朝日新聞 2012年06月06日
法相の指揮権 見識欠く危うい発言だ
いかにも軽い。積みかさねてきた議論を無視した、見識を欠く発言というほかない。
内閣改造で法相を退いた小川敏夫氏が「指揮権の発動を決意したが、首相の了承を得られなかった」と語った。小沢一郎・民主党元代表の政治資金事件に関連して、事実と違う捜査報告書をつくった検事を起訴するよう、検事総長に命じることを考えたのだろうか。
この検事への処分の当否は、法務・検察当局の調査結果の公表をまって考えたい。現時点での問題は、政治の世界に身をおく法相と、司法権と密接不可分な関係にある検察権との関係をどうとらえるかだ。
法相は個々の事件の処理については、検事総長を通じてのみ指揮できる。検察の独善をおさえて民主的なコントロールの下におくとともに、政治の都合で捜査が左右されるのを防ぐために設けられた規定だ。
私たちは指揮権の発動を頭から否定するものではない。尖閣諸島沖事件のときも、外交などすぐれて政治的な問題に重大な影響をあたえる場合、内閣として判断をすることはありうる、ただしその場合は国民にしっかり説明し、評価を仰がなければならない――と主張した。
逆にいえば、検察の任務をこえたそのような複雑・微妙な事情がからむときに、例外的に発動されるべきものである。
今回はどうか。
小川氏は「検察が身内に甘い形で幕引きすれば、信頼回復はならない」と考えたという。認識は共有するが、そのことと法相が捜査について具体的に命じることとは別である。
起訴権限は検察のためにある道具ではない。起訴、不起訴はあくまでも証拠に基づいて判断されなければならない。
そして不起訴処分がおかしいかどうかは、国民から選ばれた検察審査会の場で、やはり証拠に基づいてチェックされる。ほかにも、公務員の職権乱用行為をめぐって被害者などからの請求をうけ、裁判所が裁判にかけるかを決める制度もある。
「身内に甘い幕引き」があれば、こうした仕組みのなかでただすのが筋で、法相の思惑による介入は厳に慎むべきだ。
人々が検察に向ける不信感に乗じる形で、政治があれこれ口を出し、それを当たり前と受けとめる空気が醸し出されることを、私たちは恐れる。
政治と検察が緊張感をもって適切な均衡を保たなければ、民主主義を支える土台はむしばまれていく。国民は、そんな事態を望んではいない。
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毎日新聞 2012年06月06日
指揮権発動発言 あまりにも軽すぎる
発言の背景や経緯を振り返ると、あまりにも軽すぎないか。
小川敏夫前法相が、陸山会事件の捜査報告書に検事が虚偽の記載をしていた問題に絡み「指揮権の発動を決意したが、総理の了承を得られなかった」と退任会見で述べたのだ。
野田佳彦首相との詳しいやり取りや具体的な指揮内容については明言していないが、会見での発言に照らすと、担当した検事の起訴を促す狙いがあったとみられる。
法相の指揮権は検察庁法に規定され、「個々の事件の取り調べや処分については検事総長のみを指揮することができる」と定められる。
検察の暴走や行き過ぎに歯止めをかける一方で、捜査現場への不当な政治介入を防ぐのが目的だ。
過去の発動は、1954年の造船疑獄事件の1例だけだ。この際、強い批判を浴びて、当時の犬養健法相は辞任した。内閣を揺るがしかねないほどの強い副作用があるだけに、歴代の法相は極めて抑制的に指揮権の行使と向き合ってきたのだ。
もちろん、法律に定められた法相の権利であり、検討するのは自由だ。前法相が会見で主張した「国民の検察への信頼が損なわれている時に、検察が身内に甘い形で幕引きすると信頼は回復できない」「検察が内部の事件で消極的なら、積極ならしめるのが法相の本来の姿だ」との考え方も理解できないではない。
では、それだけの準備をし、覚悟を持って臨んだのか。
捜査報告書の虚偽記載問題は、告発を受けて検察が捜査中だ。検察幹部によると、刑事処分やそれに伴う関係者の懲戒処分について、これまでのところ前法相に報告は上がっていなかったようだ。ならば、検察当局の報告を待つなり、自ら説明を求めるのが筋だろう。「不起訴の方針」といった報道が先行したのは確かだが、証拠の内容も精査せずに捜査が不十分だとは決めつけられまい。
さらに、国益や国家の安全に関わる重大事件ならばともかく、検事の捜査報告書虚偽記載という事案が、指揮権を発動するのに妥当なのか。
国民が参加する検察審査会には、強制起訴の権限が加わった。証拠があるのに身内に甘い処分をすれば、審査会が厳しく検察をチェックする。大仰に「伝家の宝刀」を抜かずに、そうした制度上の役割に期待することは考慮しなかったのだろうか。
前法相は、退任会見で突然、発動しなかった指揮権について発言し、首相が拒んだ経緯も明かした。こうした姿勢も一方的で、後味の悪さを残した。民主党政権では法相交代が続き、滝実法相で7人目だ。検察との緊張感を持ちつつも、まず腰を据えて政策に取り組んでほしい。
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産経新聞 2012年06月10日
「指揮権」発言 民主党の体質に問題あり
民主党政権下での法相は、現在の滝実法相で実に7人目となる。司法を軽んじる姿勢が、この人数にも表れているのではないか。
小川敏夫前法相は退任会見で、陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書問題について、検察の捜査が消極的だとして指揮権発動を首相に相談していたことを明らかにした。
指揮権は検察庁法14条に規定されている権限で、法相は検事総長に対し、個別捜査や起訴、不起訴の判断について指示を出すことができる。実際に発動されたのは昭和29年4月、造船疑獄で検察が自由党の佐藤栄作幹事長(当時)の逮捕を求めたのに対し、当時の犬養健法相が逮捕見送りを指示した1例だけだ。
捜査は中止されたが、世論の反発を招いて法相も辞任した。それだけ重く、歴代法相が慎重な姿勢を示してきた権限である。そうした歴史も踏まえず、小川氏の発言は軽率のそしりを免れない。
小川氏だけではない。滝法相も指揮権発動について「条文にある以上いざとなるとあり得るという姿勢は崩したくない」と語った。法相当時の千葉景子氏も「指揮権という権限があるから(発動も)あり得る」と述べた。
小沢一郎元代表の秘書逮捕を受けて民主党が設置した西松建設の違法献金事件に関する第三者委員会は平成21年6月、報告書で「指揮権を発動する選択肢もあり得た」と指摘していた。一連の指揮権発言は、この報告書の延長上にあるとみられても仕方がない。
滝法相はさらに、検察審査会の強制起訴制度についても見直しが必要と述べている。小沢元代表の事件との関係を否定しても、誰もそうは受け取れない。
民主党政権は、指揮権を行使すべきケースをはき違えているのではないか。
一昨年の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件では、本来なら起訴されて当然の中国人船長を、那覇地検が「今後の日中関係を考慮」したとして釈放した。当時の仙谷由人官房長官は「地検の判断を諒(りょう)とする」、柳田稔法相は「指揮権を行使した事実はない」と述べた。
いわば政治判断を検察に押しつけたのだが、いっそこのとき、指揮権を発動し、内閣の意思で船長を釈放し帰国させたことを国民に明らかにして、その責めも負うべきだった。
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