女子と男子のサッカー白星スタートで、日本代表に弾みがついたロンドン五輪。この夏は、近代スポーツを生んだ国への里帰りだ。かつてアマチュアリズムを掲げた五輪は、億万長者のプロも出る祭典に姿を変えた。
スポーツと報酬を切り離したアマチュアリズムの思想は、19世紀後半に英国で作られた。
上流階級が、体力に優れる労働者階級に負けるのを嫌がり、独占的にスポーツを楽しむためにつくった差別的な思想が原点にある。「職工、労働者、日雇い労働者」は除外された。
生活の糧をスポーツで得る人間をプロとみなし、排除する考えは、五輪にも組み込まれた。
第2次大戦後、おもに共産圏でスポーツの力を国威発揚に使った。国に手厚く保護され、メダルを量産した。
時代にそぐわなくなったアマチュア規定は、1970年代に五輪憲章から消えた。
階級差別は昔の話になったが、今は経済力の格差がある。
メダル集めの上位には、国策で選手強化に取り組むことができる国が目立つ。最先端の用具を使い、医科学の粋を集めた練習メニューで鍛える。五輪切符をつかむために、世界を転戦する。日本も国主導で、金メダル数世界5位以上をめざす。
開催国の英国をふくめ、メダルが有望な種目に強化費がかたよる傾向がある。弱小の競技団体は自助努力を求められる。勝ち組と負け組を分ける、新たな差別が生まれている。
そうした矛盾を抱えつつも、五輪の輝きは、世界の人々の目を引きつけてやまない。
国際オリンピック委員会(IOC)はテレビ放送権料やスポンサーから集める巨額の協賛金の一部を元手に、途上国のスポーツ支援に取り組んでいる。貧困や混乱が続く国から参加できるのは、そうした取り組みの恩恵も大きい。
内戦が激化するシリアや「アラブの春」をくぐりぬけたチュニジア、リビア、エジプトからも選手団がつくられた。IOCに加盟する約200の国と地域がロンドンに集う。
自己の限界に挑む姿に、私たちは心を打たれる。メダル争いがすべてではない。
五輪は肥大化し、商業主義に依存するようになった。多くの曲折があったし、課題は残る。
くらしや経済が国境を越える時代になぜ、国ごとの熱狂かとためらいを覚える人もいるだろう。だが、古めかしい遺恨や領土問題で熱くなるより、よほどよい。アスリートたちの躍動に喝采を送ろう。
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