地を復興させるためにも力強く、活力に満ちた日本経済を堅持すべきだ。

オスプレイは尖閣諸島の守りを強める。尖閣沖の漁船衝突や中国公船による領海侵犯を踏まえれば、日米の共同防衛を柱に抑止力を強化しなければならない。

当たり前の国になるのを妨げているのが現行憲法だ。非常事態への備えの欠落や諸国民の公正と信義に自国の安全を委ねては国家は成り立たない。周辺国も国家力の弱さにつけこんでくる。李明博韓国大統領の竹島上陸強行もその例だ。本紙の「国民の憲法」起草委員会は、来年に向けて新たな憲法の要綱づくりを進めている。

平和と繁栄を守り抜く強い国家づくりが核心部分だ。国民の心を一つにして国を立て直したい。

堀江さんは15日、靖国神社を参拝する。終戦の翌年、上官だった第18軍司令官、安達二十三(はたぞう)中将が、戦犯の容疑を豪州軍にかけられ、連行される直前に行った最後の訓示が脳裏から離れない。

「国家再建に邁進(まいしん)せよ。自分に代わって遺族、英霊の慰霊を頼む」。日本の平和と繁栄の礎になるとして散った英霊に顔向けできる国になったのか。堀江さんの思いと鎮魂の祈りは重く、深い。

この記事へのコメントはありません。

この社説へのコメントをどうぞ。
お名前
URL
コメント

この記事へのトラックバックはありません。

トラックバックはこちら
http://shasetsu.ps.land.to/trackback.cgi/event/1133/