憲法記念日 改正論議で国家観が問われる

朝日新聞 2012年05月03日

憲法記念日に われらの子孫のために

日本国憲法は、だれのためにあるのか。

答えは前文に記されている。「われらとわれらの子孫のために……、この憲法を確定する」と。

基本的人権は、だれに与えられるのか。

回答は11条に書いてある。「現在及び将来の国民に与へられる」と。

私たちは、これらの規定の意味を問い直す時を迎えている。

いま直面しているのは、将来の人々の暮らしや生き方をも拘束する重く厳しい選択ばかりだからだ。

原発事故はすでに、何十年も消えない傷痕を残している。地球温暖化や税財政問題でも、持続可能なモデルをつくれるかどうかの岐路に立つ。

ならば、いまの世代の利益ばかりを優先して考えるわけにはいくまい。いずれこの国で生きていく将来世代を含めて、「全国民」のために主権を行使していかねばならない。

施行から65年。人間でいえば高齢者の仲間入りをした憲法はいま、その覚悟を私たちに迫っているように読める。

現実の日本の姿はどうか。

将来世代どころか、いまの子どもたちの「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(25条)まで、知らず知らずのうちに奪ってはいないか。

子どもの貧困率は、経済協力開発機構(OECD)の平均を上回り、7人に1人が苦しい暮らしを強いられている。

主な理由は、ひとり親世帯の貧しさだ。2000年代半ばの各国の状況を比べると、日本ではその6割近くが貧困に陥り、30カ国の中で最も悪い。「1億総中流」とうたわれたのは、遠い昔のことのようだ。

原因は何か。OECDは次のような診断を下している。

第一に所得の少なさである。著しく賃金が低い非正規労働が急速に広がり、とりわけ母子家庭の母親の多くが低賃金を余儀なくされている。

第二に所得再分配のゆがみである。社会保障が年金や医療、介護など高齢者向けに偏り、子どもを持つ世代、特に貧困層への目配りが弱い。このため、いまの税や社会保険料の集め方、配り方では、子どもの貧困率がいっそう高まる現象が日本でのみ起きている。

正社員の夫の会社が、家族のぶんまで給料で面倒を見る。専業主婦かパートで働く妻が子育てを担う。それが、かつて「標準」とされた家庭像だった。

国が幅広く産業を支援し、高齢者に配慮すれば、多くの人が「中流」を実感できた。

だが、会社と家庭に頼る日本型福祉社会は壊れている。前提だった経済成長、会社倒産の少なさ、離婚の割合の低さなどが揺らいだからだ。

社会の変容に伴い、会社や家庭が差し出す傘の中に入れない人たちが増えた。

たとえば、母子家庭の子どもがその典型だろう。

就職をめざす若者もそうだ。正社員の大人がみずからを守るために、新規採用を絞り込む。

これは傘の中の大人が、子どもたちを傘に入れまいとする姿ではないか。個々の大人に悪意はなくても、社会全体で子どもを虐げていないか。

私たちは、もっと多くの人々が入れる大きな傘を作り直さなければならない。

そのために、再分配の仕組みと雇用慣行を改めよう。

貧しくても教育をきちんと受けられるようにして、親の貧困が次世代に連鎖するのを防ぐ。同じ価値の労働なら賃金も同一にして、正社員と非正社員との待遇格差を縮める。こんな対応が欠かせない。

反発はあるだろう。実現するには他のだれか、たとえば子育てを終えた世代や正社員が、新たな負担を引き受けなければならないからだ。

しかし、ここであえて問う。

互いの利害は本当に対立しているのか。

子どもたちを傘の外に追い出した大人は、自分が年老いたとき、だれに傘を差し出してもらうのか。そこから考えよう。

年金の原資は、現役世代が支払う保険料と、消費税である。

企業が正社員を減らせば厚生年金の加入者が減る。低賃金の非正規の仕事で働く若者は消費を削らざるを得ない。

つまり採用削減は、正社員が将来受けとる年金の原資を減らしていく。いずれは、我が身の老後を危うくするのである。

若者が結婚し、子どもをもうけることが難しくなれば、さらに少子化が進む。消費も減り、市場が縮み、企業は苦しくなる。そんな負の連鎖に日本はすでに陥っている。

将来を担う世代を大切にすれば社会は栄え、虐げれば衰える。憲法記念日に、そんな当たり前のことを想像する力を、私たちは試されている。

読売新聞 2012年05月03日

憲法記念日 改正論議で国家観が問われる

◆高まる緊急事態法制の必要性

日本は今、東日本大震災からの復興や原子力発電所事故の収束、経済・軍事で膨張する中国への対応など、内外に多くの懸案を抱えている。

国家のあり方が問われているからこそ、基本に戻りたい。与野党は憲法改正の論議を深め、あるべき国家像を追求すべきだ。

◆主権回復60年の節目に

サンフランシスコ講和条約の発効からちょうど60年を迎えた4月28日を前に、自民党は、第2次憲法改正草案を発表した。

谷垣総裁は「主権を回復した時に挑まねばならないことだった」と述べ、結党の原点である憲法改正の必要性を強調した。

憲法が、連合国軍総司令部(GHQ)の案を基に作成されたことは周知の事実である。自民党が2005年の草案を見直し、改めて国民的な憲法改正論議を提起したことは評価したい。

新草案は、東日本大震災の反省も踏まえて、緊急事態に対処するための条項を設けた。武力攻撃や内乱、大規模災害の際、首相は「緊急事態」を宣言できる。

それに基づき、地方自治体の首長に指示することなどを可能にした。

国民の生命と財産を守るためには、居住及び移転の自由、財産権など基本的人権を必要最小限の範囲で一時的に制限することにもなろう。それだけに、緊急事態条項への反対論はある。

しかし、何の規定もないまま、政府が緊急事態を理由に超法規的措置をとることの方がよほど危険だ。独仏などほとんどの国が憲法に緊急事態条項を明文化しているのは、そのためでもある。

緊急事態への備えを平時に整えておくことは、政府の責務だ。

首都機能が喪失しかねない「首都直下地震」や、東海、東南海、南海地震の連動する「南海トラフの巨大地震」など従来の被害想定が見直されている。原発を狙うテロの可能性も否定できない。

国家の機能が損なわれる事態に災害対策基本法など現行の法律だけでは、十分対処できまい。

衆院解散時、あるいは任期満了に近い時点での緊急事態対処も重要な論点になる。

憲法改正論議と同時に、政府は「緊急事態基本法」といった新たな立法も考慮すべきである。

◆自衛隊位置付け明確に

安全保障に関して新草案は9条の戦争放棄を堅持し、「自衛権の発動を妨げるものではない」との一文を加えた。自衛隊は「国防軍」として保持するとした。政府見解が禁じる集団的自衛権の行使を、可能にすることを明確にした。

政府は、国民と協力して領土を保全し、資源を確保しなければならない、との条項も設けた。

いずれも妥当な判断だ。

中国の海洋進出、北朝鮮の核開発など、日本の安全保障を巡る環境が厳しさを増す中、集団的自衛権の行使を可能にし、日米同盟を円滑に機能させる必要がある。

一方、自民党は、参院の権限が強すぎる現状の見直しに踏み込まなかった。これは疑問である。

衆参ねじれ国会では、野党が反対する法案は成立しない。参院の問責決議が閣僚の生殺与奪権を事実上握るという()しき慣習も国会を混乱させている。

みんなの党は衆参統合で一院制とする案を唱えている。超党派の議員連盟は一院制実現への憲法改正案をまとめた。国会の機能不全の要因に「強すぎる参院」があるとの認識からだろう。

だが、憲法改正で一院制を実現するのは、困難である。二院制は維持しつつ、衆参の役割分担を工夫することの方が現実的だ。

自民党やみんなの党、たちあがれ日本が、憲法に対する考え方を表明しているのに、政権党である民主党は、改正論議に及び腰だ。国家の基本に関する問題で「逃げ」の姿勢は許されない。

◆違憲状態解消が急務だ

国会では昨年秋、4年以上休眠状態にあった衆参両院の憲法審査会が、ようやく動き始めた。

憲法改正への主要な論点は、2000~05年の衆院憲法調査会で既に整理されている。スピード感を持って、具体的な改正論議に着手してもらいたい。

深刻なのは、「1票の格差」を巡る訴訟で、衆参両院に「違憲」「違憲状態」の司法判断が相次いでいる問題だ。選挙制度改正論議が一向に進展していない。

国会は、違憲状態を放置して憲法記念日を迎えたことを猛省すべきだ。立法府として無責任に過ぎる。特に解散・総選挙の可能性がとりざたされる衆院は、選挙制度の見直しが急務である。

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