沖縄本土復帰40年 「差別」の声に向き合う

朝日新聞 2012年05月15日

沖縄復帰40年 まだそこにある不条理

40年もともに過ごせば、お互いの気持ちや痛みをわかりあえるものだ。しかし、きょう復帰40年を迎えた沖縄と本土との関係は、そうなっていない。

朝日新聞と沖縄タイムスの4月の共同世論調査では、米軍基地が減らないのは「本土による差別だ」との回答が、沖縄で50%に上った。こんな答えを生む状況を、放っておいていいはずがない。

日本が主権を回復した1952年、国内の米軍基地の9割は本土にあった。その後、沖縄への移転、本土内での集約が進み、復帰時には59%が沖縄にあった。いまは74%で、「基地の中に沖縄がある」と言われる。

この間、政府は沖縄の人たちの神経を逆なでしてきた。

見通しが立たない米海兵隊の普天間飛行場の名護市への移設を「唯一の有効な解決策」と言い続けるのは、その典型だ。

そもそも、なぜ沖縄に海兵隊が必要なのか。

朝鮮半島や台湾海峡に近い戦略的要衝にある沖縄に存在することが「抑止力」になる――。政府はこう説明するが、戦略的位置づけには専門家の間でも議論が分かれる。近年は米議会からも「沖縄には必要ない」との声も上がっている。

米軍の存在意義は、この40年で変化している。共産主義の防波堤から、冷戦後のテロとの戦い、朝鮮半島の有事対応、そして中国の脅威への備えと重点を移してきた。

沖縄からすれば、基地存続ありきの理屈づけに見える。

復帰40年の節目にあたって、原発と基地問題を対比する考え方が増えてきた。

原発事故は、電力の受益者である多くの国民の目を、エネルギー政策に向けさせる契機になった。

米軍の沖縄駐留による安全保障の受益者は、主に本土の人々である。だが、全人口の1%の沖縄県民がいくら訴えても、残る99%の間で、基地をめぐる議論は広がらない。

猛烈な騒音被害も、事故への日常的な恐怖感も、本土の人々が共有しようとしないからだ。

一方で、同じ沖縄の無人島の尖閣諸島をめぐる動きには、一部の人々が敏感に反応する。

この落差は、安全保障をめぐる国民世論のいびつさを象徴しているように見える。

経済的な支援策では埋めきれない不条理なまでの重荷を、沖縄は負っている。負わせているのは、本土の人々だ。

この現実から目をそらすような安全保障政策を、いつまでも続けていくわけにはいかない。

毎日新聞 2012年05月15日

沖縄本土復帰40年 「差別」の声に向き合う

戦後、長年にわたり米国の統治下にあった沖縄の施政権が日本に返還されて、15日で40年を迎えた。

政府と沖縄県は共催で記念式典を開く。会場は、移設が難航する米軍普天間飛行場から約1キロ。政府と沖縄の間に横たわる基地問題の最大の懸案を眼前にしての催しとなる。

式典には野田佳彦首相が出席し式辞を述べる。しかし、政府に向ける沖縄の視線は厳しさを増している。

仲井真弘多沖縄県知事が、過重な米軍基地の負担を「差別」と表現したのは2年前だった。そして、今、同じ意識が県民に広がっている。本土復帰から節目となる年に、その言葉の重みを改めてかみしめたい。

沖縄は、「本土による差別」を、過去4回経験したといわれる。

1872年の琉球王国強制廃止・琉球藩設置に始まり、7年後の沖縄県設置で琉球を近代日本に組み入れた「琉球処分」、本土決戦に向けた「時間稼ぎ」作戦で住民9万4000人を含む18万8000人が犠牲となった1945年の地上戦、沖縄などを本土から切り離し、米国統治下に置くことを認めた52年のサンフランシスコ講和条約発効。そして、72年の施政権返還・本土復帰である。

本土復帰は、他の3件と違って、米国統治下の沖縄の悲願だった。それが「差別」とされる理由は、復帰後も続く過重な基地負担にある。

読売新聞 2012年05月15日

沖縄復帰40年 経済と安保を両立させたい

沖縄県はきょう、本土復帰40周年を迎える。

宜野湾市で、野田首相ら三権の長や仲井真弘多知事などが出席して記念式典が行われる。

日本全体の米軍施設用地の74%が集中する過重な負担が続く中、政府はいかに経済振興と安全保障を両立させるかが問われる。

政府は先週、今後10年間の第5次沖縄振興計画の基本方針を決定した。那覇空港の第2滑走路整備による国際物流拠点化が柱で、沖縄の自立的な経済発展を目指す内容だ。この方針に基づき、沖縄県がきょう振興計画を決定する。

計画の策定主体を政府から沖縄県に変更したのは、妥当である。アジアに近接する地理的特性や国際性を生かした計画を着実に実行に移してもらいたい。

過去の振興計画は「本土との格差是正」を掲げてきたが、県民1人当たりの所得は全国平均の7割前後にとどまる。製造業が育たず、県内総生産に占める割合は40年前の11%から4%に低下した。

基地、公共事業、観光に頼る「3K経済」の構造が続き、政府予算への依存度も高い。

民主党政権は、米軍普天間飛行場移設問題を迷走させた負い目もあり、今年度の沖縄振興予算を2937億円へ大幅に増やした。

これを有効に使うためには、沖縄県と各市町村が、中長期的展望に立った振興策を企画し、自助努力を続けることが大切だ。

自由度の高い一括交付金を活用し、社会資本や箱物の整備などハード中心だった予算の使途を、環境、福祉などソフト重視に見直すことも求められよう。

最近は、中国の軍艦や政府船による尖閣諸島周辺などでの活動が恒常化している。中国海空軍の急速な増強と近代化を踏まえれば、今後、沖縄の安全保障面の地政学的重要性は一層大きくなる。

政府は、この現実を直視し、自衛隊と米軍の防衛協力を基盤とする日米同盟の抑止力と実効性を堅持しなければならない。

同時に、在沖縄海兵隊の海外移転に伴う米軍施設の返還や日米地位協定の運用改善など、地元負担の軽減に全力を挙げる必要がある。普天間飛行場の辺野古移設にも粘り強く取り組むべきだ。

重要なのは、米軍施設跡地の有効利用を図ることだ。

政府は、キャンプ瑞慶覧の住宅地区に最先端のがん治療施設を整備することを検討している。こうした事業を通じて、在日米軍再編への地元の理解を地道に広げることが欠かせない。

産経新聞 2012年05月16日

沖縄復帰40年 安保激変乗り切る要石に

沖縄の本土復帰40年を迎え、地元宜野湾市で政府・沖縄県共催の記念式典が行われた。

沖縄は先の大戦で多大な犠牲を強いられ、今も在日米軍基地専用施設の74%が集中する。歴史的にも戦略的にも特異なその境遇に思いをはせつつ日本の平和と安全を見詰め直す機会としたい。

とりわけ国民全体で考えたいことは、この間に日本の安全保障環境が激変したことだ。1972年の復帰当時はベトナム戦争末期に至り、冷戦下の日米にとって最大の脅威は北方のソ連だった。

40年後の今、アジア太平洋の脅威の焦点は、北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の強引な海洋進出に変わった。必然的に尖閣諸島を含む沖縄の戦略的重要性も、ますます増大しているのが現実だ。

加えて米国は巨額の国防費削減を迫られ、日本には「米国頼み」を脱して自らの安全確保と日米同盟への一層の貢献が求められていることを忘れてはなるまい。

復帰当時96万人だった人口は140万人となり、本土で活躍するスポーツ選手、芸能人など人的・文化的交流も深まった。半面、本土との経済格差は小さくない。

大戦時の沖縄戦の戦没者は18万8千人で、うち12万人以上が県民の犠牲者だ。戦後も長く米施政権下に置かれた。こうした歴史をもっと国民で共有すべきだろう。

同時に、沖縄県民も悲しい過去を超えて未来にも目を向けてほしい。ルース駐日米大使も「沖縄は日米同盟の礎だ」と評価した。沖縄の位置や役割を冷静にとらえつつ、「安保も経済も」の両立を目指したい。日本の安全が守られてこそ沖縄の平和が維持される。

普天間移設を含む米軍再編計画も基地負担削減と抑止力強化を目的とし、政府は地元振興を図ることが原点だったことを改めて想起することが必要だ。普天間の固定化を回避する道もそこにある。

にもかかわらず、民主党政権下で迷走を重ね、国民の不信や亀裂を招いた責任は重大である。

野田佳彦首相は式典で、同盟強化、基地負担軽減、振興を通じて「日本の安全を確保する」と約束した。その言葉を着実かつ速やかに行動に移してもらいたい。

沖縄は返還されたが、北方領土はロシアに、竹島は韓国に不法占拠されたままだ。これらが返らない限り、戦後は終わらない。そのことも銘記しておきたい。

朝日新聞 2012年05月15日

沖縄復帰40年 めざせ、環境先進地

米軍基地の存在は、沖縄の経済的な自立を阻んできた。

だが、県民総所得に占める軍用地料など基地関連収入の割合は年々、相対的に減っている。復帰時には16%あったが、いまや5%ほどだ。

こんな実情を反映して、10年ごとの沖縄振興計画を、今回初めて県が主体的につくり、きょう正式決定する。

これまでの国まかせから脱却し、県が具体策を練る。それこそが真の自立に向けた出発点になるはずだ。

沖縄県の1人あたりの県民所得は全国最少の部類で、東京都民の半分ほどだ。

完全失業率は最も高い。

経済の疲弊ぶりを示す数字に読めるが、沖縄を「一番元気を失っていない都道府県」(「デフレの正体」、藻谷浩介氏)とみる見解もある。

それは就業者の絶対数が増える傾向が沖縄に顕著なためだ。バブル経済崩壊の90年を起点に、直近のデータと比べれば、個人所得は1.4倍、小売販売額が1.2倍を超えている。

このほか、平均年齢40.5歳は最も若く、15歳未満の人口割合の多さや、女性の平均寿命の長さも日本一だ。

人口千人あたりの出生率は、12.2あり、全国で唯一、2けた台に乗っている。

こんな元気な沖縄でいま、環境に優しいエネルギーの試みが注目されている。

そのひとつが、県レンタカー協会などによる「EV(電気自動車)普及プロジェクト」だ。

昨年2月、約200台のEVをレンタカーに導入した。県別では全国トップの多さだ。充電設備会社も設立して、沖縄本島全域に27基の高速充電施設を備えた。

沖縄本島は南北120キロある。1回の充電での走行距離が160キロ程度のEVの普及実験場としては最適な規模なのだ。10年目には県内のレンタカーの約1割に当たる2500台のEV化をめざすという。

実績を重ねて、将来は海外の島しょ国に沖縄発のEV普及戦略を広げていくのが県レンタカー協会の描く構想だ。

県や市町村も公共施設に充電施設を整えたり、EVを公用車にしたりして、構想に協力したらどうだろう。

沖縄電力は全国10電力会社でただひとつ、原子力発電所を持っていない。そんな事情もいまでは、環境先進地をめざす推進力になる。

環境先進地への挑戦を「脱基地経済」への足がかりにすることを期待する。

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