福島第一原発事故をめぐる国会の調査委員会(黒川清委員長)が、ひととおりの参考人招致を終えた。今月末までに最終報告書をまとめる。
だが、9日に示された論点整理は、判断の根拠がはっきりせず、説得力に欠ける。
この間おこなわれた政治家や東京電力の首脳陣に対する質疑も、原子力行政の構造的な問題を解き明かすような切り口に乏しかった。
国会事故調は、何を解明したいのか。このままでは、不十分な報告書にしかならないのではないかと心配になる。
今回の論点整理は、事故直後の官邸の対応に焦点をあてている。この中で、もっとも違和感が強いのは東電の「全員撤退」をめぐる見解だ。
事故調は「東電が全員撤退を決定した形跡は見あたらない」と結論づけている。
これは、菅首相(当時)をはじめとする官邸側の数々の証言と真っ向から対立する。
質疑でも、官房長官だった枝野氏が清水正孝社長(同)との電話のやりとりを紹介し、全面撤退と認識したことを証言したのに対し、清水氏は「記憶にない」の一点張りだった。
ところが、黒川委員長は清水氏に対して「肝心なことを忘れている」と述べただけで、記者会見では「官邸と東電のコミュニケーション不足の問題」と分析した。官邸側の言い分はほとんど無視された。
これで納得できるだろうか。問題は東電本社に事故対処への強い意志があったかどうかだ。それによって、その後の菅氏の行動への評価も分かれる。
官邸側に誤解があって、「事故対応に過剰な介入をした」と事故調が論ずるなら、そこに至る根拠や調査で明らかになっている事実を、もっと明確に説明すべきだ。
そもそも、事故調の目的は何か。責任追及も大事だが、最大の主眼は、二度とこうした事故を起こさない教訓をどのようにつかみとるかにある。
その意味で、事故以前の問題への踏み込みも物足りない。
今日の原子力行政をつくってきた自民党への調査をおこなっていないのは、どういうわけだろう。政府の事故調では官邸対応の分析に限界があると意識するあまり、そこに目を向けすぎてはいないだろうか。
憲政史上初めて国会に設けられ、国政調査権の行使まで認められた独立委員会だ。
国民が期待しているのは、国内外からの評価と歴史の検証に堪えうる報告書である。
この記事へのコメントはありません。